はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

日々悪日 迷惑な悪徳メールと勧誘電話

2019-06-17 16:56:49 | 躄日記
               
                             散歩中の富士山           2019/6/17AM4:35写

                昨日は台風並みの強風が吹いていたが、今朝はそれも治まり台風一過のようなさわやかな晴天です。
                昨日の富士山は山肌に雲がまとわりついていたが、今朝はご覧のようにスッキリ見えてぃます。
                ただ昨日は8合目辺りからは新雪が見えていたが今日は見えません。
                強風で飛ばされたか、昨日の高温で溶けてしまったのでしょう。
                ************************************************************************************************************************************

最近妻の携帯電話に送られてくる悪徳メールがやけに多い。今までも毎日コンスタントに10通ぐらい送られてきたが、それが
ここ2・3日は夜明けから夜までひっきりなしにかかってきて、煩くて仕方にない。
そのままにしておけば良いのだが、携帯はメール着信の合図に二つの明かりを点滅させる。
妻に言わせれば 「折角充電したのが、すぐ駄目になる。」と言ってこまめにメールを削除している。
一体一日何本のメールが来るのかと勘定をすると、昨日は53通の迷惑メールが着信した。
で、妻が必要とするメールはと云えば昨日は1通も無い。どだいアドレスを教えてあるのは娘と孫の二人だけなので、月に4・5通
しか無いのだ。
以前も余りに迷惑メールが多いので、娘にメールアドレスを変えてもらった事がある。
確かに変えた当初は迷惑メールは無くなったが、じきにかかってくるようになり、こうなれば元の木阿弥でコンスタントにかかって
くるようになってしまった。
迷惑メールには波があって、2・3日多い日があっても、その次は減少したり、1通もかかってこない日もある。
妻に言わせればメールが多い日は 「ノルマが厳しい日」 で メールが無い日は 「ノルマ達成で褒美休日」 だという。
最近では迷惑は迷惑であるが慣れてしまって、削除するときメ-ルの題名の一部を見て 「懸賞当選!だって」 とか 「1億円の儲け
話だってさ」
等と喜んで報告してくれる。
口では 「迷惑だ」 と言いながらも月に4・5回の着信では淋し過ぎて迷惑メールでも楽しみにしているようだ。

一方 「勧誘電話」 とは、固定電話にかかってくる商品勧誘などの電話の事で、この中には高齢者宅にかかってくる 「オレオレ
詐欺」
の電話も含まれているかもしれない。
我家の電話は 「ND(ナンバーディスプレイ)」 に加入しているので発信者の電話番号が表示される。更に電話機の機能を
使い登録済の番号はその登録内容を放送してくれるようになっている。
例えば登録済みの場合は 「御殿場の勝俣さんから電話です。」 とか 「公衆電話です」 等の場合は素早く出る。
一方 「非通知です」 と告げられた場合は無視。ただ一番多い着信は案内も無くただ呼び出し音が鳴る場合です。
この時は電話のディスプレイに表示されている番号を見て、0120などの商業の番号は応答せず、携帯電話や固定電話の
番号の時は仕方なく出るようにしています。
そうすると何故か近隣の商店などからの勧誘電話が多くなっています。
そうして我家が必要とする電話は、信数の数分の1になってしまいます。
因みに昨日の着信数は5回で応答した電話はありませんでした。

これで気になるのが、こんなに多い迷惑電話をNTTも携帯電話会社も対処してくれない事です。
迷惑する証拠には電話番号やメールアドレスがあるので、電話会社は電話なりメールを送り 「相手の方が迷惑しています」
告げる事はできないのか。それでも止めない場合は、迷惑防止条例などで告訴してくれればいい。
警察もそうです。 「知らない電話には出ない。不審なメールは開かない」 と広報しているが、これでは迷惑メールは減らないし、
詐欺の被害者も無くなる事は無いだろう。難しい事は分らないが電話会社と警察はもっと能動的に動くべきだと思う。
と、また腹がたつ、


