言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

秘すれば花

2007年10月27日 | 伝統文化
世阿弥の言葉の中で「秘すれば花なり」というのがあります。
花は咲き乱れるのが美しいのではない。
その美を内に秘めている美しさこそが、最も崇高な美である、という精神です。

利休が愛したという和歌の中に、新古今の藤原家隆の歌があります。

花をのみ待つらん人に 山里の雪間の草の春を見せばや

春の壮麗な花が咲くのを待っている人に、山里の雪の間から顔を覗かせた一輪の草花から感じられる春の息吹を伝えてあげたい。
「わび」の心をよく伝える歌として、茶の湯の世界では有名な歌です。

秘めたところにそこはかとなくにじみ出る美に、真の美しさを見出す。
日本人特有の感性です。

言葉の世界でも同じです。
「あなたを愛しています」
とストレートな表現で愛を伝えると、かえって伝わらない。

花の色に託したり、夜見た夢を伝えたり、相手がいなくなったらどう思うかを仮定してみたり…。
間接的な言葉や情況を伝えることで、いかに愛しているかを感じてもらう。

まどろっこしいようですが、万葉の時代から日本人は伝統的にそのように愛を伝えてきました。

一番大切な言葉は、あえて秘しているからこそ、思いが余計に伝わる。
日本語を使う時の、極意の一つかもしれません。

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広辞苑の改訂

2007年10月24日 | ニュース
広辞苑が十年ぶりに改訂されるのでそうです。
24万語のうち、1万語が新しい言葉なのだとか。

デパ地下、着メロ、いけ面、うざい、癒し系、ニート。などなど。

こうして見ると、新しくできる言葉というのは、ある単語と単語を足したりかけたりして、それを省略してできるパターンが多いですね。

デパートの地下で、デパ地下。
着信の時に流れるメロディで、着メロ。

それにしても、全単語のうち、4%程度がこの十年に生まれた単語ということになります。
時代が変化し、新しいモノや新しい文化が生まれないと、新しい言葉は生まれません。
それだけこの十年で時代が変わったということなのでしょう。
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消えるDT

2007年10月23日 | ニュース
DTって何の略でしょうか。
答えは「ドライブインシアター」。
駐車場に車を止めて、車に乗ったまま巨大スクリーンに映し出される映画を楽しめる、というものです。

ちょっと面白いニュースを見かけました。

「ドライブインシアター」(DT)が、姿を消しつつある。
全盛期の90年代初頭は全国20カ所以上にあったドライブインが次々と廃業し、
11月には、国内に残る常設のDTは神奈川県大磯町の1カ所だけになる。

というのです。

その背景には、シネコンの台頭があるといいます。
10本くらいの映画の中から見たい映画を自由に選べるシネコンの登場で、
「見る作品を決めて来る」のではなく「映画館に行ってから見る映画を決める」という人が増えたというのです。

私はもう一つ、車に対する意識の変化も大きいと思います。
かつて車は、デートの必需品でした。
どの車で、どこへ行くのか。
そんな時代には、車で行ける、しかも車を降りなくても映画が見られる、というのは魅力あるスポットだったのでしょう。

しかし、今は車は「単なる移動手段」としか考えていない人が増えているといいます。
車でのデート、という構図が崩れた瞬間に、DTは必要なくなっていたのかもしれません。

「モノ」がなくなると、そのモノを指す「言葉」も消えるのが運命です。
90年代に鳴り物入りで登場した「ドライブインシアター=DT」。
20年足らずの間、世に存在したこの言葉も、まもなく忘れ去られていくのでしょう。
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ロボットの心

2007年10月21日 | 言葉
「ロボットってどんなイメージ?」
と西欧の人に聞くと、多くがベルトコンベアで運ばれる製品に、自動的にビスを止めたり塗料を塗ったりするマシンのことをイメージする、と言います。

日本でもそういうイメージがないわけではありませんが、どちらかというと、日本ではロボットといえば、鉄腕アトムやドラえもん、あるいはホンダが開発したアシモ君のように、二足歩行の人間のようなロボットを想像するのではないでしょうか。

robot=ロボットという言葉は、チェコのカレル・チャペックという劇作家が「ロッサム万能ロボット製造会社RUR」という劇中で使った造語がその始まりと言われています。
robotの語源は「強制労働」という意味で、そもそも西洋ではロボットは人間の代わりに厳しい仕事をするための道具として認識されていました。

しかし日本では、ロボットは人の形をしていて、きっと未来には人の心すら持つロボットが生まれるはずだという意識が強いです。
アトムなどの漫画やアニメの影響が大きいのでしょう。

しかしもっと歴史をたどれば、江戸時代には「からくり人形」と呼ばれる機械仕掛けの人形がありました。
これらは、電気こそ使っていませんが、人の形をしていて、ぜんまい仕掛けでお茶を運んだり芸を見せたりして人々を喜ばせました。
「強制労働」というよりも「人間の友達」といった感覚でした。

日本人は、元来生物でない「モノ」にも魂が宿る、ということを信じられる精神性を持っていました。
山は神様であり、木々には精霊が宿り、一粒一粒の米にも神がいると考えられてきました。
そうした自然信仰の社会では、人型の人形やロボットに、人の心や魂が宿っていてもなんら不思議はないと考えることができるのです。

同じ言葉を使っても、洋の東西で捉え方はずいぶん違います。
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日ハム、梨田新監督の言葉

2007年10月21日 | スポーツ
中日ドラゴンズが巨人を三連勝で下し、日本シリーズ進出を決めました。
これで日ハムと中日の、二年連続同一カードでの日本シリーズが決まりました。
昨日から今日にかけての野球の話題は、このことで持ちきりです。

その陰に隠れ目立ちませんでしたが、日ハムの新監督・梨田昌孝さんの北海道での記者会見の様子が報道されました。

かつて近鉄の名捕手としてならした選手で、その後近鉄の監督も務めていました。
なかなかの男前で、選手時代は女性ファンも多かった人です。

会見ではこんな言葉が出てきていました。

「日本一のチームを率いるというプレッシャーを感じる」。
「選手たちにはプレッシャーを感じさせたくない」。
「それぞれの選手の潜在能力を引き出し、個性ある集団にしたい」。

かつて近鉄の黄金時代の中心選手だった梨田さんらしい言葉ばかりです。

二年連続パリーグを制した時代、近鉄は超個性派集団でした。
一番ながら三十本のホームランを打つ平野。
かがむような独特のフォームの小川。
セパ両リーグでのホームラン王を獲得したマニエル。

そんな中で、ひときわ個性の強かったのが梨田選手の「こんにゃく打法」でした。
打席に立つと、バットも体もぐにゃぐにゃとゆれ始め、その動きの中から鋭いスイングが生み出されます。
普通の監督やコーチならノーマルな打ち方に修正するところですが、当時の西本監督は選手の個性を重んじ、のびのびとプレーさせていました。
その指導方針が、個性的でありながら、破壊力抜群の強力な打線を築いていました。

その経験を持つ梨田監督だからこそ、今になってもこうした言葉が自然に生まれるのだと思います。



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