実家の近所の神社に初詣に行きました。
畑が広がるのどかな田園風景にこんもりとした森、その中に小さな神社があります。
応仁の乱の頃に建てられた由緒ある神社です。
田舎の神社でも、元日はさすがにお参りに行列ができるほどで、三十分近く待ってようやく十五秒くらいのお参りができました。
初詣というのは本当に国民的な行事ですね。
ところで、この神社の参道に最近できたらしい立派な記念碑が建っていました。
誰の言葉かは分かりませんが、碑にはこう刻まれていました。
「運命は自身で切り開くもの」
よい言葉です。
他人の力を借りず、自分自身で運命を切り開いていく強さが今の時代必要でしょう。
などと連れと話しているうちに、「あれ?」と気づきました。
この言葉って、これから神様に願い事をしようとしている皆さんにとっては・・・微妙ですよね。
神様への信心を否定しているようにも聞こえますし、願い事をかなえるのは神様ではなく自分の力だ、という責任逃れのようにも聞こえます。
言葉自体はとてもよい響きなのですが、よい言葉も時と場合によりますね。
今年はぜひ、自分の力で運命を切り開いていきたいものです。
畑が広がるのどかな田園風景にこんもりとした森、その中に小さな神社があります。
応仁の乱の頃に建てられた由緒ある神社です。
田舎の神社でも、元日はさすがにお参りに行列ができるほどで、三十分近く待ってようやく十五秒くらいのお参りができました。
初詣というのは本当に国民的な行事ですね。
ところで、この神社の参道に最近できたらしい立派な記念碑が建っていました。
誰の言葉かは分かりませんが、碑にはこう刻まれていました。
「運命は自身で切り開くもの」
よい言葉です。
他人の力を借りず、自分自身で運命を切り開いていく強さが今の時代必要でしょう。
などと連れと話しているうちに、「あれ?」と気づきました。
この言葉って、これから神様に願い事をしようとしている皆さんにとっては・・・微妙ですよね。
神様への信心を否定しているようにも聞こえますし、願い事をかなえるのは神様ではなく自分の力だ、という責任逃れのようにも聞こえます。
言葉自体はとてもよい響きなのですが、よい言葉も時と場合によりますね。
今年はぜひ、自分の力で運命を切り開いていきたいものです。