 *追1
  このところ体調不良に陥っています。原因は多分ステロイドの量が減ったためと思いますが、今この薬は減量の最中です。
  例え主治医に不調を訴えても、次回2錠に減らすのを、そのまま2.5錠にするだけでしょう。
  そんな中、楽しみが出来ました。それはNHKTV 「おしん」 が再放送されたことです。1録画で6話分録画するので
  毎日のように1時間半のTV視聴を楽しんでいます。

日々悪日 腹がたつ運転免許返納報道

2019-06-09 16:49:02 | 躄日記
俳優の杉良太郎(74)が運転免許証を自主返納したとNKKや朝日で報道していた。
74歳の彼は 「70歳を過ぎると体の変化も起こる歳であり、反応が以前と違うなと感じました」と免許を返納した。
また 「近頃、高齢者による事故が多発して、相当の犠牲者が出ている。ちょっとでも不安があったら返納した方が
いいかなと思いました」

確かに私も同じように考え免許証を返納したいと思う。だが現実に反応した後の生活を考えるとどうしても決断が
つかない。先ず考えるのは日々の買物。
私の住む住宅団地は旧大井川町地区では人口密度が一番高く、都市計画税も徴収されている地域です、と聞けば
誰もが駅周辺の住宅地を思い浮かべると思う。だがとんでもはっぷんで、今では高齢化が進み限界集落に近い
住宅団地です。
団地の周辺には歩いて買物に行ける範囲内にはコンビニ以外の店屋はありません。
ではバスはと言うと、焼津市のコミュニティーバスが団地と大井川支所の間を4往復しているのと、最寄りのJRの
藤枝駅は藤枝市の自主運行バスが、善意で平日の5本が藤枝駅に走ってくれています。
しかしこれとて買物をするには駅前からバスを乗り換えて行くしかありません。
勿論タクシーを使えばどうと云う事はないが、毎回使うタクシー代はどうと云う事があります。
更に遠い焼津市立病院にはどうして行けばよいのでしょう。バスを乗り換えて行く方法もあるようですが
朝早い採血の予約時間には間に合いそうもありません。
そんな状態の地区に住むとどうしても運転免許証を手放したくなくなります。

杉良太郎さんの住む場所が東京の何処にあるかは知りませんが、地下鉄やバスが何本もあり移動するのに
余り不便を感じる所では無いでしょう。
まして奥さんも有名な歌手なので、毎回タクシーで移動しても懐に響く心配はないでしょう。
いやタクシーどころか自家用車をマネージャーに運転させることも可能ではないでしょうか。
杉さんの行為や考え方は正しいと感じるが、それを報道するマスコミの行動は何やらやらせ気味の美談報道で
気持が悪い。
大体杉さんがあの日のあの時間に運転免許証返納すると何故報道各社に分かったのだろう? 
多分警察が知らせたのだろうが、すぐにそれに飛び乗る報道機関もだらしがない。
今、元事務次官が引籠りの40台の息子を殺害した事件が報道されているが、どの社も殺した事務次官の行為には
共感と同情の念を含めて書いて、殺された息子については同居する前の生活に触れず、同居後の荒れた生活の
事しか書かず、殺されても仕方なかったと思わせる文面になっている。
これらの報道は全て警察が発表した事のみの説明文でしかない。
何処かの社で一人暮らしをしていた被害者の生活を調べて報道してくれたらと思うのだが。

ローマ字の表記方法

2019-06-08 08:37:21 | 躄日記
          
<                            ゼラニュームの生垣       2019/5/29写

 ゼラニュームの鉢植えを一列に並べ生垣にしている家がある。
花が咲いている時は良いが、花が終ると隙間が多くて余り見栄えは良くない。しかも鉢植えなので
水やりが面倒だろうと思う。せめて露地に下したどうだろう。
鉢植えのまま一年中こうして置いてあるのだから、きっと露地栽培で大丈夫だろう
     *************************************************************************
 
