蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

天皇誕生日・・・

2023年02月26日 22時45分43秒 | Weblog

以前にスキーに行ったのがいつだったか思い出せんくらい久しぶりにスキーに行った。

天皇誕生日の祝日、息子がスキーに一緒に行かないかと誘ってきた。7歳の孫も連れていくと言う。

冬、雪の多い鳥取に育ちながら子供頃、スキーなぞしたことがなかった。
親父にはそういった趣味もなく、小学校6年の時だったか、友だちが親子でスキーに行くのに誘われて
連れて行ってもらった一度きりである。
記憶に残っているのは、なだらかな斜面をまっすぐ滑ったのと昼に食べたラーメンが美味かったこと。
スキーを楽しんだなんて記憶はない。子供の頃の記憶はその1度だけである。

スキーにのめりこむようになったのは成人してからのこと。
結婚して息子が生まれて、4,5歳くらいから連れていってはスキー板をはかせてなだらかなゲレンデで遊んだ。
こけて立ち上がれずに泣き喚いたが、不思議と「スキーは嫌だ」とは言わなかった。
息子が就職して家を出るまでに一緒にスキーに行ったのはいつだったろう。
中学生にもなると親と一緒に遊びに行くなんて、自分を振り返っても気恥ずかしやらウザいやらで、敬遠されて当たり前だと受け止めていた。
だから、息子が小学生までとすると、25年以上昔ということになる。
ただ、息子は中学、高校の時にも友人とスキーには行っていて、スキーバス乗り場まで送迎していた記憶がある。

今から10年近く前だろうか、息子がまだ独身だったとき、何を思ったのか、一緒にスキーに行こうと誘ってきた。
少々億劫な気分を女房に吐露したら「せっかく誘ってくれとるのに億劫だなんてバチあたりだ」となじられた。
気を奮って行ったのだが、愛用のスキー靴は、長年放置していたせいで劣化が進んでいて、
リフトを降りて歩くたびに破損していって、歩いた後ろにはカケラが点々と残っている始末。
レンタルスキーで滑ったのだが、その日のことはスキー靴がボロボロに崩壊したという記憶しかない。
今回、親子3代でスキーに行くという機会を逃すと、この先、何時行けるか分からんしな~との思いや
かなり久方ぶりでも多少は滑れるだろうといった気持ちもあって行ってみることにした。

「氷ノ山国際スキー場」、頂上が鳥取県と兵庫県の県境にある氷ノ山。
その兵庫県側にあるスキー場、我が家からは車で1時間ちょっと、息子が住む京都府下からは2時間半。
道中は路傍に雪が残っているが道路には雪もなくスキー場駐車場も地面が出ている。
年取ったせいか雪道の運転に微かな恐怖心を感じるようになっているので無事の到着に安堵した。
天候は風もない曇り空、薄霧が立ち込めているのがいずれ晴れると予感させる。
そして、予感どおり、晴れた。

向こうに見えるのは「ハチ高原スキー場」

まだ、ボーゲンでゆっくりとしか滑れない孫はスキースクールに入れてインストラクターに預ける。
息子を連れて行っていた30年前、お金がなかったのもあったが教えてやれば滑れるようになるだろと、スキーと同じで我流の判断。
スクールできちんと覚えさせようとする息子をみて、今にして思えば、息子に悪いことしたなと思う。
さて、息子と二人でリフトを降りて恐る恐るの滑り出し、初めてのカービングスキー、ちょっと膝を傾けて外脚の土踏まずに加重してターン、
脚を踏みかえてのターン、あ~身体が覚えているもんだな~とちょっと嬉しい気分。
圧雪してないとこに突っ込んで転倒したり、スピード制御ができずに転倒したりはあったけど、なんか、まだイケそうだと感じた4時間。
数年間、運動らしいことをしておらずの体力低下、脚力低下で踏ん張りが効かないことが歯がゆい。
それでも、転倒して息子にいじられたり、スクールの合間に息子と孫と3人で孫のペースに合わせて滑ったりでとても楽しかった。
帰りの道中、そうしことを思い出し、こういうのを細やかな幸せというんだろうなと思った。

 

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本、徒然・・・

2023年02月19日 23時11分59秒 | Weblog

久しぶりの週末の雨・・・空は見えず、気球やらも見えず。
アメリカで中国から飛来した気球が、過去に日本でも飛来していたことがあって、その時はただただ
眺めていて何の騒ぎもせんかったのに、アメリカで撃墜したとたんに、日本政府は大騒ぎである。
「正当防衛の範囲を超えても撃墜できるように法律解釈を変更すべきだ」といった議論まで出ている。
過去にスルーしておいて、アメリカが撃墜したらそれに追随して議論沸騰・・・
なんだかみっともない感が否めない。ま、今に始まったことじゃないんだけどね。


