会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 113

2013-08-31 23:22:38 | Weblog
瀬戸内海の船中にて   解説

 わたつみ の みそら おし わけ のぼる ひ に
           ただれて あかき あめ の たなぐも 

    (わたつみのみ空押し分け昇る日にただれて赤き天のたなぐも)  


会津八一 112

2013-08-31 00:31:53 | Weblog
大阪の港にて(鹿鳴集・放浪吟草第1首)    解説

 をちこち に いたがね ならす かはぐち の
       あき の ゆふべ を ふね は いで ゆく 

      (をちこちに板金鳴らす川口の秋の夕べを船は出でゆく)  


会津八一 111

2013-08-29 23:55:56 | Weblog

 鹿鳴集・山中高歌10首の後に鹿鳴集・放浪吟草63首が続く。

  会津八一 鹿鳴集・放浪吟草(六十三首)
          大正十年十月より同十一年二月に至る
 大正10年6月、「憂患」の山田温泉(山中高歌10首)での時を契機に、学校運営から学術の道に軸足を移す。その後の奈良行きを経て、同年11月から翌年2月まで西国九州の古寺古跡、石造美術の調査を行うとして西国を遍歴する。その時の歌が放浪唫草である。
 2月18日帰京した八一は、早稲田中学教頭辞任を坪内逍遥に3月22日に申し出て受理される。
 西国遍歴の意義は、捨て身の思いで旅だった病身の道人が大自然や古代の美術のおおらかな精神にふれることによって、心の懊悩煩悩が消え、腎臓障害、神経痛などからも解放され、心身ともに新鮮で充実した時を過ごすなかで生気を蘇らせたことにある。(植田重雄著「會津八一の生涯」を参考に)

会津八一 101

2013-08-15 00:02:54 | Weblog
 古都奈良への関心が生み出した歌集『南京新唱(なんきょうしんしょう)』(99首)にその後の作歌を加えた『鹿鳴集』(359首)がある。
 南京新唱に山中高歌(10首)が続く。

山中高歌(第1首)  解説

 みすずかる しなの の はて の むらやま の 
         みね ふき わたる みなつき の かぜ
 
    (みすずかる信濃のはての群山の嶺吹き渡るみなつきの風)



会津八一 100

2013-08-14 00:23:56 | Weblog
東京にかへりて後に   解説

 ならやま を さかりし ひ より あさ に け に
          みてら みほとけ おもかげ に たつ

       (平城山を離りし日より朝に日にみ寺み仏面影に立つ)

 上記で1924年(大正13)に上梓された歌集「南京新唱(なんきょうしんしょう)99首」を終わる。南京新唱自序も参照。
 続いて鹿鳴集の歌の紹介をする。