蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

痛み

2024年02月25日 22時32分46秒 | Weblog

ロシアのウクライナ侵攻から丸2年、イスラエルのパレスチナ・ガザへの侵攻から約5カ月
どちらも停戦や終戦の気配はみられず、その方途も見出せそうにない。
プーチンやネタニヤフの考えることは、たとえ、彼らの言う「正義」を直接語られても理解できないと思う。
多くの無辜の人たちが命を落とし、生き延びても痛みに耐えていると思うと、小生の痛みなど痛みとも言えない。

歯医者に通い始めてほぼ2年になる。
最初は奥歯の被せが取れてしまっての受診、その治療が終わると前歯の差し歯が少しぐらついているとのことで、
それを入念に治療するのにけっこう通った。
その後は歯周病予防にと毎月定期健診的に通っていたなかで、昨年末頃に左上奥歯の歯茎が腫れたことで週一の通院に。
これだけ通っても馴れることはない。それが歯医者通いの宿命なのかもしれない。
さて、この歯茎の腫れをどう治療されるのかと戦々恐々だったのだが、なんと歯茎をレーザーメスで少し切って、
歯茎に隠れている炎症の元を除去するというもの。
もちろん、治療の際は麻酔をするので痛みを感じることはないが、歯根をガリガリと擦られているのは音と衝撃で分かる。
こうして腫れの元は取れたらしいが、切られた歯茎は元通りにはならず、歯根が少し露出したままとのこと。
歯根には神経があるので知覚過敏で食べ物が触れたり冷たい水で口をゆすぐと滲みるのだ。ぬるま湯なら滲みない。
歯科医先生曰く「あまりに滲みて耐えらんようなら神経取りましょう」
おいおい、わざわざ神経取るのか・・・勘弁して欲しいよ。
あれから3週間、切られた歯茎は治ったが冷たい水が滲みるのは変わらず見立てどおりの症状だ。
でも、その滲みる痛さにも心なしか慣れた感がある。
「痛み」の因果も分かってるから耐えていられるってのもある。
そう思おうとしているのかもしれず、それは麻酔して神経取られるのにビビッてるのもあるかもしれない。
ただ、思うに「痛み」があるというのは生きてる証だとも言える。

ウクライナやガザの人たちの痛みを引き合いにして言うような話ではない。
かなり昔、30歳代の頃、職場の年配者が飲んだ席で「人の痛みには百年耐えられる」とのたまわれた。
それは、仕事上の悩みを数人で飲みながら話してた時、悩みを抱えた人が苦しい胸の内を吐露した際の発言だった。
「人の痛みや悩みなんぞ知ったこっちゃない」というニュアンスが感じられる言い様である。
無神経なオッサンだと思った。今でもそう思う。
「痛み」には敏感でありたいと思う。
我が身の痛みもさることながら他者の痛みに。


この3連休、畑の土作りに勤しんだ。
花と野菜の土を混ぜ込んで、苦土石灰と肥料を鋤き込んで準備する。

ええ汗かいた。

と、放置状態のイチゴの苗に赤く色づいた実がついているのを発見。けっこう大きい。

暖冬の影響か、びっくらぽんだ。
日曜夕方、収穫して賞味しようとしたら・・・・がっび~~ん

何者かに喰いちらかれておった。くっそ~~~。

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小春日和・・・

2024年02月18日 22時45分22秒 | Weblog

2月というのに3月下旬とか4月の暖かさ、とのお天気情報、でも翌日には平年並みの気温に逆戻り。
寒暖の差が日替わりで大きく変わっていくヘンテコな気候。
だたし、この土日は2日間とも過ごしやすい良い天気、畑作業もずいぶんと捗った。
タイトルの「小春日和」
中学生だったと思うが、国語の時間に先生がこの言葉は何月頃のことを言ってるのか、と質問されて、
ほぼ全員が3月頃と答えたところ、正しいのは、真冬に晴れてポカポカする春のような日和のことを言うのだと・・・。
だから、立春過ぎてこの言葉を使うのは、正しい使い方ではないのだと教えてられた。

その先生の授業は独特で、あまり教科書を使って教えられた記憶がない。
どういう脈絡でそんな話になったのかは覚えてないが、ある授業では、川柳とか江戸小噺の話題になった。
「渡し舟 あとの婆あは 義理で抱き」
という川柳を黒板に書いて、どういう情景か分かるか、と生徒に質問した後に解説された。
記憶に残る先生の説明をここに書くような野暮なことはしないが、中学生にこんなの教えてどーすんだと思うが、
粋な先生だった。

もうひとつ覚えているのは、教科書に菊池寛の「形」という超短編小説が載っていて、簡単に解説された後、
生徒全員にこの小説の続きを考えてノートに書いてみなさいとの指示。
全員書き終わったら、各自歩き回って級友の書いたのを読んで、誰のが良かったかを発言させて、
書いた生徒がそれを読み上げる、という趣向の授業。
45分か50分の授業でよくそんなことできたな~と思うが、けっこうな人数が発表したと思う。
ある女子が小生の書いた話がいいと発言して読み上げたところ、先生が「美しいね」と言われて授業は終わった。
おぼろげに「続き」のあらすじは思い出せるが、そのノートはどこにいってしまったか・・・読み返してみたいものだ。
ともあれ、小生が文章を書くことに傾倒していったのは、この先生のお陰かもしれない。