読書は趣味というか生活の一部みたいなもので、本が身近にない生活というのは考えられない。
活字に飢えているとも言える。新聞も1面から最後のページまで残さず読みたいけど、
時間も限られるなかでは興味ある記事を拾い読むことで我慢している。
そんな新聞の読み方のなかで、毎週欠かさず隅々まで目を通すのが「書評」のページである。
読み切れないときは、書評ページを破って「積ん読」状態にしておいて、トイレに持ち込んで読むとか、
寝る前に読み切るようにしているが、溜まる一方である。

書評を読んで気になる本の記事はスマホで撮影して記録している。
また、著名人が過去に読んで刺激を受けた本を10冊ほど紹介する記事も掲載されていて、
気になるとそのリストもスマホで撮ったりしている。
昔は手書きでメモしてたけど、今は便利になったものだ。
もちろん、今度本屋に行って買い求めるかもしれない用の備忘である。

ところが「書評」を読んで実際に買った本というのは実は少ない。
と書いてきて、考えたこともなかったが、なんで書評をこれほど気にして読むのか。
ひとつには、数千円もする何百ページもある本の中身をギュギュッと簡便に紹介してくれている。
それでなんとなく分かったような気分にさせてくれるからかもしれない。
あるいは、たまに知っている著者の本だったりすると「ほっほ~、そういう読み方をするんか」
といったこともあったりする。
新聞以外でも、たまに喫茶店で読む週刊誌でも、やっぱり書評のページに目がいく。
週刊文春に掲載されていた立花隆さんの「読書日記」はかなり面白かった。

そうして紹介されている本の半分くらいは読んでみたい気にさせてくれる。
12冊紹介されていたら6冊くらいに興味を掻き立てられるということになる。
これはけっこうな確率でその気にさせられているのではないだろうか。
書評氏の思うつぼである。でも、実際に買うことは稀なので、思うつぼに完全にはまったわけではない。
なんで書評に興味惹かれるのかよう分からんが、自覚できるのは「本が好き」ってことくらいか。
ただ、こうして興味を持つというか好奇心を持つというか、
そんな気持ちをボケずに死ぬまで持ち続けられたらええなぁ~と思うのである。

こういう本ばっか(でもないけど)読んどるから斜になるんだよな。

 

ちょい悪さま:コメ、ありがとうございます。
       「蕎麦会」ええ晩じゃったですね、ほんとに。
       食べ、飲み、騒いで、時に語らい、また大笑いして、「大人のオフ会」
        あまり細かく思い出すと切なくなるので、ほどほどにして。

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何のために

2023年02月12日 22時28分50秒 | Weblog

目指すべきところが曖昧だとか見据えられてないとか、そもそも何を目指しているのか、
やってる本人が分かってないから見てるほうも訳が分からない。
岸田政権のLGBTQ対応として、秘書官の失言暴言からにわかに始まった「理解増進法案」の検討。
そもそも、世の中は既に「理解する」段階は超えているんじゃないかと思うのに、
今頃になって「理解増進」を法律で決めなくちゃいけん話か。
理解が進んでいないのは、自民党自身じゃないのか。自分たちに向けての法律かと笑いたくなる。


以前、鉄道模型は危険な趣味のひとつだと書いた。まだある危険な趣味の話である。
ずいぶん昔に見ていた雑誌付録の通販カタログで見たキャッチコピー「最も危険な男の趣味 蕎麦打ち」のめり込むと、場合によっては悲惨な結末になるかもしれないらしいからである。

その当時、初めて蕎麦打ち体験をしたかなって時期で、「ほ~~ぉ」という感じで見ていたのだが、
蕎麦打ち体験を重ねるうちにその危険さを感じるようになった。
最初の頃は当然ながら下手っぴである。でも、せっかく打った蕎麦だからと試食する。
家族も巻き添えになる。今思えば、随分と不味い蕎麦を食べさせてきたと思う。
しか~し、回数重ねると徐々に腕は上がってきた、と思う。
そして、大胆にも家族に留まらなくなり、親しい人や会社の部下に振る舞うようになっていくのだ。
「蕎麦会」と称して、酒肴を取り揃えての宴会を開き、皆がええ加減に酔っぱらった頃合いで
「締めの蕎麦」とか言って振る舞うのである。

もちろん、手打ち蕎麦なので、宴会の前に蕎麦打ち実演を見てもらうという趣向である。
そうした蕎麦会を開くこと幾度かに及び「蕎麦打ちが趣味」と認知され、蕎麦も「そこそこ」に賞味してもらえる。
これが「美味しかったです。」で済んでいるうちはいいが「これならお店できるんじゃないの」
などと言われると、お世辞が過ぎとることにも気づかず、図に乗ってその気になったりするのである。
そして、本当に図に乗って脱サラして手打ち蕎麦屋を初めてしまう御仁がいるのだ。
そのあたりが「危険な趣味」と言われる所以だと思う。
でもね、趣味で蕎麦打つのと職業として手打ち蕎麦屋やるのとでは雲泥の差がある。

