会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 685

2015-03-31 21:54:28 | Weblog
四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第2首)  解説 

 たち いでて とやま が はら の しばくさ に 
         かたりし とも は あり や あらず や
       
      (立ち出でて戸山ヶ原の芝草に語りし友はありやあらずや)


会津八一 684

2015-03-30 21:25:49 | Weblog
四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第1首)   解説 

 むかしびと こゑ も ほがら に たく うち て
          とかしし おもわ みえ きたる かも 
       
      (昔人声もほがらに卓打ちて説かしし面輪見えきたるかも)


会津八一 683

2015-03-29 20:29:57 | Weblog
四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第5首)    解説

 ともに ゐて まなびし とも は ふるさと に 
         いま か おゆらむ おのも おのもに
             
    (共にゐて学びし友は故郷に今か老ゆらむおのもおのもに)

会津八一 682

2015-03-28 18:52:47 | Weblog
四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第4首)    解説

 むなぞこ に ひそかに たてし ともしび の 
        あぶら とぼしく おい はて に つつ
             
      (胸底に密かに立てし灯火の油乏しく老い果てにつつ)
       

会津八一 681

2015-03-27 19:48:09 | Weblog
四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第3首)   解説

 まなび す と とし の よそぢ を かかげ こし 
          わが むなぞこ の ほそき ともしび
             
       (学びすと年の四十路を掲げ来し我が胸底の細き灯火)

会津八一 680

2015-03-26 19:14:20 | Weblog
四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第2首)   解説

 むかし わが あした ゆふべ に よみ つぎし 
       ふみ なほ ありて しよこ は かなし も
             
      (昔我が朝夕に読み継ぎし書なほありて書庫はかなしも)

会津八一 679

2015-03-25 20:32:03 | Weblog
四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第1首)    解説

 うらわかく いへ さかり きて ほとほとに 
     わが よ は ここ に をへむ と する も
             
     (うら若く家離り来てほとほとに我が代はここに終へむとするも)

会津八一 678

2015-03-24 20:02:18 | Weblog
会津八一 山光集・校庭(十首)   昭和十九年四月
                                 
校   庭
「学生を連れた最後の奈良旅行(11月11日~22日)の後、病に倒れたがようやく回復した八一は早稲田の校庭に立って若き日を追憶する。八一を庇護してきた市嶋春城が4月21日に没した。学徒出陣で大学に学生はほとんどいなくなり、学問の場としての体を成していなかった。大学を辞する決心した八一の母校への決別の歌である」

                                     
1 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第1首)
    うらわかく いへ さかり きて ほとほとに 
                 わが よ は ここ に をへむ と する も
2 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第2首)
    むかし わが あした ゆふべ に よみ つぎし 
                 ふみ なほ ありて しよこ は かなし も 
3 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第3首)
    まなび す と とし の よそぢ を かかげ こし 
                 わが むなぞこ の ほそき ともしび
4 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第4首)
    むなぞこ に ひそかに たてし ともしび の  
                 あぶら とぼしく おい はて に つつ 
5 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第5首)
    ともに ゐて まなびし とも は ふるさと に 
                 いま か おゆらむ おのも おのもに
6 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第1首)
    むかしびと こゑ も ほがらに たく うちて 
                 とかしし おもわ みえ きたる かも
7 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第2首)
    たち いでて とやま が はら の しばくさ に 
                 かたりし とも は あり や あらず や
8 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第3首)
    この かど を いづる すなはち な を なして 
                 いま は きか ざる わかき ひ の とも
9 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第4首)
    まかり きて わせだ の たゐ に いくとせ を 
                 きく つくらしし おほき ひと は も 
10 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第5首)
    こと たえて おほき すめろぎ あまつひ と 
                 たかしり ましつ わが わかき ひ を 

