会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1383

2017-04-06 20:11:40 | Weblog
会津八一に関するブログ 298

「大和路」(堀辰雄)と会津八一10 2012・12・19(水)

 「大和路・十月二十四日夜」で短編・曠野(あらの)の構想を練っている。
 「ゆうがた、浅茅あさぢが原はらのあたりだの、ついじのくずれから菜畑などの見えたりしている高畑たかばたけの裏の小径こみちだのをさまよいながら、きのうから念頭を去らなくなった物語の女のうえを考えつづけていた。こうして築土ついじのくずれた小径を、ときどき尾花おばななどをかき分けるようにして歩いていると、ふいと自分のまえに女を捜している狩衣かりぎぬすがたの男が立ちあらわれそうな気がしたり、そうかとおもうとまた、何処かから女のかなしげにすすり泣く音がきこえて来るような気がして、おもわずぞっとしたりした。これならば好い。僕はいつなん時でも、このまますうっとその物語の中にはいってゆけそうな気がする。……
 この分なら、このままホテルにいて、ときどきここいらを散歩しながら、一週間ぐらいで書いてしまえそうだ。

 この文の「ついじのくずれから菜畑などの見えたりしている高畑たかばたけの裏の小径こみちだのをさまよいながら・・・」は会津八一の高畑にての歌そのものである。

 高畑にて(第1首)     解説

  たびびと の め に いたき まで みどり なる
         ついぢ の ひま の なばたけ の いろ 

     (旅人の目に痛きまで緑なる築地の隙の菜畑のいろ)

 八一の歌を口ずさみながら、築地のある奈良の小道を堀のように歩く幸せはこの上ない。素空の大好きな歌の一つである。