日本語のローマ字の表記方法は以前から疑問を感じ、何度となくこのブログに書いてしまっている。
その一つは名前の表記方法です。
日本ではローマ字で名前を書く時は 名・姓 の順番で書くが、同じ漢字圏の中国や韓国では 姓・名 と国内で使われて
いる順で書いている。
例えば毛沢東主席や李承晩大統領は、あくまでも毛沢東、李承晩だそうです。なのに同じ漢字圏の日本は何故逆になる
のだろう。?

世の中を横目で見ている私の考えでは、アメリカ人が上陸してきた明治の頃は、進歩的学者は西洋崇拝の気持ちが
強く、なんでも西洋風にしてしまったのだろう。これでせめて西洋人が日本に来た時は 姓・名 の順序で名乗っていれば
納得するのだが。

ところがです。今度政府がローマ字表記は 姓・名 にすると通達を出しました。アメリカベッタリの否トランプベッタリの
安部首相がよく納得したと思う。
トランプベッタリと云えば、先日の国賓で招待した時の大相撲観戦も、余りに政府も相撲協会も忖度のし過ぎで情けなく
なってしまった。砂被りの升席の4席を潰して大統領、婦人、首相、婦人のソファー席を設けたのだから呆れてしまう。
今迄平成天皇が相撲観戦していた貴賓席なら警護もしやすかっただろう。
今度天皇陛下が観戦するとき 「砂被りのソファー席で見たい」 と要望したら相撲協会はどうするのか、興味深い。
尤も天皇を初めとする日本国民は、そんな非常識は要望はしないだろうし、相撲協会がすると云っても断るだろう。
そうそう升席4席を潰して作ったソファー席の料金は、相撲協会が負担をして無料だったとか。
前例を破り升席に椅子を導入した協会は、今後は車椅子の人の升席観戦も断れないだろうし、更には女人禁制の
土俵場上のしきたりも当然続ける訳にはいかない。

西洋崇拝と云えば、私が子供の頃は、皿にのったご飯を匙とホークで食べる時は、ご飯は匙の背に乗せて食べると
指導されていた。それが今ではどうだろう。外国人はスプーンの背にライスをのせて食べたりしないと言って、普通に
匙ですくって食べている。これは一体何なんだ! 誰が言い出し誰が広めたのか。
最初は知った振りの外国かぶれが言い出したのだろうが、何故そんな風習が全国に広まったのだ。
何人もの日本人が西洋に行ったのに、日本の食事マナーがおかしいと何故云いださなかったのか、不思議だ。

さて姓・名の順所の次はヘボン式の問題です。この問題も過去何回かブログに書いているので、今回はそれを参考にします。

 「11番普門寺を出ると右手に鈴木自動車の工場が見える。工場の屋根には「SUZUKI OSUKA」と書いてある。
SUZUKIは鈴木で分るがOSUKAとは何でしょうか? 地元の人なら分るでしょうがこれは大須賀を表しています。

ローマ字のヘボン式で書く場合は、長音の「O」や「U」は記入しない➜ (例)大野(おおの)はONO、斎藤(さいとう)は
SAITOとなるようです。

私はヘボン式の全てを否定する気はないが、この長音だけは不満を感じます。
外国人は「0」や「U]は自然に延ばして発音するので、OONOやSAITOUと書く必要はないと説明している。
 だが例に挙げたONOは大野さんなのでしょうか、それとも小野さんなのでしょうか判断できません。
日頃街中でよく見かけるのに「KOBAN」があります。交番の屋根についているから交番と判断しますが、
ヒョット見れば日本人なら小判を連想してしまうでしょう。

