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http://www.sankei.com/west/news/160803/wst1608030006-n1.html
戦争の英雄などいなかった…韓国軍「偽りの歴史」 教科書に載るヒーロー、実は逃亡兵
韓国で「戦争の英雄」の戦果が偽物だったとの証言が飛び出し、物議をかもしている。朝鮮戦争勃発時の1950年に、火炎瓶を手に命がけで北朝鮮軍戦車を破壊したとして「国の英雄」に認定されていた小隊長が、実は戦わずに敵前逃亡していたというのだ。(岡田敏彦)
1950年6月に始まった朝鮮戦争でのものだ。開戦当初は戦車をほとんど持たない韓国軍に対し、北朝鮮が大量のソ連製T-34戦車で攻勢をかけたことから、韓国軍にとっては敵戦車の破壊が最重要課題だった。当時韓国にあった対戦車砲や小口径のバズーカ砲(無反動砲)では歯が立たず、韓国軍は総崩れした。この窮地に立ち向かったのがシム氏だ、というのが定説だった。
シム氏は開戦当日の6月25日、北朝鮮と国境を接する韓国北東部の江原道にある春川市で、北朝鮮の「戦車型自走砲」10台あまりを発見。対戦車砲部隊の小隊長だったシム氏は砲撃を開始するものの、命中した弾はすべて戦車の装甲にはじかれた。そこで、5人でチームを組んで手榴弾と火炎瓶で肉迫攻撃を行い、3台を撃破した-というのが、伝えられてきた「韓国の歴史」だった。軍と国民の鑑として、かつては教科書にも載った英雄で、いまも公園や陸軍学校に銅像が立っているという。
ところが、こんな英雄譚は全て嘘だったとの証言が今年6月中旬に明らかにされた。
朝鮮日報(電子版)によると、証言したのは当時、シム氏と同じ第7連隊の隷下にあった第1大隊で中隊長だったイデ・ヨン予備役陸軍准将(91)だ。イデ氏は当時、シム小隊長が戦車の攻撃を受けて逃走したのを、自分の布陣する高地から見ていたという。「後退するのは仕方ないとしても、自分の部隊の大砲を置き去りにして逃げたことは問題だった」。シム氏の上司にあたる中隊長は責任を問い、小隊長だったシム氏は閑職の連絡員とされた。
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この産経の記事によると、シムは自分が担当する大砲を置き去りして逃げ去ったのが真実で火炎瓶を作って敵戦車を撃破したという事実はなかったという。ではなぜこんなバカな史実が生まれたかというと、温情にあったという。この後にシム小隊長は閑職となったがその後の作戦中に戦死したという。
シムの親が軍部隊を尋ね、他の兄弟も戦死したと嘆き悲んだところ、連隊長は同情し「勲章をやろう」と約束したというのだ。ここからシム氏英雄伝説が生まれていく、火炎瓶で敵を撃破したシム小隊長は勲章に値するということで勲章を親に渡したのだ。その事が新聞記者の目にとまり朝鮮戦争の英雄が出来上がったいう。
まるで慰安婦のおばあさんと同じ、売春婦で荒稼ぎしていたが日本の敗戦で軍票でもらってが空手形になり、支払いが済んでないから払えということが可哀想な慰安婦のおばあさん・・・その後売春婦像が建てられた。
シム小隊長の場合、本当の事を知るものが少なくなり英雄でもない敗走兵が嘘の話で英雄になり真実を知るのは自分だけということで真実を話したのだが、慰安婦に関しては日本人工作員が絡んでいることで韓国はその工作員にマル投げで言い分楽だったろう。韓国とは嘘の歴史と英雄で成り立つ国、秀吉の朝鮮出兵も敗走の将が今では英雄という。
彼らは本当の韓国の歴史を知った時自国を呪うことになるだろう。自国に失望して自殺者が出る可能性もある。だが、残念なことに韓国人はその嘘を真実と疑うことは無く他国の忠告は聞かない、それも日本がいう本当の歴史を真実であるとは信じない。日韓が交わることは千年も万年もあることは無い。だから韓国とは断交すべしなのだ。
