はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

藤枝ハイキングコース案内NO16

2018-04-28 12:06:40 | 藤枝ハイキングコース




                                                    ↑藤枝市HPより


               
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  岡部町玉露の里方面のバスは自主運行バスで岡部支所前から出ています。藤枝駅からは中部国道線に乗車し岡部支所前で下車。
国道を横断した酒屋の前がバス乗り場です。
ハイキングコースの出発地は道の駅ですので勿論無料の駐車場はあります。本数の少ないバスより車の方が便利です。

             1・ 道の駅「玉露の里」                            2・ 道の駅「玉露の里」
 
 1・ 従来の玉露の里は川を挟んだ道向こうですが、道の駅は県道に面した所にあります。
 2・ 食堂や土産物売り場もあります。

              3・ 万年寺入口                                    4・ 万年寺のカヤ
      
 3・ 道の駅から県道209号線を北に少し戻った道の右側にハイキングコース入口の万年寺はあります。
 4・ 万年寺のカヤは県指定の天然記念物です。

              5・ 冠木門を潜る                                6・ 鉄柵の間を直進
 
 5・ カヤの木の上に見える冠木門を潜ります。
 6・ 冠木門を潜り茶畑を登った先で道が分岐していますが直進します。

              7・ 茶畑の間を行く                               8・ 農道を進む
 
 7・ 茶畑の間にある標識に従い左折する。
 8・ 茶畑を出たら農道をしばらく歩きます。

              9・ 倒れている標識                            10・ 舗装の無い道に入る
 
 9・ 突当りの丁字路を左に曲がる。
10・ 舗装された農道は右に行くが、ハイキングコースは無舗装の道を直進する。

            11・ 山道になる                                 12・ 休憩ポイント
 
11・ 道はすぐ山道になる。
12・ 四阿やベンチがある休憩ポイント。

              13・ 朝比奈城跡                              14・ 城跡の案内板
 
13・ 休憩ポイントから一登りすれば朝比奈城跡に到着。
14・ この辺りが朝比奈城址の一ノ曲輪でしょうか。ここからは景色は見えません。

              15・ 城跡の上を行く                             16・ 林の中の道
 
15・ ハイキングコースは城跡の上(北)に続いています。この辺りにも城の施設があったのか比較的平らな所が続く。
16・ 少し上り勾配の林の中の道。

              17・ 四 阿                                 18・ 掘割か
 
17・ 緩い上りも四阿までで、ここから下りになる。景色は・・・・・・・・・
18・ 自然の地形か掘割跡なのか? 鞍部が少し凹んでいる。

             19・ 作業小屋                               20・ 茶畑の下り道
 
19・ 作業小屋の横を下る。
20・ 茶畑の間の道を次の作業小屋に向かう。

             21・ 麓の集落                            22・ 善能寺の墓地
 
21・ 下に見える集落は宮島のようです。
22・ もうゴール間近の善能寺の墓地が見えた。その下にはバスが走る県道も見える。

               23・ 車道に合流                             24・ 善能寺
 
23・ 墓地の横を下ると車道に合流します。
24・ 善能寺。

          25・県道に合流                     26・新舟バス停
 
25・ 善能寺の参道を下れば県道に合流。
26・ 新舟バス停。

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景  色 =         特に景色を眺める場所は無い。
登山道 = ★★★★★ 問題ありません。
道  標 = ★★★★★ 問題ありません。
見  所 =        朝比奈城址の案内が少ない。
総  評 =        態々このコースだけを歩きに行く価値はない。玉露の里や流星の打ち上げ見物の
                時についでに歩くで十分です。          
難易度見直し =    何故中級なのか理解はできません。初級で充分です。

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藤枝市ハイキングコース案内(メニュー)

2018-04-26 11:53:53 | メニュー
           藤枝市認定ハイキングコース案内
      コース名      難易度  所要時間    距 離  見直難易度
 1 ・ 東海自然歩道A    初級  7時間30分 16.6km
        〃   B    初級  4時間32分  5.7km  
 2 ・ 高根山          初級  4時間分25  5.2km
 3 ・ 高尾山          上級  5時間10分  9.7km  上級
 4 ・ びく石  B       中級  3時間20分  3.7km  中級
     〃   A(仙沢)   中級  4時間20分  6.7km  上級 に見直し 
     〃   A(剣ヶ峰)  中級  4時間20分  6.7km  上級 に見直し                                     
 5 ・ 椿山・菩提山      上級  6時間05分 12.5km  上級
 6 ・ 中里・滝ノ谷      中級  4時間10分  6.0km  初級 に見直し
 7 ・ 花倉城跡         初級  3時間10分  6.8km  初級
 8 ・ 双子山 A        上級  4時間00分  7.5km  上級
      〃  B       上級  4時間30分  9.2km  上級
 9 ・ 清水山          中級  2時間50分  5.0km  中級
10 ・ 五州岳          初級  1時間50分  2.5km
11 ・ 烏帽子形山 A     上級  4時間6分  9.3km   上級
      〃     B     上級  2時間46分  9.3km  上級
12 ・ 笠張山          中級  2時間46分 14.9km  中級

13 ・ 天王山          中級  3時間00分  5.1km  中級
14 ・ 青羽根パノラマ     上級  4時間05分 10.1km  中級 に見直し
15 ・ 笹川八十八石     上級  4時間00分  6.4km  上級
16 ・ 朝比奈城跡       中級  2時間05分  2.0km  初級 に見直し
17 ・ 蔦の細道・明治の道 上級  2時間35分  3.5km  中級 に見直し
18 ・ 高草山          上級  3時間25分  6.3km  上級
19 ・ 山辺の道         中級  2時間31分  5.7km  初級 に見直し
20 ・ 里 山           中級  2時間00分  2.4km

                                    メニューへ戻る

大鈩山と蕨

2018-04-25 11:23:15 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-20(金)
出発時刻:7時00分   到着時刻:11時間00分   延時間:3時間00分
歩  数: 10、289歩(推定距離7.01km)
行程表
 誓願寺  大鈩山  農道出合  誓願寺


                       大鈩山概念図

  今年は桜が異常に早く咲き、それにつられるように他の花も早くなっている。例年なら蕨採りも今頃から出かけているのだが
どうやら今年は蕨も早くなっているようだ。
大井川の河川敷では4月5日に大鍋一杯の蕨が採れたし、4月10日にドウダン原で蕨採りの方が 「今年は蕨がもう無い」
言っていた。
なので今日は蕨は採れなくて元々で、来年採れそうな場所の確認をして来ようと弁当も持たず家を出ました。
行先は大崩山塊の舟川方面か、それとも大鈩山のどちらにしようと迷ったが、若しかしてナンジャモンジャかギンリョウソウを
見る事ができるかと、誓願寺から大鈩山方面に行く事にする。

   
                 誓願寺のナンジャモンジャ                               羊歯の山道

  考えてみればナンジャモンジャは桜の花と同じような頃に咲くので、この時季では当然遅く葉のみが茂った状態でした。
それでも隣の八重桜はまだ落花盛んだが、少しは花も残っていた。

  誓願寺に車を停めたら駐車場から寺の庭園に入り、すぐ右の墓地に向かいます。墓地の右端の階段を上り階段が終ったら
上に向かう踏み跡を行きます。すぐ林に入るが明確な道は続いています。
例年と月日は同じでも気候が違うと草花の成長も違うようで、今年は羊歯が伸びていて朝露が服を濡らします。

 
               立入禁止                                 葉が開いた蕨

  二軒屋からの道と合流すると道は若干太くなります。車を寺に置いた時は墓地の横を上るが、バスで来た時は二軒屋からの
道が若干近いようです。ただ山道に入る場所が分かり難いので、一度ここを下って確認してからの方が良いでしょう。

  登山道の横にビニールテープが張られ “立入禁止” の札が出てきます。ここは蕨を管理しているので蕨採りを禁止している
ようです。そのような所は敬遠して上に向かいます。
しかし道端にある蕨は、どれもこれも既に伸びきっていて葉が開いた状態です。矢張りくる時期が遅かったようです。

 
               ギンリョウソウ                              竹林の道

  林の中には蕨はありません。しかしこの林はギンリョウソウ(銀竜草)の群落があるのですが、今年はその花(?)も非常に
少ない。多い時は林のあちこちに白い塊りを作っているのだが、今年は道端にほんの少しあっただけだった。
ギンリョウソウの事を書く時は必ずネットを見るのだが、その度に不思議に思うのはウイキペディアにギンリョウソウの学術的
分類を “ツツジ目 ツツジ科” としてあることです。
納得できず他の植物図鑑を調べると、多くは “イチヤクソウ科” とあったが、中には “イチヤクソウ科からツツジ科に移行” とか
 “ギンリョウソウ属からツツジ科に移行” などと書いてあるものもあったので、あながち “ツツジ科” でも間違いではない
ようです。しかし何処がどうツツジなのか私には理解できません。

  里山では付き物の竹林の道です。勿論蕨はありません。 

 
               大鈩山への分岐                             レールは急降下

  モノラックのレールが始まる所で道が分岐しています。道標は無いが大鈩山や飯間山方面は右方向を上ります。
レールに沿って直進する道はまだ歩いた事はないが、地図ではこの先は国1沿の赤目ヶ谷上集落に続く農道に出ています。
蕨はこの分岐より上には無いのは分かっているので、この新しい道を調べてみる事にしました。

