はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

墓参り

2019-03-25 16:38:08 | 往生準備
               
                         天叟院元長寺

妻と娘が静岡にある妻の両親の墓参りに行くという。
私も今までは春か秋の彼岸のどちらかにはお参りしていたが、今年の秋は入院生活でお参りに行けなかった。
そこで良い機会なので一緒に連れて行ってもらう事にした。

完治する見込みの少ない病気に罹ってしまった以上、動けるときに出来る事はなるべくやってしまおうと想う。
今回の墓参りも車の運転さえできればいつでもできるが、他人に連れてきてもらうとなると自由が利かなくなる。
墓参り以外にも故郷の御殿場にも帰りたいし、車の行ける場所でいいが、山の上からの富士山も見てみたい。
イヤイヤそれ以上に墓地の選定は終ったが墓は生前建てておきたいし、菩提寺をどうするか迷っているがこれもハッキリしなければ。
葬儀社は決めたが、まだ疑問が多いのでこれも解決してから妻に説明したい。
ようは生きているうちに自分の死後の大まかな準備をしておき、残される妻に余り面倒を掛けないで済むようにしておきたい。
これは妻がボケはじめたからとかではなく、現在は私より余程もしっかりした利口者です。
それだけに死者に恥を掻かせないよう神経を経を使いすぎて、葬儀が終ったらぐったりしてしまわないか心配です。
そうさせない為にも、半病人で暇人の私が出来る事はやっておきたいのです。

世間ではこれを 『終活』 と呼ぶらしいが、私には “活動” と云うほどの積極性は無く、言うなれば “準備” とか “支度” と
云った程度の気持です。なのでカテゴリー名も 『終活』 ではなく、 『〇〇準備』『〇〇支度』 にしたい。
だが、その〇〇の良い言葉が思いつかない。 “逝去準備” では格好つけすぎに感じるし、“永眠準備” もなんかそのものズバリ過ぎる。
では “往生準備” はどうだろう。当然大往生など望むべきことではないが、 往生なら、死ぬことだけでなく諦めるとか、おとなしくすること
などの意味もある。
そうだ人生の終盤、生きる事は諦めておとなしくするが、その締めだけはしっかり 「準備」 して、周りに迷惑を掛けずに往生を迎えよう。
よって私の死出への準備作業のカテゴリー名は 「往生準備」 にします。


話を元に戻してと。義父母の墓地は静岡市葵区の谷津山の西の麓にある元長寺にある。
この谷津山には古刹名刹が多くあり、今川家中興の祖今川氏親の奥方で戦国女大名の異名を持つ寿慶尼の墓もある。
息子義元が桶狭間で戦死し、頼りのない孫の氏真の面倒を見ながらの最中に亡くなった寿慶尼は、夫氏親の墓のある慈悲尾(しいのう)
増善寺とは別れ、今川館の鬼門の方角に当る谷津山麓の龍雲寺に遺体を埋葬させ
 「死しても今川の守護たらん」 いう願いを込めたのだが、直に甲斐の武田勢に駿府は占領されてしまった。

今川館の鬼門と云えばここは、今川館と同じ場所にあった駿府城の鬼門でもあるので、谷津山には徳川家康が京都から勧請した
 「愛宕神社」もある。
こちらは300年の長きにわたり徳川家を守護してきたのだから、陰陽道が当てにならないとか、当てになるとかと云う事でも無そうです。
もうこれに類する話は止めましょう。これでは昔のダラダラブログに戻ってしまいそうです。

                   
                               義父母の墓

掃除も終り花も活けてスッキリしました。ただ気になるのは墓の正面にある線香立てです。たった3人がお参りする線香でも
立てる場所が足りなくなったしまうのです。なので法事の時などには線香を直接砂利に立てたり横たえたりしています。
これは何とも格好が悪いので我家の墓では線香を横に寝かせて置くタイプにしようと思っています。
この線香立ては御殿場地方では昔から横置きタイプが主流で、静岡は何故か縦置きタイプが多い気がします。
それでも最近は洋風の墓が多くなり、静岡でも横置きタイプが多くなってきています。
静岡と御殿場の墓の違いはまだあって、一番メインの墓石が御殿場地方は黒御影石が多く、静岡は白御影石が多い気がします。
我家の墓はこれから決めるのですが、基本は様式タイプで黒御影石にしたいなとは思っています。

元長寺の墓地に参考になるような墓石があるか見たのですが、古い墓地なので和式の縦型墓石ばかりで参考になるものは
目につきせんでした。
それでも今日の目的は義父母の埋葬されていると墓地に挨拶できたので目的は果たせました。
それといつか石屋に墓石の見学に行く時は、横置き型の線香立てを調達して、義父母の墓にお供えしたいと思います。