会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1451

2018-07-31 19:48:13 | Weblog
会津八一に関するブログ 759

望郷・第6首(会津八一) 2018・7・31(火)   解説

 すべ も なく みゆき ふり つむ よ の ま にも
               ふるさとびと の おゆ らく をし も


 故郷新潟の冬は深雪で日常はとても暗いものだった。そうした故郷を東京にあって想う。

会津八一 1450

2018-07-30 19:17:48 | Weblog
会津八一に関するブログ 758

望郷・第5首(会津八一) 2018・7・30(月)   解説

 かすみ たつ はま の まさご を ふみ さくみ
          か ゆき かく ゆき おもひ ぞ わが する


 砂浜を行きつ戻りつ深い物思いにひたる。何時の時代にもそうして思索は行われた。

会津八一 1449

2018-07-29 18:53:18 | Weblog
会津八一に関するブログ 757

望郷・第4首(会津八一) 2018・7・29(日)   解説

 よ を こめて あか くみ はなち おほかは の
            この てる つき に ふなで す らし も


 あか(閼伽)とは水のこと、ここでは船底にたまった水を指している。

会津八一 1448

2018-07-28 18:46:15 | Weblog
会津八一に関するブログ 756

望郷・第3首(会津八一) 2018・7・28(土)   解説

 ふるさと の ふるえ の やなぎ はがくれ に
           ゆうべ の ふね の もの かしぐ ころ


 岸辺に柳がある堀で水上生活者が夕食の支度をする光景を詠んだ。八一にとっては懐かしい故郷の光景である。

会津八一 1447

2018-07-27 18:52:21 | Weblog
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望郷・第2首(会津八一) 2018・7・27(金) 解説

 あさり す と こぎ たみ ゆけば おほかは の
           しま の やなぎ に うぐひす なく も
 

 新潟は雪深いところという印象があるが、八一の生まれ育ったところは海や川と密接な関係があったところ。堀割(地面を掘ってつくった水路)も沢山あって、その岸に柳が沢山あった。


会津八一 1446

2018-07-26 22:26:28 | Weblog
会津八一に関するブログ 754

望郷・第1首(会津八一) 2018・7・26(木)   解説

 はる されば もゆる かはべ の をやなぎ の
             おぼつかなく も みづ まさり ゆく


 春になって水かさの増した故郷の川と川辺の緑美しい柳を詠う。22歳で東京に出て65歳まで新潟に帰らなかった八一の懐かしさにあふれた歌である。

会津八一 1445

2018-07-25 18:59:21 | Weblog
会津八一に関するブログ 753

鹿鳴集・望郷(会津八一) 2018・7・25(水)
   
 「いつの頃よりか大正十四年七月に至る」と但し書きがある20代半ばから40代半ばまでの望郷・7首である。

1 望郷(第1首)
    はる されば もゆる かはべ の をやなぎ の
                おぼつかなく も みづ まさり ゆく
2 望郷(第2首)
    あさり す と こぎ たみ ゆけば おほかは の
                しま の やなぎ に うぐひす なく も
3 望郷(第3首) 
    ふるさと の ふるえ の やなぎ はがくれ に
                ゆうべ の ふね の もの かしぐ ころ
4 望郷(第4首) 
    よ を こめて あか くみ はなち おほかは の
                この てる つき に ふなで す らし も 
5 望郷(第5首) 
    かすみ たつ はま の まさご を ふみ さくみ
                か ゆき かく ゆき おもひ ぞ わが する
6 望郷(第6首) 
    すべ も なく みゆき ふり つむ よ の ま にも
                ふるさとびと の おゆ らく をし も
7 望郷(第7首) 
    みゆき ふる こし の あらの の あらしば の
                しばしば きみ を おもは ざらめ や 