  私の蕨の探し方は茶畑回りとか放置茶畑の中やその周辺が主で、茶畑も無く森林ばかりのような場所は探しません。
さら他のシダ類が蔓延ってくるとワラビの生命力は弱いのか、すぐ縄張り争いに負けて生えなくなってしまいます。
そのため下草刈りのが行われない場所は数年で蕨は採れなくなってしまいます。
そんな分けで蕨のある場所を知っていると云っても、その場所は変化してきます。

  マ~そんな訳で分岐より上は林ばかりなので蕨はありません。そこで来年のために新しい場所を見つけようとレールに沿って
初めて歩く道に入ります。
道が下ることは分っていますが、少し開けた所から見えた光景は、放置茶畑に藪、そして竹林と蕨の生えそうな場所ではない。
農道まで下ればめぼしい場所はあるかもしれないが、このまま下るにはまだ9時前なので早すぎる。
それなら大鈩山の先の気になっている道標の道を歩いてみよう。確かあそこも農道に合流していたはずだ。
急遽レールをバックして分岐点に戻る事にした。

 
               山道らしくなった                            直登への分岐

  分岐からの上の道は一応山道らしくなってくるが傾斜は緩く歩きやすい。最初の支尾根が発生した所に古く枯れた道標が
残っているが、多分ここを登れば四等三角点の赤目ヶ谷なのだろうがまだ歩いていない。ここまで分岐から約10分。
更に10分も行くとまた支尾根が発生し、そこには分かりやすい印刷して道標が張ってある。
この支尾根を直登した上で飯間山からの縦走路に合流する近道になるのだが、今日は久し振り直登せず一般道を歩く事にする。

 
              縦走路合流                                直登との合流

  直登の分岐から約10分で縦走路に合流する。飯間山は今来た道を直進して大鈩山はこの合流部を鋭角に曲がります。
ここから尾根部分になり傾斜が少しきつくなるが、5分程で先程の直登部分と合流。
アレー? あの直登の入口からここまで15分で来てしまった。以前直登した時はここまでは10分程だったので若干は近道だが
左程の事はない、頭では三角形の一辺か二辺を歩くかの違いなので、随分近道だと思っていたがそれ程でもなかった。

 
               不動尊分岐                                大鈩山

  大鈩の不動尊への分岐ですが、ここを下っても茶畑も農道も無く不動尊に出てしまいます。よって蕨は無いのでパス。
分岐から直ぐで大鈩山頂ですが視界は効かずピークでもない淋しい山頂です。
以前この徳願寺の尾根を縦走していた人が、大鈩山に気が付かなかったなんて話を聞いた事があるが、その原因は縦走路は
山頂の約5m手前で鋭角に右に曲がっています。その先にある標識が目に入った人はそのまま右折して山頂には行かず通り過ぎて
いたようです。だが今は標識が沢山付いているの、まず見落とす事はないでしょう。

 
               二軒屋(誓願寺)分岐                            分岐の標識

  初めて歩く気になった道は大鈩山から約10分の所から始まります。
植林された林の尾根を快調に下って行くと木の根元に標識が見えます。縦走路はここを左に曲がるのですが、以前ここには
この木の根元の標識しか無く、それに気が付かず道なりに下ってしまって人が多かったようです。
しかし写真では標識が写っていないが、左側には標識や目印が幾つも付いているのでまず見落とす事はないでしょう。

  禁猟区の看板の上に付いた道標には直進方向に 「誓願寺」 、左折方向には 「徳願寺」 とマジックで追記されてます。
私は以前からこの “誓願寺” に疑問を持っていて、不動尊入口を越してから誓願寺に行くには不動尊の道を横断しなければ
行く事ができないと、思っていました。つまりこのマジックは間違っているのだと。
しかし何かの折に 『安倍山系』 の著者松浦氏(松理さん)に 「分岐を直進すると農道に出る」 と聞いて地図を見ると
道は繋がっていないが、確かに分岐を下って行けば農道に出そうだった。
今日は来年の蕨のためにも、マジックに書かれた誓願寺の確認のためにも歩いてみます。

   
               急に細くなった                              落葉の道

  植林された林が終ると道は細くなり羊歯に覆われだした。だが無理のなら戻れば良いと気は楽だった。
細い羊歯の道はすぐ終わり、次の道は落葉の積もった沢状の道だった。お不動さんに下る道もこれと同じような道だったが
それより傾斜は緩く楽だったが落葉が滑るので注意が必要だった。
しかしこの程度なら年寄り仲間の低山歩きのコースにも使えそうです。

   
               ガレた道                                 農道が見えた

  楽な感じで下って行くと沢音が聞こえてきて道はガレ場の斜面を斜め横断する道になった。
写した写真は楽そうな所だが、実際はもっとガレた急さ斜面で、とても仲間との歩きでは使えそうもない場所でした。
そんな場所が終るとようやく下に農道が見えてきて、この区間唯一の道標があった。

 
                農道降り口                               丸子富士

  農道の上に出たが道路面までは1m程あり、とても今の私には飛び降りる事ができません。
視線を右に左に動かして斜面になった降り口を見つけました。アー良かった。
ここま縦走路の分岐から約12分程でした。

 次回ここを登るとき登り口が分かるだろうか疑問だが、農道入口から登ってきて何に使うのか分からない大きな鉄枠の先の
カーブの手前です。付近には右にもカーブの左上にも壊れた作業小屋がありました。

 
                不動尊道と合流                            不動尊道と合流

  農道に出るとミカン畑があり周りには草地も目に入る。蕨の葉は無いかと鵜の目鷹の目で探したが蕨の葉は無い。
わざわざ農道を離れてミカン畑に入るのも億劫にになっていたし、時刻も10時半を過ぎている。
今日は弁当を持ってきていないし、昼までに家に帰りたいのでこれ以上のんびりするわけにはいかない。
でも多分この農道脇には蕨は無いでしょう。そんな気がします。

  大鈩不動尊の道に合流した場所は、不動尊の手前にある “日本一の大鯛焼き” の店の少し不動尊寄りでした。
ここまでが農道に合流してから約10分でした。
合流点は誓願寺よりお不動さんに大分近い場所だが、分岐の表記は誓願寺と大鈩不動尊とどちらが良いのだろう。
どちらでも間違いはないがウーン! 矢張り 「誓願寺」 のが良いのかな。それとも両方を併記するのも、いやそんなスペースは
あそこには無い。矢張り誓願寺で良しとするか。

  そうそう探していた蕨の葉はお不動さんへの道では目に入ったが、近くには民家もありとても蕨があったとしても採りにくい。
それになんだかんだと云っても収穫はレジ袋2/3はあったのでもう良しとします。

紅白の花を求めて島田奥へ(柏原)

2018-04-21 16:01:15 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-10(火)
歩行時間:4時間40分   休憩時間:0時間50分   延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分     到着時刻:14時20分
歩  数: 21、028歩(推定距離14.51km)    GPS距離km
行程表
 静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
 柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺 

    
                     柏原分岐                               柏原への山道

  満開のドウダンツツジに満足して道を戻れば、直ぐある柏原の分岐で女性が標識を確認していたが大丈夫でしょうか。
ここの標識は行先はしっかり書いてあるし、地図まで付いているので迷う事はないだろと判断して、会釈をしただけで右に下る
柏原の道に入る。
柏原への道は、ほぼ下り状態で道もはっきりしているので快調に歩けるハイキングコースでした。

 
               34号鉄塔                                 分岐の表示

  道が送電線の鉄塔の下を通っていたので鉄の蜘蛛の巣を写しておいた。
道が二俣になった所に〇の上下に矢印の付いた標識が立っていたが、そうかこれはこの先で分岐した道が合流すのだと納得して
進むと、案の定道が合流した所に同じ標識が立っていた。
このような標識は有難く、初めて来た時はこのように道が分岐していると、不安になるのだがこれなら安心して歩けます。

 
                大井川が見えた                              水溜り

  分岐から木の間の道が続いていたが、40分ほど歩いた所で大井川が見える場所に出た。
大井川に架かっている橋は車も通れる水路橋で、左の端の山は粟ヶ岳とは分かるが、中央の鉄塔のたくさん建っている山の
名前は分かりません。

  見晴しの利く場所と道を挟んだ反対側が黒く見えるので覗いてみると、道に沿って細長い水溜りができている。
水溜りと云っても深さもありかなりな物だが、最近これほど水が溜まる雨が降ったかな? 覚えていない。
ヌタ場どころか動物の水飲み場かしら?

 
                ドウダンツツジ                          ドウダンツツジの群生?

