言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

槍投げについて

2009年08月30日 | スポーツ
ベルリン世界陸上が、意外な盛り上がりを見せました。
ボルト選手の世界記録も驚きましたが、槍投げで村上幸史選手が銅メダル。
同競技では、世界選手権・オリンピックを通じて日本人選手のメダルは史上初という快挙だそうです。

ところで「槍投げ」は、英語ではjavelin throw というのだそうです。
槍というとspearという言葉を知っていたものですから、「あれ?」と思い辞書を引いてみました。
すると、日本語の「槍」は英語では重さや使い方によって幾つか種類があるようです。
spear  ついたり投げたりする槍で比較的重いもの。
javelin 投げ槍でspearより軽い。多くの場合競技用のものをさす。
lance  槍で軽いもの。魚をつくもり。
dart   投げ矢。もともとは投げ槍を指していた。
pike やりや矛、またとがった先。

西洋では、武器としての槍が日本よりバラエティ豊かに発達したようです。
また「騎士道」の象徴として、槍が考えられているようです。
日本では、馬上で槍を振り回すよりは、弓を打つのが発達しました。
ですから、武士の道を「弓馬の道」と言います。
槍はどちらかといえば、歩兵が持ち集団戦に使うことが多かったようです。

戦国時代に鉄砲が伝来し、武器の世界に革命が起きて以来、槍の戦場での重要度は低下しました。
その後、江戸時代になると、武士の象徴は槍や鉄砲よりもむしろ刀と考えられるようになりました。

こうした歴史の違いが、言葉のバラエティにも少し表れているようです。
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夏の星

2009年08月07日 | 星の話し
さそり座は、夏の南の夜空にひときわ明るく輝く星座です。
中でもさそりの心臓部にあたる赤い星「アンタレス」は、日本でも赤星などと呼ばれ全天でも最も有名な星の一つです。

ギリシャ神話では、さそり座にまつわる様々な伝説があります。
よく知られているのは、オリオンとの因縁。
ポセイドンの息子で荒くれ者だったオリオンをこらしめてやろうと、ゼウスの命でサソリにオリオンを刺した。
以来、夜空にあがっても、オリオンはサソリが空に上がる頃には西の地平に沈むというものです。

ところで似たような話が中国にもあります。
中国には、仲の悪いもの、あるいは滅多に会わない二人をたとえて「参商」という言葉があります。
かつて大変仲の悪い兄弟に手を焼いた父親が、二人を遠くに住まわせ、参(オリオン)と商(さそり)の星をそれぞれつかさどらせることにした。
以来、二人は二度と顔を合わせることなく、平和が訪れた、というものです。

東西で同じ星をめぐって似たような伝説が生まれるのが、面白いところです。
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言葉を「借りて」

2009年08月06日 | 言葉
借りる、という日本語は実に様々な用途に使います。
金や物を借りる場合はもちろん、レンタカーや機器のリースも「借りる」だし、モノでなくても「力を借りる」や「手を借りる」などと言います。
また「彼の言葉を借りて」「人の名前を借りて」など、何かを別の用途に使う場合にも使います。

こうした日本語の「借りる」は、英語では細かく言い分けられています。

通常、無償でモノを借りて、後で返すことを前提にしている場合、borrowを使います。
May I borrow this pen?(このペンを借りていいですか?)
ペンなど、特に貸し借りに賃料が発生しないものの場合です。
図書館で本を借りたり、友人に車を借りたりする場合もそうです。

これが有償となると、rentやlease、hireなどを使います。
lease a building(ビルを借りる)
I rented this CD for a week. (このCDを一週間レンタルした)
hire a boat (ボートを借りる)
など、借りるものや期間などによって動詞を使い分けています。

また日常生活で電話を借りたり、トイレを借りたりするのを断る場合は、
Can I use a phone?
で事足ります。

また「彼の言葉を借りて」などと言いたいときは
in his words
などと表現できます。

こうした日本語と英語の差は、東西の契約文化の考え方の違いに影響しているのでしょう。

西洋は契約社会といわれます。
それを借りるのが、有償なのか、無償なのか、返すのはいつか、返す義務はあるのか、など、条件をクリアにして借りるのが、社会のルールに叶ったことであり、誰もがその意識を強く持っています。
日本では、近年意識が変わってきたとはいえ、まだまだ日常生活のレベルでは、モノを借りた時に代金が発生するのか、いつ返すのか、などは、クリアにせず、社会常識の範囲内で考える、という習慣が根強く残っています。
何かを返したら、言われなくても気持ちを品で返す、という類の習慣です。
契約よりも気持ちが優先される。
だからそれを言葉でクリアにするのも、ちょっと憚られる気持ちがあるのでしょう。

「これ借りるね」などという場合に、有償か無償かは、あうんの呼吸によるところが大きいものです。

逆に、その分、人の言葉を借りたり、名前を借りたりする時にも「借りる」という言葉を使うのは、感謝の気持ちを込める意味があるのでしょう。
言葉を借りるのは、モノを借りるのと違い、代金が発生する類のものではありません。(最近は例外もありますが…)
それでも、人の発した言葉を使うことに対して、それは金を払うにも匹敵するありがたさがある、というある種の敬意が、「借りる」という言葉にこめられているのでしょう。

契約社会と気持ちの社会。
当然のことながら、言葉の使い方にも差が出てくるものです。
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