実は、手打ち蕎麦屋の店主に何年間か蕎麦打ちをご指南いただいたことがある。
月に2、3回通ってたから結構修行させてもらったと言える。
好きで通っているし上手くなりたかったから楽しかった。
その店主曰く「蕎麦打ちは打てば打つほど上手になるし、美味しい出来にもなる。
けど、蕎麦屋をやろうなんて思わんほうがええで、趣味でやっとるうちが楽しいんじゃけ。」
としみじみと言い含めるように語ってくれた。

その店主のもとには、小生含め4人ほど入れ代わり立ち代わりで修行者がいた。
いわば私の兄弟弟子である。
そのうちの一人があろうことか、本当に脱サラして蕎麦屋を始めてしまったのである。
一緒に修行してるときは、それほど上手には見えんかったので、余計びっくりだった。
風の便りに聞いて本人からは何の連絡もないので今だにお店に伺ったことはないが、
数年前にお店を取材されてるテレビ番組を見て、お~~続けられてるんだと安堵した記憶がある。

今では、蕎麦会を開くこともなく、大みそかに年越し蕎麦を打つくらいになってしまった。
年に一度だが、手順が身体に滲み込んでいるようで、特にまごつくこともなく打てる。
あ~~、蕎麦打ちして~~。



今週の一枚

「沖縄そば」近くの道の駅での沖縄イベント。

「東屋プロジェクト」の進展

束石に柱を乗せて間隔を調整。イメージが徐々に固まってくる。ワクワクする。

コメント (1)
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いくら聞いても・・・

2023年02月05日 22時23分53秒 | Weblog

1週間ぶりの好天、外出はせず庭仕事とテレビ、読書で過ごす。


防衛費増額に絡んで、防衛力強化の話が報道される。
本当は逆なんだけど、政府の説明からはとにかく防衛費を増やしたいがために防衛力強化を言うてるようにしか見えない。
今の防衛力では「相手側のミサイル発射、特に第一撃を事前に察知して阻止することは難しい」から
「相手側がミサイル発射に着手した時点で反撃する能力を持つことは有効」との論理展開。
ただ、何をもって「着手した」という定義を示すのは難しいとの見解。

搬送式のミサイルを稼働させた時点なのか、ミサイル発射ボタンに指を乗せた時点なのか、
相手側の心の内と行動の両方が分からなければ「着手した」と言い切るのは至難の業、
ほとんど不可能と言ってよい。
だから、「定義」を示すのは難しいというのももっともだろう。
別の見方をすれば、「定義」めいたことを考えていても、軽々にしゃべるわけにもいくまい。

「正当防衛」という概念がある。
反撃しなければ危険が身に迫る状況での攻撃は正当とみなされる。
もちろん、そういう場面に直面したことはないが、もし仮に第三者がいないところで客観的に
「正当防衛」を証明する手段も証拠もない状況で相手を殺してしまったとして
「正当防衛」を主張して聞き入れてもらえるのだろうか、と思う。

アメリカでは相手の目の前で上着の内ポケットに手を入れる仕草だけで銃で撃たれてもしょうがない、
らしい。
たとえ、内ポケットには何も入ってなかったとしても。
だから、内ポケットに手を入れる前に上着の内側を見せるようにめくって武器とか持ってないことを
見せてからポケットのものを出す、ってのがマナーだとか・・・映画の見過ぎかな?

アメリカ、中国、ロシア、ついでに北朝鮮、それぞれの国民性や指導者層のメンタリティは日本人には理解できん部分も多い。
彼の国々には「相手が上着の内ポケットに手を入れる仕草」だけで自分を攻撃すると思い込んでいるように感じられる。
日本も最近かなり物騒になってきているが、日本人のメンタリティは刀を抜かれて剣先を向けられて「自分への明確な攻撃意図がある」というのがしっくりくる感性だ。
刀を抜く仕草だけでは反撃するにはまだ早い。反撃していいのは拳銃でいえば「引き金に指を掛けて銃口を向ける」という場面か。

政府のいう「着手時の攻撃能力」の話を聞いていると、要するにアメリカ流に「内ポケットに手を入れそうになったら撃つ」ってことなんだな、そんなふうに思える。
どの国も疑心を持つ相手に「上着をめくって内側を見せる」ということをせず、猜疑心を募らせて、遂にプーチンは一線を越えてしまった。
日本人のメンタリティではこの複雑な情勢に対応しきれないとは思わない。
ただ、メンタリティの問題ではなく、ここまでアメリカどっぷりに浸った日本の立ち位置が身動きの難しさを深めているように思われてしょうがない。
だから、いくら聞いても腑に落ちない、理解できない。

 

節分の恵方巻
仕事上のおつきあいで、5軒のお店のを購入

これは土曜日お昼の分、前日金曜日の節分に同じくらい食べてるんだけど・・・。
当分、巻き寿司は・・・・・・。

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