  この界隈でドウダンツツジを目にするのは、ドウダン原だけだが(ペンションの付近にもあるが、移植したのではないかな)
理由は何なんだろう。気候はこの辺りなら何処も変わらないので、土質の違いなのかなどと考えながら歩いていると、タイミング
良く白い花が見えた。藪の中に身を入れて確認すると間違いなくドウダンツツジだった。
この辺りもドウダンツツジは群生していたが、何故か花の咲いているのは藪の中で、ドウダンと思われる木が群生している所は
花が付いていない。

 
                柏 原                                 柏原から大井川

  ドウダンが目につき出して直に草の広場に出た。広場の正面に標識もある事からここが柏原だろう。
広場の周りにもトウダンが咲いているのを見ると、この辺りはドウダン原より広い範囲でドウダンが生育しているようです。
眺めも良く広場もあるので、ここのドウダンを保護してやれば、ドウダン原より人気の出る場所になりそうです。

  ここから先の道はと、広場からの道を探すと、標識の横から大井川に向かって下る道と、広場の上から南に延びる道があった。
どちらの道にも標識は無いが、多分伊太和里の湯に行くのは南に延びている林を伐採した太い道で、大井川に向かって下る道は
新東名大井川高架の橋桁に出る道だと判断をした。

  ベンチに座りしばらくすると女性が一人大井川の方から登ってきた。挨拶をして道を確認すると大井川から登ってきたと言う。
では伊太和里の湯はもう1本の道かと聞くと、 「あの道は歩いた事はないので知らないが、伊太和里の湯に行くには、大井川へ
下る途中に標識のある分岐を行けばよい」
と教えてくれた。
ラッキーです。女性が来なければ南に延びている道を行ってしまいました。しかし何となくもう1本の道にも未練があった。

    
               急な階段                            新東名がよく見える

  大井川に下る道は真中がよく踏まれた赤土の道で、いかにもハイキングコースらしい。
道は直に傾斜はきつくなり階段が現れた。踏板に滑り止めの鋲が付いた階段は延々と下に延びていて、ここを登るのは中々
大変そうです。
こんな急坂があるのじゃぁ柏原がドウダンの名所になっても登る人は増えそうもない、なんて思いながら下るが、ここの階段は
結構歩きやすい。長い階段と云えば大崩山塊の花沢山だが、あの階段は擬木で段差が大きく、しかも水が溜まる範囲が広い
のか土が流されていて、とても階段を歩ける状態ではない。そのため階段横の斜面を歩くようになってしまっている。
その点ここの階段は一人が歩く幅しかないが、段差が低く歩きやすいので斜面には足跡は無い。
こんな階段が増えてくれると有難いな。

    
                      標識がある                               「伊太」とある   

  前方に標識があり、正面は 「ハイキングコース入口」 で、鋭角に曲がる方は 「伊太」 になっている。
ここを行けば一気に伊太和里にの湯に行けるだろう鋭角に曲がった。
そう言えばさっきの女性は理解できない事を言っていた。
 「分岐を行くとお墓に出るのでそこから温泉に向かうと」 と言っていた。伊太和里の湯で墓と云えば田代霊園んで、今日もその
横を通ってきた。だが霊園は温泉より上にあり、この分岐は温泉よりズーと下だ。温泉を通らずして墓に行ける訳はないので
 「お墓は田代霊園ですか?」 と聞くが 「お墓の名前は知らない」 そうだ。だが 「2回歩いた事がある」 そうです。

  少しぐらいは疑問が残ったまま歩く方が面白いので、何の不安も無く伊太の道に踏み込んだのだが・・・・・・・・・
ほんの10m行かないで踏み跡が分からなくなってしまった。地形などから見当をつけて先に進んだが、その先にも踏み跡はない。
更に先もと思ったが、ここなら入口にすぐ引き返す事ができると自分に似合わず弱気になって戻る事にした。
まだ入口から少ししか入っていないのに戻る道が分からず、出た所は標識から外れた場所だった。

  後日この辺りの山に詳しい人に話を聞くチャンスがあったので、この道の事を聞くと
 「柏原南東の尾根方向に「伊太」の道標がありますが、新東名工事で寸断され現在は廃道です。従って柏原から直接伊太へ
下る道は現在ありません。」
との事です。入り込まないで良かったな。
序に静居寺の道も確認すると 
 「静居寺からの道は沢沿いを進み、沢が左(西)に振れていく手前で沢を渡り小尾根に取り付きます。5、6年前には、壊れた
橋があったと思います。
僅かでアスファルトの農道終点に出て、これを登って行くと茶畑となって244.2三角点に出ます。2万5千分の1地形図の通りです。
薄暗い陰気な道で、ハイキングに使う人は殆どいません。マムシもよく居る場所なので、あまりお薦めのルートではありません。」


  私が狙った道もその道だったが、小尾根に延びる道は確認できなかった。多分幾つもあった壊れた橋の一つから延びていた
のだろう。それに確かにあの辺りは湿った感じがする場所で蛇がいてもおかしくなさそうな所だった。
次回の探索は蛇が出なくなる冬に、今度は上から歩いて確認してみます。

 
               新東名が近くなる                           黒曜石?

  柏原からは随分下に見えていた新東名が同じ高さになってきた。登山口の赤松地蔵尊は近いでしょう。
道に黒い岩石があったが黒曜石だろうか。だが黒曜石は火山岩の一種なのに、この辺りに火山があったとは聞いたことは無い。
以前天城を縦走した時に黒く尖って光る石を拾ったが、後で調べると天城には黒曜石があると知り喜んだことがあった。
黒曜石と云えば、御前崎の “星の糞遺跡” には、縄文時代に信州から持ってきた黒曜石の石器があった。
ここのが黒曜石なら遠い信州から運ばなくて済んだのだから、やはりこれは黒曜石ではないのだろう。

 
              赤松地蔵尊                                新東名より下に来た

  柏原から約30分でハイキングコース入口の赤松地蔵尊に着いた。境内には登山者の車なのか何台か停まっていたが、此処を
歩く人は柏原かドウダン原をピストンするのだろうか? 余り面白いコースではないな。
私なら赤松地蔵か伊太和里に湯に車を置き、赤松地蔵-柏原-ドウダン原-伊太和里の湯-赤松地蔵の一周コースを歩くだろう。
そうだ来年ドウダンツツジの頃に仲間ウォークのコースにどうだろう。そうなれば伊太和里の湯に車を置こう。

  来年の事はどうでも良いが、これから先はどうしよう。もうここまで来てしまえば矢倉山には登る気はしないのでパスとして、
伊太集落から静居寺に行くコース。大井川沿いの県道を国1バイパスまで下って静居寺、あるいは大井川のマラソンコースを
バイパスまで下るコースもできる。
だが大井川沿いの県道は交通量が多いので歩くのは嫌だ。マラソンコースは良いがバイパスに出てからが面倒そうだ。
なら伊太集落に行ってからバイパスに出れば、バイパス横に歩道があるかもしれないのでそれにしよう。

 
              2車線の新東名                           矢倉山の岩場が見える

  折角下った道を今度は車道を登り返す。本当に下らない事をすると思いながら歩くので疲れは増します。
新東名と同じ高になると標識が見えて、トラックの絵の描いた車線から右に移動しろとなっている。
確かこの区間は110kmの試行区間の筈なのに何故なんだ? その先の車線は2車線しかないのも変だ。
110km区間が2車線や3車線になったりしては、80k制限の大型車と度々合流しなければならないので危険この上もない。
とは言えここは間違いなく2車線になっている。

  前方に見える山は登る予定だった矢倉山で、山頂直下の展望台のある岩も見えている。
あそこから見ると新東名が真下に入り込んでいるように見えるが、ここから見ると随分ずれた位置になっていた。

 
             矢倉山登山口                                  山 藤

  矢倉山からは随分離れていると場所に 「⇦矢倉山45分」 の標識が立っていた。今日は矢倉山からここに下る予定だったが、
山頂からここへは下れるが、ここから登るとなるとこの場所が分かり難い場所だ。
ただ矢倉山の標識の横に “玉雲寺墓地” の看板があるので、玉雲寺を探せば何とかなりそうです。

    
                    新東名の入口が無い                           静居寺の看板

 国1バイパス上り線の旗指ICと中央公園までの間を車で走っていると、車線の外側に歩行者用通路が見えるので、今日は
その道を歩こうと思っていた。そこでバイパスに出た所にある橋を渡ったのだが、上り線に行く道は無かった。
家に戻りネットの地図を見ると、私が確認した次の島田市の斎場に行く橋を渡った所から歩行者用の道は延びているようです。
しかも斎場に行く道をズンズン行くと矢倉山入口のある農道の三辻まで続いていた。いつかこの道も歩いてみたいな。

  電信柱に静居寺の案内が出てきたが、寺の名前にはルビが振ってあるので助かります。その一方でこの地区名の 「旗指」
そのままです。この “旗指” の字をを初めて見て正確に読める人は少ない、いや殆どいないでしょう。
普通に読めば “はたさし” か “はたゆび” だろうが、実際は 「はっさし」 と読むようです。
折角寺の名前に仮名を振ってくれたのだから地名にも振ってほしかったな。

  旗指の地名の謂れを書いた案内板がバイパスの近くに立っていたので概略を紹介します。
 「永禄11年から天正年間にかけ、徳川・武田の両軍は千葉山智満寺を中心に猛烈な戦火を交え、この付近の社殿仏閣多数を
廃墟と化した。そのころ徳川の軍勢は、この旗指の地に陣営を布き幾本もの旗樴を風に靡かせ武田の軍勢に対抗した家康公は、
この山の丘の森蔭に本営を置いて全軍を指揮した。家康公は肌身離さず奉持していた守護神を今の三寸神社に奉納して戦勝の
祈願をしたと伝えられている。」


ようはこの幟旗を立てた場所が現在の旗指地区なのでしょう。
この案内板の中で気になったのは、永禄11年に武田と徳川が島田で戦ったとあるが、この年は武田軍が今川義元が没して力を
失った駿河に攻め込んで来た、いわゆる “駿河侵攻” の年です。なので武田の敵は力が弱くなったとはいえ今川勢だった筈です。
この地で武田と徳川が戦ったとしたら、金谷の諏訪原城が徳川勢の攻撃で落城した天正3年以降から、藤枝の田中城が矢張り
徳川の攻撃で開城した天正10年の間だと思われます。
とは言え、その当時となると駿河での武田勢は勢いを失っていたので、家康が守護神を神社に奉納して戦勝祈願をしなければ
ならないような戦闘があったとはとても思えません。多分単なる言伝えなのでしょう。

