会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1363

2018-04-30 23:09:25 | Weblog
会津八一に関するブログ 670

観仏三昧・第1首(会津八一) 2016・10・8(土) 解説

 十五日二三子を伴ひて観仏の旅に東京を出(い)づ   

  やまと には かの いかるが の おほてら に
           みほとけ たち の まちて いまさむ
 

 観仏三昧28首は、昭和14年10月の作である。早大文学部芸術科の学生を連れて奈良見学旅行に赴いた時の作で、冒頭に八一はこう記す。「観仏三昧 仏像の研究と鑑賞に専念すといふこと」

会津八一 1362

2018-04-29 19:28:18 | Weblog
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比叡山・第12首(会津八一) 2016・10・3(月) 解説

 法隆寺福生院に雨やどりして大川逞一にあふ
   
  そうばう の くらき に のみ を うちならし 
           じおんだいし を きざむ ひと かな


 仏像彫刻に手を染めているので、この歌を思い出しながら法隆寺・福生院前に行ったが門がしまっていた。

会津八一 1361

2018-04-28 20:28:39 | Weblog
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秀歌と地歌 2016・9・29(木)

9月19日、朝日新聞の短歌時評(村松由利子)に「歌集をどう読むか」があった。そこで東郷雄二のウェブサイト「橄欖(かんらん)追放」にある「第191回 歌集の読み方」を紹介している。東郷の趣旨を彼女の文章を引用して書く。
「歌には秀歌と地歌(じうた・軽く詠んだ歌や平凡な歌)」があり、「地歌があって初めて秀歌が秀歌になる」、「なんでもない歌でほっとさせた後に、きりきりと張りつめた一首で効果的に読者の心をつかもうとすることもある」、と書く。
 詳しくは上記リンクをゆっくり読んでもらえばいいが、今までの歌集の読み方が間違っていたことに気が付いた。会津八一の歌集や植田重雄先生の歌集、知り合いなどの歌集も一首一首、同じように力を入れて読んだが、間違っていたようだ。
 東郷雄二はこう書いている。
「・・・歌集を読むときには、集中力を6割くらいに下げて並んだ歌に目を走らせる。秀歌センサーはオンにしてあるので、センサーに引っかかる歌が出て来たときに集中力を一挙に上げて秀歌をしばし味わい付箋を付ける。これが正しい歌集の読み方である。・・・」
 亡母の残した歌には地歌が多いと思うが、並べ方によって素晴らしい歌集になりそうだし、歌集や句集を作ろうとする友人たちにも参考になると思う。

会津八一 1360

2018-04-27 18:49:49 | Weblog
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比叡山・第11首(会津八一) 2016・9・26(月) 解説

 これよりさき奈良の諸刹をめぐる(第2首)
      
  いかで かく ふり つぐ あめ ぞ わが ともがら 
            わせだ の こら の もの いはぬ まで


 降る続く秋雨に同行の学生たちもものを言わなくなったという。

会津八一 666

2018-04-26 19:06:40 | Weblog
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比叡山・第10首(会津八一) 2016・9・21(水) 解説

 これよりさき奈良の諸刹をめぐる(第1首)
       
  ゆく として けごん さんろん ほつそう の 
         あめ の いとま を せうだい に いる

 目的は奈良の華厳宗や三論宗、法相宗の寺々、この時は律宗の唐招提寺に入った。   

会津八一 1358

2018-04-25 19:21:55 | Weblog
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比叡山・第9首(会津八一) 2016・9・15(木) 解説

 下山の途中に(第2首)
              
  あきやま の みち に すがりて しのだけ の
            うぐひすぶゑ を しふる こら かも


 物を売る子供の姿を戦後生まれの素空はほとんど見たことがない。しかし、幼いころは親の手伝いをよくさせられた。

会津八一 1357

2018-04-24 18:15:00 | Weblog
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比叡山・第8首(会津八一) 2016・9・10(土) 解説

 下山の途中に(第1首)  
   
  くだり ゆく たに の さぎり と まがふ まで
           まつ の こずゑ に しろき みづうみ


 過日、比叡山を車で下りながら、所々で眺めた琵琶湖の美しい姿を思い出す。

会津八一 1356

2018-04-23 17:49:29 | Weblog
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比叡山・第7首(会津八一) 2016・9・6(火) 解説

 山中にて(第3首) 
    
  かの みね の いはほ を ふみて をのこ やも
          かく こそ あれ と をたけび に けむ


 比叡山・四明獄頂上で天下を取ると叫んだ将門を詠む。

会津八一 1355

2018-04-22 18:50:03 | Weblog
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比叡山・第6首(会津八一) 2016・8・28(日) 解説

 山中にて(第2首) 
                   
  さいちょう の たちたる そま よ まさかど の 
              ふみたる いは よ こころ どよめく


 「そま」とは比叡山のこと。比叡山で活躍した最澄と将門の比叡山における伝説をふまえて詠んだ。

会津八一 1354

2018-04-21 19:00:28 | Weblog
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比叡山・第5首(会津八一) 2016・8・21(日) 解説

 山中にて(第1首) 
                   
  あのくたら みほとけ たち の まもらせる 
        そま の みてら は あれ に ける かも


 「あのくたら」が知らない言葉。 阿耨多羅。阿耨多羅三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)という梵語を八一が略して使った。意味は“仏の無上の正しい悟り”、ここでは“全知の(御仏)”と言う意味。 

会津八一 1353

2018-04-20 23:24:22 | Weblog
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比叡山・第4首(会津八一) 2016・8・15(月)

 根本中堂の前に二株の叢竹あり 開山大師が唐の台岳より移し植うるところといふ(第2首)   解説

  ふたむら の この たかむら を みる なべに 
         たう の みてら を おぼし いで けむ

 叢竹を見るたびに最澄は留学した唐のことを思い出しているだろうと詠む。

会津八一 1352

2018-04-19 21:24:50 | Weblog
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比叡山・第3首(会津八一) 2016・8・10(水)
 根本中堂の前に二株の叢竹あり 開山大師が唐の台岳より移し植うるところといふ(第1首)  解説
                    
 あき の ひ は みだう の には に さし たらし 
              せきらんかん の たけ みどり なり

 最澄が唐から移し植えたとされる叢竹(群がって生えている竹)を詠い出す。

会津八一 1351

2018-04-18 19:03:14 | Weblog
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比叡山・第2首(会津八一) 2016・8・6(土) 解説

 十八日延暦寺の大講堂にて(第2首)
          
  やまでら の よ を さむみ か も しろたへ の
              わたかづき せる そし の おんざう


 綿の帽子をおかぶりになっている伝教大師像を詠んだ。

会津八一 1350

2018-04-16 19:17:07 | Weblog
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比叡山・第1首(会津八一) 2016・7・29(金) 解説

 十八日延暦寺の大講堂にて(第1首)
           
  のぼり きて しづかに むかふ たびびと に
            まなこ ひらかぬ てんだい の そし


 鹿鳴集・比叡山12首の第1首、「てんだいのそし」とは伝教大師・最澄の像のこと。2011年、縁あって若いころの伝教大師の木像を彫った。


(明日第3火曜日は独り言を休みます)

会津八一 1349

2018-04-15 16:12:47 | Weblog
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南京続唱・第14首(会津八一) 2016・7・23(土) 解説

 述懐
                              
  ふるてら の みだう の やみ に こもり ゐて 
            もだせる こころ ひと な とひ そ ね


 南京続唱最後の歌。寺の御堂に籠って、黙想するわが身を歌う。