地名もそうです。日本を代表する大阪は「OSAKA」なので小坂と勘違いする事もあるでしょう。
道路標識も今は漢字下にローマ字で書いてあるので勘違いしませんが、これがローマ字表記だけなら迷子になって
しまう恐れが出てきます。
私は外国人と話したことがないので分りませんが、外国人は「オーサカ」は言えるが「オサカ」とは言えないのでしょうか。
若し二つを区別して発音できるならローマ字表記の仕方も当然変えるべきだと思います。

近所の小学校に相賀(おうか)小学校があります。その学校の入口には漢字の下に「OOKA」と書いてありました。
この表記はヘボン式なら明らかに間違いですが、この様に表記した気持ちはよく分かります。
何でもも外国がそうだからといって、日本人に理解できない事をするのでなく、日本人も外国人も両方が何となく理解で来る
解決策をみつけるべきだと思いますが----」


てな事を書いていた。

日々悪日 アルツハイマーか認知症か はたまた老化現象か

2019-06-03 15:54:44 | 躄日記
          
                     イヤリング(フクシャ)の生垣              2019/5/29写

 イヤリングとは10年以上前に花卉園芸関係ないサントリーが花苗を売り出し、園芸ブームを作った頃の花です。
その頃イヤリングと一緒に売られていたサフィニアは今でも人気が続き、その頃と同じ料金298円で売っています。
イヤリングはフクシャ、サフィニアはペチニュアの改良品で、最大の特徴はどちらの花も原種より強くなっていて、
花期が長くなった事です。また花付きも非常に多くなっています。
例えばサフィニアの場合、春先に1苗帰って、新芽が延びたらその芽を摘まんで土に差せば、ほぼ半分は活着します。
イヤリングはさらに強く挿した芽は9割近く活着します。
最初の頃はどちらも花の説明書の通り過保護に育てていたが、その内ほっおぽらかしでも育つことが分かり、余り手を
加えなくなりました。それで枯れる事なく咲き続けました。
イヤリングはさらに強く、冬でも鉢植えのまま外に放置しておいても春になれば新芽を伸ばし花を咲かせてくれます。
その内、鉢植えが面倒になり、苗を露地に下してみると、なんと鉢植えの時より威勢よくズンズン大きくなり、冬越えも
大丈夫でした。
それならと生垣の柘植が枯れて、醜くなっていたので、イヤリングを植えてみました。
どうです! いい生垣とは言えないが、イヤリングの変わった生垣になりました。
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慈雨  柚月裕子
  定年退職し、お遍路を旅する元警察官が、少女誘拐事件の発生を知る。
  それは16年前に自ら捜査にあたった事件に酷似していた。


なんて 「四国遍路」 と書かれた書評を読んで、すぐ大井川図書館のHPへ予約申込みをした。
新刊の割には空いていて2件待ちで手に入ったその本を読みだすと、筋そのものは分らないが、一つ一つのエピソードは
何故か既視感がある。新刊なので読んだ事は無い筈なので、多分少し前に読んだ篠田節子の「冬の光」の記憶なのだろうか?
あれも退職男性が東日本大震災のボランティア活動をした後、車で四国遍路をし、その帰路でフェリーから投身自殺を
図った話だった。
今回の慈雨の主人公は、奥さんと一緒の歩き遍路で結願するのだが、どちらも本も遍路の内容には不満が残った。
マ~それは良いとして、方や車、此方歩き遍路なので記憶減退が始まっている私でも間違いようがない。
するとこの既視感は何だろう? 分からないまま読み終わってしまった。