    
                    清浄結界橋                               無碍門

  何とか無事に静居寺に戻る事ができました。
寺の入口にあった惣門より大分下に 「清浄結界橋」 とあり、その横面には静居寺境内と彫られています。
今は車道が走り民家も立っているが、昔はこの辺りは静寂な地であったのでしょう。

 次にあった 「無碍門」 は “むげもん” とも読むのでしょうか。意味は? ウーン分かりません。
ムゲで思いつくのは “ムゲにしないで” のムゲだが、こちらのムゲは “無下” と書くらしいので関係なさそうです。
次に思いつくのは “融通無碍” で、こちらの意味は “考え方や行動にとらわれるところがなく自由であること” でした。
ならこの門は “何にもとらわれることない心” になって入る門でしょうか。

    
                       鹿背橋                               三門禁葷酒

  またまた難解な言葉が出てきました。 「鹿背橋」 カノセ橋かカセ橋か、それともシカノセ橋か分からないが何でしょうね。
標石の後ろ側には一段高い石があるがこれが鹿背橋なのでしょうか。
とは言え盛り上がった石の状態が鹿の背中とも思えないし、石橋のまだら模様が鹿の模様に似ているとはもっと思えない。
分かりません。

  惣門の前に立っている「三門禁葷酒」 なら “さんもんきんくんしゅ” で意味は寺の中にニンニクのような性のつく食べ物や
酒を持ち込むなという事でしょう。
ウイキペディアに本当かどうか分からないがこんな事が書いてありました。
 「『説文解字』(最古の部首別漢字字典)は「葷」を「臭菜也」(臭い野菜。部首は草冠で音は軍)と説明している通り、本来は
ネギ属の植物を指していたが、なまぐさと訓読みする」
となると生臭坊主はここから来ているのでしょうか。

  今日の目的の紅白の花は、紅の部分は早すぎたが白は大満足でした。次いで来年の初詣用の道調べも残念ながら静居寺
上の道が分からないままです。これは蛇が出なくなった頃にもう一度挑戦しようかと思っています。
来年の初詣ウォークが “島田一社二山3山” とか “島田一社2山三寺” の表題になれば道探しは成功した事になります。
果たしてどうなるか、マ~来年の事を言うと鬼に笑われてしまうのでこのへんで終わります。

紅白の花を求めて島田奥へ(ドウダン原)

2018-04-18 08:45:27 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-10(火)
歩行時間:4時間40分   休憩時間:0時間50分   延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分     到着時刻:14時20分
歩  数: 21、028歩(推定距離14.51km)    GPS距離km
行程表
 静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
 柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺 

    
                     矢倉山入口                              矢倉山の階段

  矢倉山の入口を入ると道は急降下して次は上りになる。矢倉山の階段は地元の青年が整備してくれたと以前聞いたことが
あるが、擬木を使った見るからに金が掛かっている階段とは違い、段差も低く幅も適当に狭いので歩き易い道です。 

    
                     尾根道合流                                尾根道

  ここから先は矢倉山には登らず下の四辻を右に曲がって伊太和里の湯に行き、温泉からドウダン原に向かいます。
ドウダン原からの帰りは、伊太丁仏参道を下り矢倉山直登コースで山頂に行き、その後伊太集落に出て車道を静居寺まで
帰ろうと思っています。
だが、尾根道に合流して気が変わった。尾根の合流部を左に行けば矢倉山だが、右の道はまだ歩いた事が無かった。
所詮は麓の尾川集落に行く帰り道用だと思っていたので、標識の下に地図もあったが余り真剣に見た事が無い。
それが 「伊太和里の湯にも行けます」 の文字が目に入り興味を覚えた。
地図を見ると思っていた以上に温泉と離れていない場所で車道と合流している。しかもそこが歩く予定の温泉上の山道の
入口ある田代霊園の近くだった。
これなら矢倉山の四辻から山道入口に行くより、上り坂の車道歩きもグンと少なくなりよっぽど楽そうだった。
そうなれば当然新しい道を歩きます。

 尾根の道は平坦な歩きやすい道だったが5分程で放置茶畑横の農道に出たしまった。

 
             三辻手前の農道が見えた                         お茶の新芽

  農道に出ると先程歩いた三辻手前で千葉山が見えた場所が見えていた。ならあそこからもここが見えるでしょう。
整備されている茶畑はもう柔らかそうな新芽が延びていた。今年は桜が早かったがお茶も早そうです。

 
               農 道                                   農道を歩く人

  山道は平坦で農道は下り坂の歩き易い道です。前方にレジ袋をさげた人かノロノロ、ヨロヨロ歩いています。
追い抜く時に 「蕨が沢山取れましたね」 と声を掛けると、振り向いた顔はポチャポチャとした色白の優しい顔のお年寄りで
 「イヤ今年は蕨が全然少ない。いつもならザック一杯になるのに」 と言う。
確かにザックを見るとペチャンコのままで、レジ袋も蕨が1/3も入っていない。

  私も例年この時期には大崩山塊でザック一杯の蕨を採ってくるが今年はまだ行っていない。
それと言うのも今年は早い段階で大井川の堤防で蕨を大鍋一杯採ったからだ。
大井川の堤防は毎日のように歩いているが、近年土手に蕨の葉が見えるようになったので今年は土手に入ってみた。
すると丈も太さも例年取る蕨の数分の一くらいだが柔らかい感じがした蕨が沢山生えていた。
しかも場所が斜面なのでしゃがまず採れて楽だった事もあり、1時間位でシャツ一杯(手ぶらだったので下着に入れた)に
なった。それで大崩山塊の蕨採りが遅くなってしまっている。

  蕨採りの人は足は遅いが会話は快調で
 「あんた私が何歳に見える? もう90をとっくに越しているが肝臓がんもやったし歩くには大事な脊髄の手術もした。」
成程それで歩き方が覚束ないのか。それにしても90歳を越して一人でこんな場所を歩くなんて大したものだ。
 「あんたは山が好きかねぇ。私も若い頃は槍に3回行ったし、北も南も北海道の山にも登った事がある。この辺の山は殆ど
歩いているけど、あんたはこれからどっちに行くのだね」
 「ここからドウダン原に行こうと思っています。」 「ドウダン原なら市道を左に行って霊園の所から山道に入ればいい」

正確に教えてくれる。ならば静居寺の道も知っているか聞いてみると
 「バラの丘公園から登って尾根の農道に出たら、下る農道に入って行けばジョウコさんに行ける」 とこれも教えてくれる。

  私より20歳ほど歳が多いらしいが大したものです。記憶も確かでノロノロ歩きとはいえこんな場所を一人で歩けるのだから
体力的にも支障は無さそうです。20年後には私は果たしてこんなに元気でいられるか?
マ~無理でしょうね。今でも記憶違いで道を間違ったり、脱水症で救急車に乗ったりと周りに迷惑をかけているのだから。
それにしてもこの方の家族は90代の年寄りを一人で蕨採りに越させて平気なのだろうか? それとも一人暮らしなの?
 「私はここを行くけど道は分るね?」 と言って放置茶畑の間を入って行った。お気をつけて。

 今年の2月に行った粟ヶ岳でも山道でお年寄りに会ったが、あの人は今の人より不安を感じたが無事下った事でしょう。
私があと10年低山歩きができたとしても、所詮は一人歩きをするしかないでしょうが、そのとき山で会った人は私を見て
不安を感じないだろうか? 多分感じるでしょう。じゃぁどうしたら良いのか解決策は思いつきません。
70代を過ぎれば歩こう会もハイキングクラブも新会員としては歓迎しないだろうし、だれか良い案を教えてください。

 
             田代霊園前の分岐                              山道への階段

  農道が合流した車道は上り坂になると思っていたら、なんと緩い下り坂が田代霊園まで続いていた。
これなら尾根の分岐からなら四辻経由で温泉に行くより、こっちの道の方が断然楽でいい。
もっと歳を取ったら温泉から矢倉山に登り、この道を通って温泉に戻れば手軽な周回ルートになる。
そんなルートで満足するのは後何年後でしょうか。

  田代霊園は道の左側にあり、ドウダン原への道は右の奥にあるが標識はありません。
将来何になるのか分からない、かなり広い広場を右に行くと、前方に擬木の階段段が見えてきます。
そこがドウダン原入口です。

 
               最初の標識                              現在地が違っている

  擬木の階段を登ると三辻になっていて、右がドウダン原で左が伊太和里の湯方面です。
標識にかなり詳しい地図があったので、帰りの道を確認しようとすると現在位置が実情と合っていない。
地図では現在位置が伊太丁仏参道に付いているが、ここは丁仏参道ではなく車道の近くです。
さらに車道からすぐ山道になっているが、今は広場を通った先が一般的な道です。

  実はここの標識は温泉ができた頃から道が無いのに伊太和里の湯の表示があった。標識通り行くと左横に温泉はあるが間に
沢があって渡る事ができなかった。仕方なく大分下がった太陽光設備の所で、沢が側溝に整備された所を渡って温泉まで登り
返したことがある。
それが3・4年ごろ前に温泉から立派な道が開通して不具合は解消したが、この地は標識設置者には鬼門のようですな。

  
             山道                      山道                    丁仏参道合流

  こんな道が続いています。山道に入って15分も歩くと下からの伊太丁仏参道に合流します。
ここの地図の現在地は合っていました。

  
                                     十四番石仏                    

  丁仏参道に入ると江戸時代の石仏が参道入口から智満寺までの1町ごとに33体祀られています。
今もお詣りする人がいるようで、それぞれの石仏には赤い毛糸の帽子や涎掛けが掛けられていました。

 
               柏原合流                                 リンドウ?

