はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

四国遍路21日目

2018-04-02 10:00:00 | 四国遍路
       
                      41番 龍光寺

                  トンネルの恐怖(21日目) (2003/4/2)

  宿(5:40)→龍光寺(41)→佛木寺(42)→明石寺(43) →宿(16:30)        42.0km

  お握りの朝飯を食べ無人のロビーで玄関の鍵を自分で開けてサー出発だ。
ウーンまた雨。部屋の中では雨音は聞こえなかったのに、全くいやになっちゃう。
雨合羽を身に着け気を取り直して再度出発。

 今日の宿も43番明石寺のある宇和町の旅館にするか、その20k先の大洲のビジネスにするかで悩んでた。
大洲だと歩行距離は42kほどで、宇和だと20kそこそこだが、その間には宿泊施設は無さそうだ。
これだけ距離が違うと朝の出発時間も大分変わるので、歩きながら決める分けにもいかない。
結局旅館だと宿泊費が高そうだし、距離が20kでは余りも少な過ぎると、大洲のビジネスを予約した。

 今日も峠越えが二つある。
最初が歯長峠で本には 「路面侵蝕流失足元注意」 とか 「羊歯雑木繁茂」 と書いてある。
もう一つの鳥坂峠には 「国道直行より1km長く1時間余分にかかる」 となっている。
どちらも雨天の日には余り歩きたい道ではないが、国道でトラックに水しぶきを掛けられるよりもましだ
ろうと例により峠越えを選択する。

42番佛木寺を過ぎると歯長峠の山道に入る。
道ははっきりしていて羊歯が覆いかぶさっている所も無かったのだが、道がぬかるみズルズル滑る。
場所によっては山道が沢のように水が流れている。
その水を避けて横に飛んだ時、ぬかるみに脚を取られ水の中に転んでしまった。
転んでも合羽を着ているから濡れることは無いが、痛いし疲れが倍加する。
雨さえ降っていなければ快適な山道も、雨で一転、歩きにくい道になってしまうことを学んだ。

 43番明石寺でお参りをしていると宇和島城で会ったご夫婦に声を掛けられた。
二人は宇和島からバスを乗りついて龍光寺と佛木寺を打って、そこから歩いて明石寺まで来たという。
今日はこれからJRの電車に乗って大洲に向かい大須のホテルに泊まると言って出て行った。
土で汚れた合羽やザック、そして疲れた顔の私と違ってなんとも爽やかな顔だ。

私も今日は大洲へ泊まるのだが、まだ20k歩かなければならないし峠越えも待っている。

 「あー嫌になっちゃうな」 と声が出てしまった。
そんなに嫌なら次の峠は山越えを止めてトンネルにしようと、心変わりしたのだが、その心変わりが
恐怖への入口だったとはその時は知るよしもない。

 鳥坂隧道の国道56号は片側一車線で交通量が多く、しかもトラックが多く感じられた。
国道がトンネルの手前に来ると、車のエンジン音がトンネルに反響してこっちに向って来るように感じる。

ペンライトを準備してトンネルの中を見ると、歩道は段差がなく白線を引いてあるだけだ。
しかも照明も無く暗い。少し後悔をしたが山道の入口へ戻るには大分戻らなければならない。
エーイママヨと勢いをつけてトンネルに入る。
 「ブワー」 と大音響が響き渡り、トラックに菅笠が煽られて体が浮くようになる。
慌てて片手で抑えると足は止まってしまった。今更戻るわけには行かないのに何ともだらしがない。

左手にペンライトを持ち運転席に見えるように上下に振る。
右手で金剛杖の中央部を持ちながら菅笠を抑える。再度意を決して歩き始める。
しかしトラックが来ると駄目!だ。車が自分を目がけて来るように感じて足が進まなくなってしまう。
ペンライトと杖に貼った反射テープが少しでも目立つようにするのだが効果があるのか分からない。
多分効果は無いのだろうな、どの車もスピードを緩めることなく轟音と共に向かってくるのだから。

遍路道にこんな怖いトンネルがあるなんて信じられない。無事トンネルを出ることが出来たら新聞に投書してやる。
こんなの国土省の怠慢だ! 恐怖心に怒りが加わってくる。

出口に近づいて来ると今度は水しぶきが襲ってくる。
この水しぶき、上から来るのではなく下からくるから始末が悪い。顔を下に向けても遠慮容赦なくかかってくる。
だからと言って顔を上に向ければ菅笠が余計に煽られてしまう。全く泣き面に蜂だ。

そんなこんなでようやくトンネルを抜け出したときはヘナヘナとしゃがんでしまった。

後で他のお遍路さんにこのトンネルの事を聞くと、聞いた人全員が怖かったと言う。
ある人はポンチョが車に巻き込まれるのではないかと思ったとか、右側だと車が向ってくるので左側を歩いたと
言う人もいた。まさに恐怖のトンネルだった。
(ポンチョの時は、ポンチョの上からザックの下あたりを紐で結ぶと煽られません)

冷静になってから考えてみると、トンネルが嫌なら遍路道を歩けば良い事で、怖かったのはトンネルを選んだ
自分の自業自得だ。何も国土省が悪いわけではないと結論付けた。でも怖かった。

トンネルで全精力を使い果たしたせいか道が分からなくなってしまった。
国道を歩いていると下の方に遍路道らしき道が見えてきたり、国道を離れると遍路札が見当たらなくなり、何処を
歩いているのか見当も付かなくなったりした。
遍路も最初の頃ならこれで不安になったが、最近は随分と図太くなり、兎も角大洲の町に出ればいいのだからと
割り切れるようになった

大洲の町に入ると 「おはなはん通り」 と看板が出ていた。昔NHKのドラマ 「おはなはん」 を撮影した所らしい。
キョロキョロ辺りを見回すが何も変わった物は無い。
雨の中物好きだと思いながらも、その通りを歩いてみたが結局何も無かった。
きっと古い家の板壁が明治だか大正を感じさせると言う事なのだろう。

夕暮れの雨の中、明治時代の街並みを遍路姿で独りトボトボ歩いている姿は、いかにもお遍路さんらしい情景だ。
きっと山頭火みたいだろう。誰か今の姿を写真に写してくれー。

それに比べ、車の恐怖に慄きながら歩いたさっきの姿は一体何だったのだ。


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