地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

1時間並ぶ

2022年08月11日 | 身辺雑記


 一昨日、9日のことだ。大学生の孫が、前夜「おじいちやん、明日10時までにアニメイトに連れて行ってくれん」と言ってきた。

 聞けば「アンサンブルシスターズ」のメンバー51人の香水の第二次予約の受付が11時からあるので、並ぶという。第一次の受付は悩んでいたが、「やっぱり、おじいちゃんに買ってもらおう」と思ったとのこと。

 4人の推しを予約するというので、2個分4000円を出してやることとし、受付が終わるまで、スタバで読書して待つ。

 11時に、全員予約できたとのこと。そしてその中の一人は、孫で終了だったとのことで大喜び。商品の引き渡しは11月頃とのよし。

 さすが私の孫で、予約のため1時間前から並ぶ。私は「よく頑張った」と褒めてやった。

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日本初の常設映画館

2022年08月11日 | 映画・テレビ


 朝日新聞8月9日付土曜版の「はじまりを歩く」は、映画館。「日本最初の常設映画館は日露戦争開戦の前年、1908(明治30)年に誕生」したとのこと。「場所は浅草六区、名前は電気館」。浅草が最初はなんとなくそうだろうなとは思う。

 私が中学生の頃は、映画少年だった。その頃は映画はそれぞれの映画会社が専属俳優を抱えて映画を製作をし、上映も専門館があった。岡山東映、岡山松竹、日活なとがあり、2本立てで上映されていた。

 そして二番館として駅前に歌舞伎座があり、各社の名作揃えて3本立てで上映されていた。私なんぞはそれが嬉しくて通ったものだ。そして三番館として第一、第二ニシキ館があり、北方大和町には名画座があった。試験の時など午前中で終わるので、3本立ての名画座に観に行ったりもした。

 そんなことを考えていると何だか懐かしくなり、鷹取洋二さんの労作『消えた映画館を探して ~おかやま、昭和の記録~』(吉備人出版刊)を読み直してみようと思う。

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