  丁仏参道と合流して10分も歩くと柏原からの道に合流します。さっきの地図に 「千葉山ハイキングコース」 と書いてあった
道です。この道はまだ歩いた事がないので一度は歩きたかったが、今日は丁度良い機会だと歩きながら考えていました。
地図では柏原から大井川の赤松地蔵に出るようになっていたが、最近見たブログにこのコースの紹介で
 「柏原から一気に伊太和里の湯に下った」 と書いてあったのを思い出した。
それなら温泉から矢倉山に登って伊太集落に下る事もできる。柏原に行けば温泉への道の案内があるだろう。決めた!!

        
                             ドウダン原入口から

                              ワァ~! すげぇ~!

    
                    ドウダン原標識から                              石仏と

  今まで何度もここにドウダンツツジを見に来ているが、こんなに素晴らしいのは初めてです。
今年が素晴らしいのか、たまたま今までは時期が合ったのか分からないが素晴らしい。
こんなに素晴らしいのに見ている人は少なく3組5人しかいなかった。

        
                                 最高ですね

  今日のテーマの 「紅白の花を求め島田奥へ」 の紅は空振りだったが白はホームランだった。

        
                                 アップ

  しかし花をアップにしてみると少し皺ができ始めている。どうやら今が最盛期で後は徐々に萎んでいくのだろう。
グットタイミングでした。

四国遍路掲載を終えて

2018-04-17 11:00:06 | 四国遍路
  15年前の遍路日誌をブログにアップして何になるのだと云う気持は当初からありました。
自己掲示欲の強い私が36日間一日も休まず1200kmを歩き通したことをアピールしたかっただけかもしれませんが、
これを読んだ方の中で一人でも四国遍路に興味を感じられたら本望です。
そして実際四国を歩いてみる気になった方には一つ助言をしたいと思います。

 ・四国に行く前に地元の霊場巡りをしてみる。 ことです。

例えば静岡県の中西部の方なら 「遠江三十三観音霊場」 を歩いてみましょう。
総距離は約190KMで日数は毎回30km歩いて6日間の工程です。
スタート・ゴールは全て鉄道の駅で済むので宿泊する必要もありません。
遍路道も遍路札も無いので、自分でYafoo!の地図などで把握しなければならないので、当然途中で迷う所が出てきます。
そうした時には積極的に地元の方に声を掛けて道を尋ねましょう。
これは四国に行って、聞かずに歩いて後悔しないための練習にもなります。
最近の私の遍路は 「遍路とは道を聞く事なり」 と、地元に人に話しかける手段として積極的に使っています。

  この霊場を通しで結願できれば四国遍路は夢ではなく実現可能な現実になるでしょう。
とは言え、遍路にも時期があります。短期間の日程ならともかく、30日を越える四国遍路ではこの時期が重要になります。
春に一度しか歩いていない私が言うのもおこがましいのですが、初めての遍路なら春が一番だと思います。
夏は熱さに体力を襲われ熱中症や脱水症になる恐れもあり、長距離歩行には向かないでしょう。
秋は熱さは和らぎますが陽が沈むのが日に日に早くなってしまいます。朝も暗いうちの出発で道の確認に苦労しそうです。
春ならば徐々に明るくなってくるので勇気も湧いてきましたが、だんだん暗くなってくる秋は日に日に不安が増すと思います。
冬の遍路は憧れとしてはありますが遍路初心者としては無理な話で、とても30日や40日では歩き切れないでしょう。
このように考えると遍路の時期は春が一番だと思います。それも3月中旬から4月下旬にかけてが尤も歩きやすい次期でしょう。

  15年前に書いた日誌をブログでアップするだけなので、当時に日程合わせてアップするのは容易な事だと始めたのですが、
あにはからんやでした。当時の日誌の誤字脱字を直すのは当然としても、当時は分って書いているので理解できても、今になると
何の事なのか分らない表現が多々ありました。それらを修正してアップしたのですが、毎日となると中々大変な作業でした。
この作業を行いブログを毎日アップしているきのさんや賢パパさん、松理さんの苦労が実感できました。

  四国遍路はリンクも張りましたのでメニューから希望の所に移動できます。どうぞ利用してみてください。

                  四国遍路メニューへ

四国遍路36日目

2018-04-17 10:00:00 | 四国遍路
          
                          高野山

                     高野山(36日目) (2003/4/17)
    
  高野山までのコースが決まらない。
宿で聞くと鳴門海峡を渡って大坂難波から特急電車で高野山に行くと言う。
鳴門海峡は来る時に渡ったので帰りは和歌山までフェリーで行きたいと言うと、
 「車ならいいがJRでは和歌山港からの接続が分からない」 と言う。

それでも和歌山港も高野山も同じ和歌山県。
交通機関の接続だってきっと考えてあるだろうとフェリーを利用するコースにする。

 早朝で人影が少ない坂東駅から徳島行きの電車に乗る。
37日振りの人口の乗物だが、何の違和感も無いのが寂しくらいなんともない。
歩きと比較にならないそのスピードも別にどうと言うことも無い。

徳島駅からフェリー乗場まではバスと考えていたがフェリーの時間が気になりタクシーを奮発する。
これが最初の予定外。

和歌山港から和歌山駅までは私鉄で繋がっていた。
だがこれが乗車時間は短いが待ち時間が長くイライラしてくる。
更に着いた駅はJR和歌山駅と思っていたのに和歌山市駅だとか。
和歌山駅までは更に乗り継がなければならない。
そしてここも待ち時間ばかり長く、すでに時間は正午を過ぎていた。

やっと着いた和歌山駅。
後は順調に行くだろうと思いきや、高野山に行く電車は1時間に1本。
もう踏んだり蹴ったりでした。宿の人が港からの接続が分からないと言う訳をやっと納得した。

 ケーブルカーを降りてバスで奥の院に向かった。
車窓から今夜泊まる宿坊を物色していたが何か雰囲気が違う。
四国では宿坊に入るのに気後れするような事は無かったのに、ここの宿坊は門を入るにも気構えが必要だ。
何かこけ脅し的に立派で遍路が泊まるには分不相応に感じる。
四国のような宿坊をと探すのだが、そんな雰囲気の寺は見当たらない。

 以前僧侶達が出演していたTVの公開番組で 「何故僧侶の車はベンツが多いのか」 と言う質問に、
ある僧が 「僧侶の身の安全のために、作りが頑丈なベンツに乗る」 と答えていた。
それを聞いてチョット待ってよと言いたくなった。
聖職者たるもの自分の安全より民衆の安全を祈るべきだろうに、ぬけぬけと僧の身の安全のために高価な車に
乗ると言うなんて。
元々世襲制で葬式主体の僧に期待していた訳ではないが、これを聞いて本当にガッカリしてしまった。

 今こうして立派な宿坊を見ていると、ここの僧侶たちもきっとベンツに乗っているだろうと思うと泊まる意欲が
消えてしまった。

  奥の院に続くお墓は歴史上の有名人のオンパレードだった。
何故この人たちのお墓が此処に------ 分からないが見ているだけで歴史の勉強になりそうだ。

それにしても真言宗は中々の知恵者が多い。
深山幽谷の高野山で護摩を焚く密教で神秘性を高め、一方では豪華な宿坊を建て高貴な方や俗福な者を呼び入れる。
そしてその人達が飽きないように有名人のお墓を作る。
お墓も昔のテーマパークの一種だと思えば、ここに信長や家康の墓があるのも納得いく。

 今日は朝から遍路の白衣は脱いでいるが菅笠はしまうわけにはいかずザックに縛り付けてある。
笠には 「同行二人」 と墨書されているし、金剛杖も突いている。
一見して遍路帰りと分かる格好だ。
自意識過剰な私には周りからの視線に耐えられず納経を済ますと早々に退散した。

適当な宿はと、まだ未練たらしくあちこちを見るが、この格好で気楽に入れそうな宿は無い。
その時新幹線でならまだ家に帰れると家の事を思い出した。

 四国では一度も帰りたいなど思ったことは無く、高野山も最初から泊まる積もりでいた。
なのに一度家の事を思い出すと里心に火が付いてしまった。
慌ててバスに乗り込み後は我家を目指して一目散。

乗った新幹線では36日間の遍路は何だったのだと、余りに変わらない自分にガッカリしてしまいました。
これが最後の予定外。

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四国遍路35日目

2018-04-16 10:00:00 | 四国遍路
          
                         総奥の院 與田寺

                     お礼参り(35日目) (2003/4/16)

 宿(5:50)→與田寺(総奥の院)→(3)→(2)→(1)→宿(16:30)     36.7km

昨日は何事も無く結願を迎えることができ、今日は最後の日の爽やかな出発となった。

 四国の道の案内に従い宿の裏手の川沿いの細い道を歩き始める。2k程行き橋を渡った所で少し太い道に出合った。
少し迷ったが早朝のなので聞く人はいない。左に行けばまた川を遡ることになると判断して右手の道をとる。

