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この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

台湾の日本語教育の歴史

2021年05月12日 | 歴史の話し

台湾は日本への留学生の多い国の一つです。また高齢の方の中には日本語を話す人もいます。台湾における日本語の歴史は百年以上前に遡ります。

日清戦争で日本が勝利した1895年から第二次世界大戦後の1945年まで、日本は台湾を統治していました。

この間、日本政府は台湾での日本語教育に力を入れていました。

きっかけを作ったのは、文部官僚で音楽教育の専門家の伊澤修二(1851-1917)でした。彼は日本が台湾を領有すると、台湾に渡り、統治教育の先頭に立ちました。1895年6月に台湾の芝山巌(しざんがん)に小学校を設立し、7名の教師とともに台湾での教育をスタートします。

ところが翌年の正月、伊澤が一時帰国している最中に、台湾に残っていた6人の教師が抗日勢力に襲撃されて殺害されるという事件が起こります。芝山巌事件です。

しかしその後も日本による台湾における教育強化は続き、台湾人が日本語などを学ぶために「公学校」を作り、さらに1922年に新しい台湾教育令が公布されると、日本人と台湾人の共学となり、台湾人が通った公学校などもすべて「国民学校」に統合されました。

台湾人にも中等教育機関に進学するための日本語能力が要求され、有力新聞における漢文欄の廃止、会社などにおける日本語使用の徹底などが図られます。これらは当時の皇民化教育の一環ではありましたが、一方で台湾における初等教育の就学率は、日本統治時代が終了する頃には70%に達したと言います。

戦後しばらくは、台湾では中国語教育が進み、日本映画の上映や、放送など公式の場での日本語使用は禁止されます。

さらに日中国交正常化に伴う日台断交の時代(1972年~1986年)を迎えますが、そんな時代の中でも日台間の文化・経済交流は続き、日本語教育の需要は高かったと言います。

そして1987年に戒厳令が解除されると、外国語教育の推進とともに日本語教育は前に進みます。1996年には、高等学校で第二外国語教育が導入され、2000年代に入ると、小中学校でもカリキュラムや課外活動に日本語教育が取り入れられるようになりました。

今台湾では、日本語は英語に次いで学習者の多い言葉になっています。

背景には、台湾での良好な対日イメージがあります。

日本台湾交流協会が2019年に実施した世論調査では、「最も好きな国は日本」という答えが59%に達しました。

新型コロナ以前の、2018年の台湾からの訪日者数は476万人、過去最高を更新しています。

百年以上に及ぶ複雑な歴史の紆余曲折を経て、台湾での日本語学習者は着実に増えているようです。

参考サイトは

台湾の日本語教育の歴史→国際交流基金のページ

※こちらも

あぐらの歴史話

 


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