会津八一 677

2015-03-23 20:09:33 | Weblog
   山光集・天長節(三首)   昭和十九年四月

   天 長 節  「天長節3首は八一自身が戦後の山光集改訂版・昭和21年で削除、
         全歌集・昭和26年でも採録しなかった。その後の全歌集・昭和57年
         で採録されたが、八一死後(昭和31年没、76歳)のことで本人の意思
         ではない。したがって、紹介するだけにとどめる」
  注
 山光集について宮川寅雄は以下のように書く。(昭和46年出版・山光集、解説より)
 「・・・醜い、無惨な戦争に、拒絶の術もなく、時にはひきまわされ、時にはさいなまれ、その歌にさえ、それを投影しないではおれなかったのである。
 しかし、それは、総体的日本人の歴史的宿命でもあった。そして、會津八一もまた、その思想の質を、それによって冷厳に問はれ、試されたのであった。かれは軍国主義やファシズムには無縁ではあったが、国家の伝統の伝説には弱かった。『山光集』に、それをまざまざと見とることができる。しかし、かれは、その陥穽に対して、微妙に警戒を怠らなかったことも汲み取るべきだろう。
 『山光集』には、一部の、戦争の投影を除けば、そこには、平常の、美しい人・會津八一がいる。・・・」
                                      

1 天長節(第1首)
    すめろぎ は けふ の よき ひ を いでまさむ
                 とほ つ みおや の かみ の ごとく に        
2 天長節(第2首)
    たけなは に くに たたかへる ひむがし に 
                 わが おほきみ は かみ と たたす も      
3 天長節(第3首)
    はべり たつ おほまヘ つ ぎみ かしこめや 
                 あき つ みかみ と のらす のりごと      

会津八一 676

2015-03-22 19:51:17 | Weblog
 病間第37~41首は八一自身が戦後の山光集改訂版・昭和21年で削除、全歌集・昭和26年でも採録しなかった。その後の全歌集・昭和57年で採録されたが、八一死後(昭和31年没、76歳)のことで本人の意思ではない。したがって、ここに紹介するだけにとどめる。

37 ある青年雜誌より時局の歌を問はれて(1首)
    わたつみ の ふかき を いでて ひむがし の 
                 みそら を いま し のぼる ひ を みよ 
38 ある青年雜誌より時局の歌を問はれて(2首)
    ひさかたの あめ の なほぢ を あさひこ の 
                 ひた のぼる なす くに の いきほひ 
39 ある青年雜誌より時局の歌を問はれて(3首)
    こぞり たち くに の わくご が まもらへる 
                 やまとしまね は かみ の まにまに  
40 ある青年雜誌より時局の歌を問はれて(4首)
    アメリカ は くもゐ の はて に さやぐ とも 
                 ちかづく べし や やまとしまやま   
41 ある青年雜誌より時局の歌を問はれて(5首)
    アメリカ の くぬち とよもし きたる ひ は 
                 ふか こそ まため あぎ も あらはに  

会津八一 675  

2015-03-21 20:35:17 | Weblog
あるあしたクエゼリンの戦報に音羽侯の将士とともにみうせたまひける
よし聞きて(第4首)        解説

 なげき つつ いぬれば ちかき あかつき を 
        その をたけび の おもほゆ らく に

     (嘆きつつい寝れば近き暁をその雄叫びの思ほゆらくに)


会津八一 674

2015-03-20 20:25:02 | Weblog
あるあしたクエゼリンの戦報に音羽侯の将士とともにみうせたまひける
よし聞きて(第3首)        解説

 わたつみ の そこひ も しらず ゆく しほ の 
         ふかき うらみ を わが いかに せむ

    (わたつみの底ひも知らず行く潮の深き恨みを我が如何にせむ)


会津八一 673

2015-03-19 20:09:44 | Weblog
あるあしたクエゼリンの戦報に音羽侯の将士とともにみうせたまひける
よし聞きて(第2首)         解説

 すめろぎ の みこと かしこみ ありそべ の 
         たま と くだけて ちりましぬ とふ

    (天皇の命かしこみ荒磯辺の玉と砕けて散りましぬとふ)


会津八一 672

2015-03-18 21:51:00 | Weblog
あるあしたクエゼリンの戦報に音羽侯の将士とともにみうせたまひける
よし聞きて(第1首)       解説

 より ふして この さよどこ に きく べし や 
          ラヂオ ゆゆしき みんなみ の こと

    (寄り伏してこのさ夜床にきくべしやラヂオゆゆしき南のこと)


会津八一 671

2015-03-16 20:20:44 | Weblog
やがて紀元節も近づきければ古事記の
中巻なる神武天皇の条を読みて(第15首)    解説

 かみ の よ を ひと の うつつ に あき つ よ と 
               おして さだめし おほき すめろぎ

        (神の代を人の現にあきつ代とおして定めし大き天皇)


          明日は都合により休みます