地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

所用があり岡山市役所に

2024年04月02日 | 身辺雑記


 4月1日の昨日、所用があり岡山市役所に行った。新採用職員らしき人たちが、先輩に連れられて歩く姿や、異動があったのだろう辞令片手に歩く姿も見受けられた。私もずいぶんと以前のことだが、第一の現役時代のことを思い出したりもした。

 私は「財政危機」が理由だった(?)かな、採用は4月1日ではなく、1ヶ月遅れの5月1日だった。人事課長さんの前だったか(?)で、「宣誓書」を読んだ記憶がある。私はこの宣誓書を読んだことに誇りに思っている。

 宣誓書;「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」。この宣誓書、今は「日本国憲法を遵守し」の稿が消えているように思う。

 ともあれ、新しい年度が始まった。出会いと別れの季節、そして、一昨日で、岡山駅前の噴水も終わりを告げた。ナントモ寂しい。その消えていく理由を思うと、切なくもある。

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地方自治法の改正反対

2024年04月02日 | ひとりごと


 私は地方公務員として、第一の現役時代を過ごしてきた。なので、年度末は仕事に追われ、一つの区切りとして大きな意味を持ってきた。60歳で定年退職したのも年度末。その日のことは、今でも鮮明に記憶している。

 そんな私は若い頃、自体労働組合に参加してきた。その労働組合が掲げたスローガンは「住民の繁栄なくして、自治体労働者の幸せはない」。教職員組合は「教え子を再び戦場に送らない」だった。

 そして同時に、私は市役所は「市民の役に立つ所」であり、「市民の役に立つ人がいる所」だと考えて仕事をしてきた。しかし、十分な仕事をしてきたかと言えば忸怩たる思いも多々ある。

 また、地方自治体は「国の悪政から住民を守る砦」と考え、京都・蜷川民主府政が掲げた「憲法を暮らしに生かす」から深く学び実践すべく頑張ってきた。

 そんな私が今、とても危惧していることがある。それは、「大規模な感染症や大災害などの想定外の事態が起きた時に、国が自治体に対応を指示できるようにする『地方自治法改正案』が先月閣議決定され、その審議がこの4月にも始まる」からだ。しかし、「国は指示が必要となる具体的なケースを示していない」から、極めて恐怖心を抱く。

 2000年の「地方分権改革」の際に、「国と自治体を『平等』」と位置づけている。なのに、今何故?だ。
 先ののコロナの際には、国は全国一斉の学校を休校としたことを見ても明瞭なように、わざわざ法制化する必要はない。マイナンバーカードは超機密事項としてその入力は隔離して行えとの指示だったが、今ではマイナ保険証と言い出してもいる。国はこれまで、ひとたび制度化すると、何度となく勝手に趣旨を変えて運用している。

 今回の「国の指示権を強化する改正案」は国が自治体を言いなりにしようとするものであり、まさに地方分権に逆行するもとの指摘せざるを得ない。当然だが「『自治事務』についての国の関与は『必要最小限度』にとどめるべき」と考える。今回の改正案、断固として廃案にすべきと考える。

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