程なく行くと太い道に出合ったが、通勤の車がスピードを出して走っているだけで歩行者の影は無い。
迷いながらも歩いているが不安が高まる一方なので、意を決して車に手を挙げてみた。
残念ながらどの車も無視。当然といえば当然な事だと思う。朝の忙しい時にヒッチハイクをしそうな遍路になんか、
誰が車を止めるものか。分かってはいるのだが、それでも手を挙げ続けた。結局どの車も止まってくれなかった。

 前方の人家に人影が見えた。急ぎ足で歩きやっと道を確認すると、案の定間違っていた。
目的の道は反対方向で、もう大分下ってしまったらしい。最初に川を渡ったとき左に行けば良かったのだ。

冷静になって遍路地図を確認すると、最初はともかく太い道に出会った時には当然気つくべきだった。
やはり気持ちが浮ついているのだろう。引き締めていかねば。
結局2k以上は歩いたと思うので往復4kの無駄足だった。

 與田寺は改修工事をやっていたせいか、納経所で呼鈴を押しても中々出てこない。
やっと来た人に納経を済ませたあと大坂越の道のことを聞いてみた。
 「私らは歩いているわけではないから分からない。大体徳島の寺なんかに行くよう用は無い」とけんもほろろだった。
ウーン確かにそうだけどもう少し答えようがあるのではないか、チョッと腹がたってしまった。

 昔の遍路は総奥の院をお参りして1番にお礼参りするこのコースが一般的だったという。
それが今は10番に抜けて1番に行く人が多いらしい。
こんな態度を取っていては当たり前かと思う一方で、88ヶ所総奥の院をもっとアピールすれば参詣者は増えるだろう。
與田寺まで来ればJRの駅にも近いので、1番にお礼参りをしない遍路にも便利なのだから。

 時折海も見る国道11号をテクテク歩く。歩き始めて35日。体の具合はすこぶる良好だ。
細かいことを言えば左足の親指の爪が黒く変色している事と(遍路が終わり暫くして黒い部分が割れて剥れてしまい、
その後正常な爪が再生しました)右手小指が赫々する事(バネ指と診断された)くらいで後は無い。
体重は昨夜測ったところ62k台で歩き始めより4kほど減った。
ぷっくり出ていたお腹も大分へこんでくれた。
(体重は遍路後アルバイトをしていて頃は65k台に戻ってしまったが、今は遍路の時と同じく62k台になっている。
ただこれは歩きの成果だけでなく、老齢に伴う体重減少かもしれません。)

 それからこのお遍路でもう一つ実験した事がある。それは髭です。
以前から髭面に憧れていたが、融通のきかない会社勤めで髭を伸ばしたことがなかった。
また私の先祖は中国か朝鮮からの渡来人なのか、髭が薄く足や手も毛深くないので、髭を一週間そのままでも無精髭が
少し生えるだけでした。
そこで今回は秩父に出発した時から、四国遍路が終わるまで髭を剃らないことに決めてきた。
今日で48日目。最近は鼻の下の髭が伸びてきて、食事のとき食べ物以外の物が口に入ったと口を拭うと髭だったりして
不快感を感じている。
鏡を見ると一番欲しい頬の髯は殆ど伸びていず少し黒くなった程度でしかない。鼻の下の髭はポショポショと生えていて、
唇にかかっていて見るに耐えない状態だ。
顎鬚はこれも伸びてはいるが山羊ほども無くみすぼらしい限りだ。
全体的に見ても日に焼けた顔に、無精ひげを伸ばしただけの乞食顔だ。

 白衣と菅笠があるお陰で浮浪者に見られないで済んでいるだけだろう。更に一昨日歯が抜けてしまい喋ると歯抜けの
間抜け顔に見える。もう救いようのない顔に鏡を見るのもいやになってしまっている。
(家に帰ると妻に 「みっともない」 の一言で髯を剃るよう命令された)

 国道から遍路道に入るのに、四国の道の方が分かりやすいと判断して四国の道の標識に従い国道と分かれた。
実はこの四国の道とは四国4県に渡って整備された歩行者案内の標識で、コンクリート製の立派な標識が多い。
遍路道とは付かず離れずで、いたる所で見かけた。
ただ四国の道は名所旧跡や集落を通る事が多いので、そのまま行くととんでもなく遠回りになったりしてしまう。
せめて遍路道と分かれるときは遍路道の案内もしておいてくれると助かるのだが、と常に思っていた。

いやもっと言えば四国には遍路道と言う文化遺産があるのに、何故四国の道を設けなければならないのか疑問に感じた。
四国遍路が現在でも廃れず歩かれているのは、宗教心もさることながら、道中の宿泊施設のあるからだと思う。
例えば東海自然歩道など構想は立派で随分お金もかけたのに余り利用されていない。
それは手頃の場所に宿が無いからだと思う。
ここ四国のように、誰もが歩ける範囲内に民宿等の宿があれば東海自然歩道はもっと利用されるだろう。
そうなれば私も歩いてみたい。

四国の道を策定した国土省は、遍路宿などの宿泊施設は考えずに作っているが、ならば標識に遍路道の案内をするのは
当然だと思うのだが。

 また道に迷ってしまった。四国の道と遍路道が合流して畦道のような細い道を歩いていると新しい太い車道に出た。
付近には標識も遍路札も見当たらない。若干の危惧はあったが新しい太い道を選んだ。
変だな 変だな と思いながらも1kくらい歩いた所で道が突然無くなってしまった。
その先には細い道も無い。あったのは高速道路だった。
今歩いてきた道はその高速道路の工事用の道路だったのだろう。

 迷った地点まで戻り再度注意深く見ると、畦道が新しい道路で中断した先に細い道がある。
ためしに少し歩くと何のことはない四国の道の標識があった。
後で考えても何故新しい道を行ってしまったのか理解できない。
気持ちが浮き立ってしまっていて判断力が散漫になっているのだろう。注意!注意!

 道は歩きやすい草の道になった。土が軟らかく更に草がクッションになるのか足に優しい道だ。
道幅は広く車がすれ違い出来るくらいあるが、歩行者専用になっていて東屋風の休憩所もある。
今日の予定はこの歩きやすい道と別れて、また車道を歩き1番に行く卯辰越を考えているのだが・・・

 卯辰越の道を選んだ訳は簡単で、直接1番に着けば四国を完全に一周したことになると考えたからだ。
他の道は10番から1番。3番から1番が重なってしまい真円にならず面白くないと思っていた。
しかしこの3番に出る歩きやすい山道は魅力だった。
最近短くなったと感じる金剛杖の長さを測ってみたいが、それには杖を購入した2番極楽寺に行く必要がある。
なら直接1番に向かうのではなく、3番に出てから1番に向かえば2番は途中にある。
そうだ! そうしよう! 簡単に真円の事は忘れ、柔らかな道で3番に抜ける道を選んでしまった。

 山道が終わる頃あった階段は、狭く急な階段が何段も続いていて下を見るのが怖いくらいだ。
その階段の途中で蛇が横切るのを見つけた。蛇が嫌いな私はゾク!と身震いをしながらも見つめてしまった。
遍路の本に“マムシ”と何度も書いてあったが、これはマムシではなさそうだ。長さも長い、きっと青大将だと思う。
考えてみると四国で遍路を始めてから、生き物に会ったのは足摺岬のカラスの集団くらいのものだ。
四国には野生動物が少ないのだろうか。

 実はここに来る前の秩父遍路では珍しい体験をした。
26番の奥の院から27番に向かう尾根道で猿の集団に出会ってしまったのだ。
そこは尾根の樹木を伐採した跡で、大きい木も実のなるような木も無い所だ。
そこに猿たちは切り株の上や草の上に三々五々座り込んでいた。
20匹位居ただろうか? 数を数える余裕も無くただ困惑して私は立ちすくんでいた。

 今まで野猿の群れは伊豆の波勝崎と長野の地獄谷で見たことはある。
波勝崎の猿は温暖な伊豆に住んでいながら獰猛で、観光客の隙を見ては手に持っている物を掠め取っていく。
数が多く餌が足りないのだろうか。
その点地獄谷の猿は雪国で自然環境は厳しいのに穏やかで、温泉に浸かり真っ赤になった顔を露天風呂の脇で
冷ましている。回りの観光客などまるで意識していないようだった。

 それらの猿はどちらも野猿とは言え餌付けされた猿で、ここの純野生猿で、しかも私が一人となると話は違う。
5分も経っただろうか猿は一向に動く気配が無い。決して私を無視しているのでなく注意深い観察しているようだ。
進むべきか進まざるべきかハムレットの心境になった。
この猿が波勝崎のような猿なら退却して、地獄谷のような猿なら前進するのだが・・・・・・
 “思案六筒へぼの考え休むに似たり” だったが、どうやらここの猿は地獄谷系らしく威嚇する事はなかった。
よしそれなら少しづつ進んでみよう。幸いな事に山道には猿は座っていない。
少しずつ少しづつ前進を開始するが猿に動きは無い。停まらず急がずゆっくり少しずつ前進を続けて、ようやく
猿の群れから脱出できた。

 麓の札所で 「猿の群れに会って怖かった。 」と言うと 「群れで良かった。離れ猿は獰猛で怖い。」 と、簡単に聞き
流されてしまった。と、秩父ではこんな事もあったのだが、四国の動物はこの蛇でお終いだった。

