言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

名残の白魚

2012年04月30日 | ニュース
初夏の京都に行きました。新緑の美しい季節です。
竹屋町通りの一角にある京料理店で夕食をとることになりました。時間を見計らって夕時に店に着き、扉を開けると、中は白木のカウンターに六席ばかりの小さな店です。厨房では、主人と、奥さんらしき女性の二人がてきぱきとした手つきで働いています。
 料理は素材の味をそのままにいただくシンプルで奥の深いものでした。サヨリのお造り、ウルイと鯛のサラダ、筍と青のりのたきもの、茄子と里芋と蕗の炊き合わせ…。一つ一つが奇をてらわず、上品で、素直に口の中に入る味でした。この味を保つには、かなりのこだわりを貫いているように思えました。
 そのご主人が、次に出す料理を説明するのにこんな言葉を使いました。
「次は名残の白魚です。和歌山から担ぎのものですわ。漁場(ぎょば)から毎朝ね」
 いかにも、頑固に味を守っている主人らしい言葉です。

 「名残(なごり)」とは、季節感を大切にする日本料理ならではの言葉です。「旬」の素材を使うのはもちろんですが、少し季節を先取りした素材を「走り」、一方その季節の最後に出てきた素材を「名残」と言います。懐石などでは、走りや名残の素材をうまく混ぜながら献立を作り、季節の流れを感じられるように作ると言います。白魚(シラウオ)は、早春に旬を迎える魚で、四月の下旬に出てくるものは「名残」となるわけです。
 「担ぎ(かつぎ)」とは、かつて京都に魚を運んだ行商人のことで、転じて京都に新鮮なまま運ばれた魚のことを「担ぎの魚」というのだそうです。海から遠い京都では、海の魚を新鮮なまま食べるのは難しいことでした。しかし高貴な身分の人たちは海魚を求め、それに応えるために商人たちが海水の入った籠に魚を入れて生きたまま運んだと言います。そんな歴史が「担ぎ」という言葉を今に残しているのです。
 ギョジョウと言いたくなる「漁場」という言葉を、あえてギョバと発音する辺りも、このご主人の粋な心を感じます。

 言葉は文化とともに生きるものです。東京ではあまり聞かなくなった言葉も、歴史と伝統が息づく京都では、まだまだ巷で聞かれます。そこに京都の奥の深さを感じました。





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