会津八一に関するブログ 292
「大和路」(堀辰雄)と會津八一7 2012・11・18(日)
「大和路」の「十月二十四日、夕方」から
『きのう、あれから法隆寺へいって、一時間ばかり壁画を模写している画家たちの仕事を見せて貰いながら過ごした。これまでにも何度かこの壁画を見にきたが、いつも金堂のなかが暗い上に、もう何処もかも痛いたしいほど剥落(はくらく)しているので、殆ど何も分からず、ただ「かべのゑのほとけのくにもあれにけるかも」などという歌がおのずから口ずさまれてくるばかりだった。――それがこんど、金堂(こんどう)の中にはいってみると、それぞれの足場の上で仕事をしている十人ばかりの画家たちの背ごしに、四方の壁に四仏浄土を描いた壁画の隅々までが蛍光灯のあかるい光のなかに鮮やかに浮かび上がっている。…』
荒れてしまった壁画を保存する模写の様子を生き生きと堀は描写している。しかし残念なことだが模写中に壁画は燃えてしまう。
八一の「病中法隆寺をよぎりて(第4首)」 解説
ひとり きて めぐる みだう の かべ の ゑ の
ほとけ の くに も あれ に ける かも
(一人来て巡る御堂の壁の絵の仏の国も荒れにけるかも)
「大和路」(堀辰雄)と會津八一7 2012・11・18(日)
「大和路」の「十月二十四日、夕方」から
『きのう、あれから法隆寺へいって、一時間ばかり壁画を模写している画家たちの仕事を見せて貰いながら過ごした。これまでにも何度かこの壁画を見にきたが、いつも金堂のなかが暗い上に、もう何処もかも痛いたしいほど剥落(はくらく)しているので、殆ど何も分からず、ただ「かべのゑのほとけのくにもあれにけるかも」などという歌がおのずから口ずさまれてくるばかりだった。――それがこんど、金堂(こんどう)の中にはいってみると、それぞれの足場の上で仕事をしている十人ばかりの画家たちの背ごしに、四方の壁に四仏浄土を描いた壁画の隅々までが蛍光灯のあかるい光のなかに鮮やかに浮かび上がっている。…』
荒れてしまった壁画を保存する模写の様子を生き生きと堀は描写している。しかし残念なことだが模写中に壁画は燃えてしまう。
八一の「病中法隆寺をよぎりて(第4首)」 解説
ひとり きて めぐる みだう の かべ の ゑ の
ほとけ の くに も あれ に ける かも
(一人来て巡る御堂の壁の絵の仏の国も荒れにけるかも)