私は地方公務員として、第一の現役時代を過ごしてきた。なので、年度末は仕事に追われ、一つの区切りとして大きな意味を持ってきた。60歳で定年退職したのも年度末。その日のことは、今でも鮮明に記憶している。
そんな私は若い頃、自体労働組合に参加してきた。その労働組合が掲げたスローガンは「住民の繁栄なくして、自治体労働者の幸せはない」。教職員組合は「教え子を再び戦場に送らない」だった。
そして同時に、私は市役所は「市民の役に立つ所」であり、「市民の役に立つ人がいる所」だと考えて仕事をしてきた。しかし、十分な仕事をしてきたかと言えば忸怩たる思いも多々ある。
また、地方自治体は「国の悪政から住民を守る砦」と考え、京都・蜷川民主府政が掲げた「憲法を暮らしに生かす」から深く学び実践すべく頑張ってきた。
そんな私が今、とても危惧していることがある。それは、「大規模な感染症や大災害などの想定外の事態が起きた時に、国が自治体に対応を指示できるようにする『地方自治法改正案』が先月閣議決定され、その審議がこの4月にも始まる」からだ。しかし、「国は指示が必要となる具体的なケースを示していない」から、極めて恐怖心を抱く。
2000年の「地方分権改革」の際に、「国と自治体を『平等』」と位置づけている。なのに、今何故?だ。
先ののコロナの際には、国は全国一斉の学校を休校としたことを見ても明瞭なように、わざわざ法制化する必要はない。マイナンバーカードは超機密事項としてその入力は隔離して行えとの指示だったが、今ではマイナ保険証と言い出してもいる。国はこれまで、ひとたび制度化すると、何度となく勝手に趣旨を変えて運用している。
今回の「国の指示権を強化する改正案」は国が自治体を言いなりにしようとするものであり、まさに地方分権に逆行するもとの指摘せざるを得ない。当然だが「『自治事務』についての国の関与は『必要最小限度』にとどめるべき」と考える。今回の改正案、断固として廃案にすべきと考える。