実家から移植して2週間後の水仙


かなり生命力の強い植物らしく、土を選ばず、球根でも種子でもどんどん増えるのだとか・・・
いずれ我が家の庭は水仙だらけになるやもしれない。

 

ちょい悪さま:なんだか、どの国も政治のリーダーで”この人は”って人物がおらんですな。
       1960年代、アメリカはケネディ大統領に熱狂してたというのが古きよき時代ですな。

 

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少し春めく

2024年02月12日 22時46分40秒 | Weblog

建国記念日の振り替え休日の月曜日、朝から好天に恵まれて畑仕事日和だった。
土を耕すと、いまだに石がゴロゴロと出てくるわ出てくるわ・・・(涙)
以前だと50㎝とか60㎝とか掘って、大きな岩を掘り当てて取り除くのに悪戦苦闘していたが、
もう、そこまで掘るのはやめにして30㎝程度掘り返すことにした。
15㎝くらいの畝を立てるのだから、畝の天端からだと40㎝から50㎝の深さまで耕すことになるし、
大根以外はそこまで地中に育っていかない野菜がほとんどだし、、ということで手抜きすることにした次第。
これから春の彼岸までもうちーと畝作り作業が続く。

整地後の姿

かなり地味~な絵柄となってしまった。

今から不安を募らせてもしょうもない話だが、「もしトラ」なる言葉が広まっているらしい。
「もしもトランプが大統領になったら」世界秩序はどうなってしまうのか、既に分析が始まっているとか・・・。
アメリカ共和党の選挙でトランプが独走状態で、このままいけば次期大統領選挙の共和党候補になるかもしれず、
何故にトランプが受けるのか理解に苦しむが過激な発言が支持を集め、それを受けて発言が更に過激になっていく。
熱狂的支持者は当然のこと、ロシアのプーチンもトランプ復活を待ち望んでいるだろうとか。
一国の指導者が己の欲得で独裁を振るってその国の内に留まるのなら選んだ国民に影響が及ぶだけだが、
今や、一国内に収まらないほど各国利害は絡まりあっている。
アメリカ、ロシア、中国、、残念ながらわが日本を見つめると、岸田首相や政府、自民党の支持率が低下しても、
世界秩序にさしたる影響もなく、むしろ国内問題に手一杯で対外的に余計なことに口出しされずに済むわい、
ぐらいにしか思われてるんじゃなかろうか、と寂しい想いもするのである。

コメント (1)
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季節分けて季節立つ

2024年02月04日 22時00分49秒 | Weblog

旧暦でいう季節の分かれ目が節分で、その翌日が次の季節が立つということで「立春」
子供の頃「歳時記」といった言い習わしを耳にすることはあってもその意味を考えることもなく過ごしてきた。
こじんまりと野菜作りを始めてみて、昔からの言い伝えには先人の知恵と経験が詰め込まれていることに理解が及ぶようになった。
春からの野菜作りは、種まきや苗の植え付けに備えて立春から畑を耕し始めることをいうのだと分かる。
そして、春の彼岸までに種蒔きや苗植えを終えれば、それからの気候によって野菜たちは育っていく。
というようなことが「ときをためる暮らし」つばた英子・つばたしゅういちさんのききがたり本(文春文庫)に書かれてあった。
1928生まれの英子さん、1925生まれのしゅういちさんご夫婦が野菜作りや果実でほとんど自給自足の生活をされている様を語った本だ。

在宅してて見れるときには「ポツンと一軒家」というテレビ番組をよく見ている。
ざっくり言うと、山奥で隣近所と隔絶された一軒家で暮らしている人を訪ねていく番組である。
大概が高齢の方が多いが、たまに50代の住人の方もいたりする。
都会や街中暮らしと比べると不便さや不自由なことも多かろうが、皆さんがそこでの生活に満足されている。
家の周りの山からは沢山の恵みが得られ、自然豊かな生活環境はストレスもなく穏やかに暮らされている。
希望や欲もあるかもしれないが、それを言えばキリがないことは、都会や街中暮らしでも同じだろう。
むしろ、便利さに慣れて更に求めることができそうだと勘違いする環境のほうが欲は深くなるかもしれない。
つばたさん夫妻やポツンと一軒家に住む人の暮らしをひと言で言えば「足るを知る」生活ということなのだろうと思う。
暦の上では「春」、来週から畑仕事を再開してみよう。

 

実家の裏、旧河川敷を簡易舗装するという。そこに植わっている水仙を大量に掘り返して持ち帰った。
隣家との境際に防草シートを敷いている。

ちと殺風景なので、ここに植えてみた。

無事に活着してくれればええのだが。

 

 

 

 

 

 

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