http://www.sankei.com/west/news/160803/wst1608030006-n1.html
戦争の英雄などいなかった…韓国軍「偽りの歴史」 教科書に載るヒーロー、実は逃亡兵
韓国で「戦争の英雄」の戦果が偽物だったとの証言が飛び出し、物議をかもしている。朝鮮戦争勃発時の1950年に、火炎瓶を手に命がけで北朝鮮軍戦車を破壊したとして「国の英雄」に認定されていた小隊長が、実は戦わずに敵前逃亡していたというのだ。(岡田敏彦)
1950年6月に始まった朝鮮戦争でのものだ。開戦当初は戦車をほとんど持たない韓国軍に対し、北朝鮮が大量のソ連製T-34戦車で攻勢をかけたことから、韓国軍にとっては敵戦車の破壊が最重要課題だった。当時韓国にあった対戦車砲や小口径のバズーカ砲(無反動砲)では歯が立たず、韓国軍は総崩れした。この窮地に立ち向かったのがシム氏だ、というのが定説だった。
シム氏は開戦当日の6月25日、北朝鮮と国境を接する韓国北東部の江原道にある春川市で、北朝鮮の「戦車型自走砲」10台あまりを発見。対戦車砲部隊の小隊長だったシム氏は砲撃を開始するものの、命中した弾はすべて戦車の装甲にはじかれた。そこで、5人でチームを組んで手榴弾と火炎瓶で肉迫攻撃を行い、3台を撃破した-というのが、伝えられてきた「韓国の歴史」だった。軍と国民の鑑として、かつては教科書にも載った英雄で、いまも公園や陸軍学校に銅像が立っているという。
ところが、こんな英雄譚は全て嘘だったとの証言が今年6月中旬に明らかにされた。
朝鮮日報(電子版)によると、証言したのは当時、シム氏と同じ第7連隊の隷下にあった第1大隊で中隊長だったイデ・ヨン予備役陸軍准将(91)だ。イデ氏は当時、シム小隊長が戦車の攻撃を受けて逃走したのを、自分の布陣する高地から見ていたという。「後退するのは仕方ないとしても、自分の部隊の大砲を置き去りにして逃げたことは問題だった」。シム氏の上司にあたる中隊長は責任を問い、小隊長だったシム氏は閑職の連絡員とされた。
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この産経の記事によると、シムは自分が担当する大砲を置き去りして逃げ去ったのが真実で火炎瓶を作って敵戦車を撃破したという事実はなかったという。ではなぜこんなバカな史実が生まれたかというと、温情にあったという。この後にシム小隊長は閑職となったがその後の作戦中に戦死したという。
シムの親が軍部隊を尋ね、他の兄弟も戦死したと嘆き悲んだところ、連隊長は同情し「勲章をやろう」と約束したというのだ。ここからシム氏英雄伝説が生まれていく、火炎瓶で敵を撃破したシム小隊長は勲章に値するということで勲章を親に渡したのだ。その事が新聞記者の目にとまり朝鮮戦争の英雄が出来上がったいう。
まるで慰安婦のおばあさんと同じ、売春婦で荒稼ぎしていたが日本の敗戦で軍票でもらってが空手形になり、支払いが済んでないから払えということが可哀想な慰安婦のおばあさん・・・その後売春婦像が建てられた。
シム小隊長の場合、本当の事を知るものが少なくなり英雄でもない敗走兵が嘘の話で英雄になり真実を知るのは自分だけということで真実を話したのだが、慰安婦に関しては日本人工作員が絡んでいることで韓国はその工作員にマル投げで言い分楽だったろう。韓国とは嘘の歴史と英雄で成り立つ国、秀吉の朝鮮出兵も敗走の将が今では英雄という。
彼らは本当の韓国の歴史を知った時自国を呪うことになるだろう。自国に失望して自殺者が出る可能性もある。だが、残念なことに韓国人はその嘘を真実と疑うことは無く他国の忠告は聞かない、それも日本がいう本当の歴史を真実であるとは信じない。日韓が交わることは千年も万年もあることは無い。だから韓国とは断交すべしなのだ。