 海岸沿いに国道と一緒に走っていた鉄道が、こんな山の中も走っている。などと驚いたりしているうちに、道は
1日目に歩いた遍路道に出たらしい。
らしいと言うのはこの道に覚えが無いのだ。遍路札もあるので間違いは無いと思うのだが、わずか36日前に歩いた
道を思い出せないのだ。これではとても逆打ちは出来ないだろう。

 何度か道に迷いはしたが、心の底では道に対しての方向感覚は鋭いと自負していたのに、なんとも情けない。
3番の入口に来ても思い出さない。結局2番に来るまで知らない道を歩いているようだった。

 2番の極楽寺に着くと直接売店に向かった。
 「済みません。行きにここで金剛杖を買った者ですが新しい杖を見せて下さい。」 女主人に言った。
短くなった杖を見た女主人は 「うちではそんな短い杖は売っていませんよ」 と、警戒をあらわに言う。
 「いえそうではなく、この杖のお陰で何とか結願できて、お礼参り行く途中です。きっとこの杖の減った分だけ私の
足や膝は負担が少なくて済んだと思うのです。短くなれば短くなっただけ杖への感謝が増えこそすれ、文句を言いに
来たのではありません。」
初めは警戒していた女主人も、途中から理由を分かってくれて協力的になってくれた。
奥から同じ模様の金剛杖を持ってきて 「それにしても短くなったものだね。この杖は硬くて丈夫なはずなのに」
言いながらスケールを取り出して杖を並べて測ってくれた。
 「なんと16.5cmも短くなっているよ。」 女主人は驚いた声を出した。

16.5cm。これが34日間で結願を迎える事の出来た最大の理由だろう。
この杖が無ければ、そしてこの杖を有意義に使うことが出来なかったなら、まだきっとどこかを歩いているだろう。
この短くなった分が私の足腰を助けてくれたのだ。
平地や上りでは加速を増し、下りでは衝撃の緩和となる。弱点だった下りの膝の痛みも一度も味合わないで済んだ。
これもこの16.55cmのおかげなのだ。有難うございました。

この金剛杖に愛着を感じた。この杖は必ず棺桶に入れてもらい冥土の旅も一緒に行ってもらおう。

 女主人は中々の商売人で、私が今晩の宿を予約していないと知ると
 「荷物は預かっておくから、1番にお参りしてくればよい」 と荷物をさっさと片付けた。
私もこれから宿を探すのも億劫なので、その進めに従い荷物を預け空荷で1番に向かった。
1番と2番の道は出発の時に一往復半も歩き今回で4回目だったので、さすが道は覚えていた。

 1番ではお参りを済ませたあと納経所に行くと
 「ご苦労様でした。出発のとき記入した帳面に今日の日にちを記入して下さい」 とノートを持ってきた。
訳も分からずノートを見ると出発した月日と遍路の名前、それにお礼参りに来た月日が記入してあった。

 「私は納経帳を道路側の売店で買ったけど、何も言われなかったので書いてない」 と少々苦情めいた声を
出してしまった。
自分の出発した3月13日を見ると何人かの署名がある。しかしまだお礼参りの日付は入っていない。
まだ誰も戻っていないのだとチョト鼻が高くなる。
だが出発が3月13日以降の日付なのに、すでにお礼参りの日付が記入されたのもあった。
なんだか少し残念だがホットした感じもした。
ただ歩くだけで四国を味わっていないと言われることに抵抗を感じる私がそこにはいた。

 インターネットや25番のお寺で1番の悪口を言っているが、そうだろうか。
物の値段が高いか安いか分からないが、このようなノートを作ってあるのはここ1番だけだった。

 「遍路が出発する寺は1番でなくてもいい」 と25番の僧は言う。
だが25番を出発して25番にお礼参りをしたらこんなサービスがあるのか、疑問だ。
いや25番ではお礼参りは出発した寺でなく、高野山に行けばよいとも言っていた。
これも遍路の心を理解してない発言だと思う。

出発地から出発地に戻り達成感を味合う遍路は多いと思う。更に歩きたい者はそのまままた歩き続ける。
この無限の円周運動も四国88ヶ所の魅力の一つだと思うのだが・・・・・

 ノートを眺めていると納経所の人がお盆にお茶と和菓子を入れて持ってきてくれて
 「ご苦労さまでした。結願したお遍路さんはどうぞ召し上がって下さい」 とお接待してくれる。
ノートも最後の行に記入しても良いと言ってくれたので
4月16日の行に 「出発3月13日、到着4月16日」 と記入させてもらいました。

 歩き出して35日ようやく1番に戻って来たのだが期待していた感激は無い。
自分がクールなのかと思うが、なら車遍路の時の88番で味わったあの感激は何だったのだろうか。
自分の感情を理解できないもどかしさを感じてしまう。

 今日の宿、2番に向かう道はのんびりとしたものだった。
先への不安感は無く、肩の荷も無い。16.5cmのお陰で足も痛くない。
結願した感激は少なかったが1200kmを一日も休まず歩き通した事実は残った。

この事実がこれからの私の人生の自信にきっとなってくれるだろう。

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紅白の花を求めて島田奥へ(静居寺)

2018-04-15 16:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-10(火)
歩行時間:4時間40分   休憩時間:0時間50分   延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分     到着時刻:14時20分
歩  数: 21、028歩(推定距離14.51km)    GPS距離km
行程表
 静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
 柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺 

     
                           静居寺からドウダン原周回概略図

  高草山のキスミレと千葉山ドウダン原のドウダンツツジが最盛期を迎えていると云う。
さてどちらに行こうと悩んだが、高草山は黄色だけ、島田なら紅白の花が見れるかもしれない、ならば島田だ。
それに来年の初詣ウォークには、島田3山と千葉山智満寺を含めた 「島田三山3山」 もいいなと思ってもいる。
ただコースの設定が難しく、寺の三山は智満寺、静居寺、天徳寺か東光寺にしたいが、静居寺周辺の道が分からない。
以前車で静居寺の牡丹を見に行き、花壇を手入れをしている人に、静居寺から尾根へは道があると聞いたことがあるので、
それなら今回は丁度良い機会だ。今日は静居寺からの道を探しながらドウダン原へ抜けてみよう。

 
                静居寺惣門                                牡丹の花壇

  「青原山静居寺」 寺の山号寺号は難しい字が多いが、ここは字は易しいが読み難いですよね。
寺号は来る途中の標識に “静居寺(じょうこじ)” と書いてあったので読めたが、山号の青原山は “あおはらざん” なのか
 “しょうげんざん” あるいは他の読みなのかも分かりません。
更に静居寺の建つ地名は、島田市 「旗指」 です。さてこれも “はたゆび” なのか “はたさし” なのか分かりません。
何とも謎の多い静居寺です。

  この辺りの曹洞宗の古刹であれば、榛原の石雲院と関係がありそうだが案内板には何も書いてない。
ましてや石雲院の弟子が開いた焼津の林叟院の事など書いてある訳はないのだが
処が林叟院のHPにはこんな事が書いてあります。
 「名僧崇芝性岱(そうししょうたい)禅師が開いた坂部の石雲院には、三千人を超える修行僧がおりました。その中に石雲七哲と
いわれる七名の名僧の内の一人、賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)禅師が修行に励んでいました。
賢仲禅師は38年間を林叟院にて過ごしましたが、70歳を過ぎて禅師は島田の伊太の愚鶏寺に閑居しましたた。その後弟子の
大樹宗光(だいじゅそうこう)師が静居寺を建立することとなり陰に陽に助力を与えました。その建立後は静居寺で老を養う身と
なり永正9年静かにその生涯を閉じました。齢七十五歳でありました。」
 とあります。

 だが静居寺の案内板には 「16世紀頭に賢仲繁哲を開山として建立されました。」 とあるだけです。
ここに “林叟院の住職だった賢仲繁哲が開山し・・・・・” とあればもっと地域的興味も増すと感じるのは私だけでしょうね。

  ここの惣門が京都から移築した建物で県の有形文化財に指定されています。
この門の特徴は 「向唐門(むかいからもん)」 で、正面および背面に唐門がある事です。
確かに正面から見ても裏面から見ても唐門様の屋根が見えます。

  牡丹は惣門から山門に続く参道の両側にあるのですが、残念ながら咲いていたのは3株だけ。後は蕾の状態でした。
今日の “紅白の花を求めて” の “紅” は空振りでした。

    
               牡 丹                                   牡 丹

  わずかに咲いていた牡丹です。

 
               池と山門                                      山 門

  案内板には山門とあるが無碍門、惣門と続いているから三門とも云えそうだし、形は楼門、鐘門でもあります。

    
                経 蔵                                    輪 蔵

  本堂の裏には八角堂の経蔵があり、経蔵の中にはグルグル回る輪象がありますが、これも静岡県では珍しいものです。

    
               童地蔵                                  無事カエル

  境内にあった蛙の置物です。今日も無事歩いて戻ってこなければ。

     

  静居寺からバラの丘公園上の稜線のハイキングコースまでの道は、地理院の地図を見ると林道、山道、農道と線は
繋がっているので大丈夫だろうと考えていました。

 
                  別荘?                                  サワガニの里

  静居寺横からの沢横の道は、意外に太い道でびっくりしたが、途中にあった大きな建物の先からは普通の林道でした。
途中には 「杉の小径 さわがにの里 二ノ橋」 の表示があるのは、ここは遊歩道なのだろうか。