本を返す前にエクセルで作った読書済の本の管理表に記入して、並べ替えを行うと・・・・・・・・・・
何と何と既に読み終えた本の中に入っていた。慌てて完読日を見るとH29/8/16になっていた。
どうやら新聞の広告欄を見て、てっきり新刊だと思い込んだ私のミスだ。
多分本の広告は文庫本化した時の “慈雨” の広告だったのだろう。
しかし幾つかのエピソードを読んでも既読本だと気が付かないのだから呆れてしまう。それも2年前に読んだ本だ。
確かに私は乱読で、ただ読み散らすだけで頭の中の整理も何もできていない。
現役の頃も購入したら既に読んだ本を何度も買ってしまった事がある。
それでも文庫本には背表紙に “荒筋” が書いてあるので助かるが、単行本はそのようなものは一切なく、ただ最初の
1・2頁を立読みして判断したので誤購入仕方ないかもしれない。だが誤購入に気づいた時の悔しさと、自分の阿保さ
加減が情けなかった事は忘れられない。
会社を辞め本を購入する小遣いも無くなったので市の図書館を利用するようになった。
そこでも誤借り出しは度々起きたが今度は料金が絡まないので余り気にならなかった。
それでも誤借り出しが余りに多くなってきたH15年頃に、気になって本の管理表を作って時々投入してきた。
最初は記録された本が少なく管理表が効力を発する事は無かったが、最近は管理表が役目を果たすようになってきた。
現在投入済みの本は700冊余となり、逆に印刷するのが勿体なく感じるようになってしまいました。

オッと今回は自分の馬鹿さ加減に自分でも阿保たれてしまう話なのに、話が変な方向に進んでしまいました。
今回の事は自分では非常に情けなく感じたのだが、こうして文字にしてみればどうと云う事は無さそうに感じる。
ようは最初はエピソードに既視感を感じたが、その理由が分からずイライラした事。
次に読み終わってから管理表を見て、この本は既に読んだ事のある本だと分かった事。
次にこの本の新聞広告は、単行本の新刊でなく文庫本の新刊だった事。
本を読みだす時に、本の奥付にある発行日を見れば一目瞭然だった事。
これらの全てが分からず本を読み終わり、それらが分かった時は自分にも遂に “アルツハイマーか認知症か 
はたまた老化現象
” に陥ったのだと思ってしまった。

最初はそう思っていたが、今回アルツハイマーと認知症の違いを調べてみると、自分の思い違いが分かった。
認知症とアルツハイマーの関係についてこんな事が書いてあった。
 「アルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)は認知症の原因疾患の一つです。「認知症」は病名ではなく、
認識力、記憶力、判断力が障害を受け、社会生活に支障をきたす状態のことです。
この状態を引き起こす原因にはさまざまなものがあります。
アルツハイマー病もその一つで、最も割合の多い疾患です。
他の原因疾患には、血管性認知症やレビー小体型認知症、前頭側頭型認知症などがあります。」


と、マ~認知症は病名ではなくアルツハイマー病などの総症だと分かった。
では、アルツハイマー病と老化現象の違いを調べると
          
こんな表があったので、それに自分の自覚症状の有無を〇△✖で表示して見ました。
こうしてみると私の記憶減少はアルツハイマー病ではなく、加齢による記憶減少だと分かった。だがどちらにせよ
私がやれる事は何もない。ただただこの症状の進行がCIDPの進行より少しでも遅くなる事を願うのみだ。

そうそう今朝こんな事があった。私の寝間着は昼間穿くジャージと同じ鼠色なので間違いやすい事確かだが、
昨晩寝るときにウエストを締める紐の片方が穴の中に入っている事に気づき、せめてもう片方は穴に入らに様にと
瘤をこしらえておいた。
なのに朝起きてみるとその瘤が見えなくなっていた。紐の両端とも穴の中に入ってしまったようだ。
穴の上から手で探っても瘤は見たらない。不思議に思ったがこうなったら仕方ない。妻に事情を話して直してもらおう。
パジャマを脱ぎ、ジャージのズボンを穿こうとしたら、アレー瘤がある。
何の事は無い。ジャージとパジャマを取り違ただけだった。だがそれに気づくのが遅すぎる。記憶だけでは思い出せない
事が問題なのだろう。
こんな事は日常枚挙にいとまがないのも困ったものです。