会津八一 1444

2018-07-24 23:12:35 | Weblog
会津八一に関するブログ 752

震余・第8首(会津八一) 2018・7・24(火)  解説

 淡島寒月老人に

  わが やど の ペルウ の つぼ も くだけたり
             な が パンテオン つつが あらず や


 淡島寒月は若き八一が親交した20歳ほど年上の人。趣味人であった寒月の全てがことごとく焼失したと言う。
 震災の惨状を8首で表したこの震余は未経験の我々に送られたメーッセージと考えている。


会津八一 1443

2018-07-23 20:06:32 | Weblog
会津八一に関するブログ 751

震余・第7首(会津八一) 2018・7・23(月)   解説

 山口剛に

  うつくしき ほのほ に ふみ は もえ はてて
             ひと むくつけく のこり けらし も


 最も親しい友人の蔵書も燃えてしまった。同情と励ましのこころをこんな形で詠った。

会津八一 1442

2018-07-22 19:30:29 | Weblog
会津八一に関するブログ 750

震余・第6首(会津八一) 2018・7・22(日)   解説

 被服廠(ひふくしよう)の跡にて(第2首)

  みぞがは の そこ の をどみ に しろたへ の
             もの の かたち の みゆる かなしさ


 人の体の脂肪は大地一面に黒々と沁み込んでいた(第5首)、小川に沈んだ焼死体(第6首)、震災の現実である。 


会津八一 1441

2018-07-21 19:30:45 | Weblog
会津八一に関するブログ 749

震余・第5首(会津八一) 2018・7・21(土)   解説

 被服廠(ひふくしよう)の跡にて(第1首)

  あき の ひ は つぎて てらせど ここばく の
             ひと の あぶら は つち に かわかず


 被服廠は「“本所区にあり。その広大なる敷地を信頼して逃れ込みし四万人の避難者悉く焼死せるを以て有名なり。”自註鹿鳴集」


会津八一 1440

2018-07-20 19:08:10 | Weblog
会津八一に関するブログ 748

震余・第4首(会津八一) 2018・7・20(金)   解説

 後数月にして熱海の双柿舎(そうししゃ)を訪はむとするに汽車
 なほ通ぜず舟中より伊豆山を望みて  

  すべ も なく くえし きりぎし いたづらに
          かすみ たなびく なみ の ほ の へ に


 震災の翌年、師であり朋友でもあった坪内逍遥の熱海の双柿舎(邸宅)を訪れた。汽車が無く小田原から舟で熱海へ行ったときの歌である。

会津八一に関するブログ 747

2018-07-19 19:08:33 | Weblog
震余・第3首(会津八一) 2018・7・19(木)
   
九月一日大震にあひ庭樹の間に遁れて(第3首) 解説

あたらしき まち の ちまた の のき の は に
             かがよふ はる を いつ と か またむ


 東京は壊滅的な被害にあった。その復興を祈るしか無かった八一の気持である。 

会津八一 1438

2018-07-18 20:25:13 | Weblog
会津八一に関するブログ 746

震余・第2首(会津八一) 2018・7・6(金)  解説

 九月一日大震にあひ庭樹の間に遁れて(第2首)

 うちひさす みやこおほぢ も わたつみ の
         なみ の うねり と なゐ ふり やまず


 この時、八一は東京市外落合村下落合、市島謙吉の別荘閑松庵に転居し、秋艸堂と自称して住んでいた。恩師、坪内逍遥の大久保邸に駆け付け、無事を喜び合ったと言う。

会津八一 1437

2018-07-16 19:04:27 | Weblog
会津八一に関するブログ 745

震余・第1首(会津八一) 2018・6・25(月) 解説

 九月一日大震にあひ庭樹の間に遁れて(第1首)

  おほとの も のべ の くさね も おしなべて
            なゐ うちふる か かみ の まにまに


 関東大震災の被災者は約340万人、死者9万1344人、行方不明1万3275人、重傷1万6514人、軽傷3万5560人、全焼38万1090世帯、全壊8万3819世帯、半壊9万1232世帯・・・。あらためて、この地震の大きさに驚く。

   (明日第3火曜日は休みます)