 
                  林 道                                   放置自動車

  放置されたままの自動車には “佐の幸” と店の名前らしきものが見えるが、度胸いや図々しい人だ。
よく看板を付けたまま放置できるものだ。なんて思ったが、ここが佐の幸さんの私有地なら私の方が無断進入になってしまう。
桑原、桑原、余計なことは言わないでおこう。

    
               うぐいすの滝                            落ちそうな木橋

 「うぐいすの滝」 は滝のような段差は無いが、岩が木の根のように見える変わった感じだった。
滝を過ぎると林道は細い道になった。オット! 木製の壊れそうな橋だ。木が腐っているのでソット歩かなければ。

    
                石橋と木道                           遂に橋が落ちていた

  一度は細くなった道だが、壊れた橋はコンクリの橋でそれなりに幅は広かった。だが出て来る橋、出て来る橋、全て落ちていて
沢に下りなければ渡れなかった。

 
                橋が無くなっている                           堰堤が見える

  元は林道だったのかどうか分からないが幅広のコンクリ橋がある以上林道は続いていると思うべきだろう。
それに右側を見てきたが分岐していた道は無かった。それなら沢沿いの道を遡るしかない。
 
  遂に太めの道は終り踏み跡状の道になると前方に堰堤があったが、踏み跡を辿って乗り越す事ができた。

    
               まだ踏み跡は続く                         ここを行こう

  堰堤の先には保安林の標識があり踏み跡は続いていたが、その先で踏み跡は見えなくなり沢になってしまった。
丁度沢の合流部で主流は直進し、右は細い支流の沢だった。確か地図では途中で右に曲がって尾根に向かったと細い沢を遡る事に。

 
              赤い杭があった                             やっと尾根に出た

  沢に入っても水も無く少しゴロゴロするだけで歩くには支障はなかった。だがそんな部分が終ると川の出口にある三角州と
反対に、沢の入口に向かって三角になった地形になった。傾斜はかなり急だが何とかなりそうな感じはする。だが何処を登ろう。
まるで岩登りのルートハンティングのように登れそうな所を探す。
余り右に行き過ぎてもいけないし、中央部分は草木が無くズルズルした土のようだ。あれでは掴まる所も無いし滑ってしまう。
そうなうと右を行くしかないが、マー上りなら何とかなりそうです。

  落ちて死ぬような場所ではないが、この辺りは人は通りそうもない。落ちても自分で下山しなければならない。
どうか足元が滑りませんように。手にした草が抜けませんようにと祈りながらの歩き、いや攀りになってしまった。
途中に赤い杭があったが、その上もまだ急斜面は続く。
やっと尾根に辿りつきホッとしたが細い尾根で当然農道は無く。その先はまた谷になっていて目的の尾根はその先のようだ。
(後で地図を確かめてもそんな地形の場所はないので、谷と云っても10mもなかったのかもしれません。)

  後で写真を見ると沢から尾根までの写真は1枚も無い。今になれば余裕のあるような恰好をしているが、その時は
必死だったのでしょう。

 
              子尾根を登る                               フ~農道に出た

  もう谷を下り気にはならず、出合った子尾根を左に曲がり上る事にした。
途中にも赤い杭があり目的は分らないが人は入っている。
前方に崩れた崖のような物が見えるが、まさかあそこを登るの? イヤダナーと恐る恐る下を覗き込むと、そこには落葉の間から
舗装された農道が見えていました。フ~!

  谷から子尾根まで20分弱、そして子尾根から農道まで10分弱の冒険でした。
もうここは登る事も下る事もしません。特に下りに使えばまず私では滑り落ちる事でしょう。

 
              千葉山が見えた                               矢倉山入口の三辻

  出た場所が何処か分からなかったが丁度農道は右も左も下りだったので高台のようです。
農道を少し下るとまた上りとなったその先に、見慣れた景色が現れた。
千葉山から矢倉山に登りバラの丘に向かう途中で唯一千葉山やペンションが見える場所です。
ここまで来れば矢倉山入口の三叉路は近い。

  農道に出てたった5分で矢倉山入口の三叉路に出てしまった。どうやら沢横の道の落た橋を幾つか渡ってしまったが、
途中から右へ分岐していた道を見落としたようだ。そんな事はないと思うがなぁ。

四国遍路34日目

2018-04-15 10:00:00 | 四国遍路
          
                         88番 大窪寺

                     結 願(34日目) (2003/4/15)

 宿(7:20)→長尾寺(87)→大窪寺(88)→宿(16:00)    32.8km

 気を引き締めなおして結願の日の旅立ち。
これからのコースは女体山経由で88番に行き、88番からは四国88ヶ所総奥の院といわれる與田寺を参拝してから
1番霊山寺に戻るコースとした。

一般的な88番から10番の切幡寺に抜け、行きと同じ道を1番に戻るコースは上り少なく歩きやすいらしい。
一方與田寺廻りは大坂山越と卯辰越といった難所を越すコースらしい。
まだまだ歩く体力は十分残っているが、いざ88番近くなり気が変わって、楽な切幡寺廻りにならないとも限らないので、
今日の宿は切幡寺分岐を大分過ぎた所にある白鳥温泉に宿を予約してある。ここなら與田寺に行かざるを得ない。

 87番長尾寺も過ぎ静かな車道を歩いていると “遍路館” の案内があり、そこには接待所も併設されているらしい。
是非寄ってみたいと思うのだが、場所が女体山コースにあるかどうか分からない。
女体山コースは今歩いている車道と別れ、ダム湖の対岸を歩くようになっているが、遍路館はどちらにあるのだろうか。
不安を感じながら歩いていたら、対岸への分岐点に気がつかないまま、ダムまで来てしまった。
だがそこには女体山コースはダムの上を通って行けるとあったが、そうなると遍路館は諦めるしかないらしい。
と、思ったら、一つの看板にマジックで小さく 「遍路館経由でも女体山へいけます」 と書いてあった。
悪戯書き? とも思えるような感じもしたが、その言葉を信じて遍路館にお向かう事にした。

 程なくすると新しい立派な建物の遍路館が見えてきた。
遍路館では展示物を見たり、お菓子やお茶の接待を受け思いもかけず長居をしてしまった。

 ダム湖が終わる辺りで女体山コースに向かう対岸から来た遍路道と合流した。
そこからの道は車も殆ど通らない細い道になり、やがて山道となってのんびり歩けた。
途中蕨も生えていて何本か採ったが、今晩の宿は白鳥温泉とあるだけでホテルなのか旅館なのか分からない。
民宿のように家庭的でないことは確かだと、採った蕨は捨ててしまった。

 蕨以外にもイタドリ(虎杖)もあった。こちらのイタドリは静岡の山にある細いイタドリでなく、大人の親指より
太く、折るとポッキと音がして筋も引かずに折れる。皮を剥いて食べると酸味があるが苦味は少ない。
これが静岡の細いイタドリだと、筋っぽいし苦くて吐き出さずにはいられない。
子供の頃は食べたのに不思議に思っていたが、昔は静岡でもこんなイタドリだったのだろう。

 女体山の山頂近くの岩場からの眺めは良かった。
今日は遠くに見えるあの海からここまで歩いたのだと思うと我ながら感心をしてしまう。
言い古されているが、一歩一歩は小さいが、それが積み重なれば偉大なものになることを実感できる眺めだ。

 歩き始めて最初に見た海は23番薬王寺からの紀伊水道の海で、土佐では常に太平洋がついてまわり、
伊予では霧の中の豊後水道だった。58番仙遊寺では瀬戸内海としまなみ海道が一望できた。
そしてここ讃岐の女体山では播磨灘を望んでいる。何事も挑戦すればできるのだとしみじみ思った。
長年のサラリーマン生活で、すっかり衰えたと思っていた体力に改めて自信を持った。

山頂から奥の院経由で行く大窪寺には、急な下り坂を下るとアッと言う間に着いてしまった。

 いよいよ夢にまで見た結願(けちがん)だ。
車遍路の時は感激して目も潤み鼻声で家に電話をしたが今回は--------

そんな馬鹿な! 今までお参りしてきた87ヶ所の札所と同じ感激でしかない。
涙も出なければ鼻声にもならない。そんな馬鹿な! 
何故だろう? まだ歩き足りないと言うのか? 感激しない自分に腹がたった。

 ここ大窪寺では88ヶ所を打ち終わった遍路が金剛杖を奉納する慣わしがあると言う。しかし私は奉納しない。
明日も歩かなければならないが、次回の遍路の時もこの杖と白衣、菅笠は使いたい。
また自分が死んだ時はお棺の中に入れてもらいたいと考えている。

 歩き遍路の多くは88番の前にある民宿八十窪に泊ると言う。
今も何人かのお遍路八十窪の前で話しているが、今晩この八十窪は満員だと話しているようだ。
歩いていると殆ど会わない歩き遍路なのに、打戻しとか、このような場所になると増えてくる。
今日も歩き遍路らしき人とは長尾寺で一人、遍路館で一人、そして山頂の岩場で二人と計4人会っただけだ。
線路が平行で永久に交じ合わないように、遍路も同じような早さだと、いかに会う事が少ないという事だろう。

それにしても早まったと感じた。
この宿へ泊るお遍路さん達はきっと夕食の時など遍路の苦労話に花を咲かせるだろう。
そんな色々な人の話を聞きたかった。私ならきっとトンネルの恐怖を喋ったに違いない。

それが今日の宿の白鳥温泉はまだこの先10kも歩かなければならない。トホホ------

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