【伊藤和也さんが、ペシャワール会のワーカーを志望したときに提出した「志望動機」の文章です。2003年6月15日】
私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、そう思ったからです。
私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。
その時まで、周辺国であるパキスタンやイランという国は知っているのに、アフガニスタンという国を全く知りませんでした。
「アフガニスタンは、忘れ去られた国である」
この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」(※注)の理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。今なら、うなずけます。
私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。
それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れているときに見た農業支援という言葉からです。
このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」(※注)の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけた「カレーズの会」の活動、そして、「カレーズの会」の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報と、その活動をテーマにしたマンガ、それらを通して、現地に行きたい気持ちが強くなりました。
私は、関心がないことには、全くといっていいほど反応しない性格です。
反応したとしても、すぐに忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持ったことは、とことんやってみたい、やらなければ気が済まないといった面があり、今回は後者です。
私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきり言ってダメです。農業の分野に関しても、経験、知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。 私が目指していることは、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年でできることではありません。
子供たちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。
甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかも分かりません。
しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。
そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。
【以下は、NKDの注です】
※ 「カレーズの会」=在日のアフガン人医師のレシャード・カレッドさん(58)が、医療や教育を通じてアフガンの復興支援を進める目的で2002年に発足させた。「カレーズ」とは、アフガニスタンをかつて豊かに潤していた地下水路を意味する言葉。カレッドさんは、アフガンがまだ王国だった1969年に留学生として来日して以来、在日歴39年。京都大学の医学部を卒業して、専門とする呼吸器科の医師を各地でつとめた後、静岡県の島田市に「レシャード医院」を設立して院長として今日に至っている。この間、地域の老人保健など福祉活動にも積極的にかかわっている。
※ 「風の学校」=昭和42年に茨城県の内原で農学博士、中田正一さんを中心に発足した。当時は「国際協力会」の名称だったが、昭和59年「風の学校」と改名。現在までに「風の学校」で学んだ生徒は100人以上を数える。金や物資ではなく、適正技術(現地調達、あるいは現地で作れる道具を使って、その国、土地に合った、農業や畜産を育成する技術)を学び、そしてその技術を開発途上国の人々に伝えることを目的としている。正一さんの死後、夫人の章子さんが中心になって運営。ペシャワール会がアフガンで井戸掘り事業をした時、「風の学校」が井戸掘りのプロを派遣した。
私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、そう思ったからです。
私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。
その時まで、周辺国であるパキスタンやイランという国は知っているのに、アフガニスタンという国を全く知りませんでした。
「アフガニスタンは、忘れ去られた国である」
この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」(※注)の理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。今なら、うなずけます。
私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。
それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れているときに見た農業支援という言葉からです。
このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」(※注)の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけた「カレーズの会」の活動、そして、「カレーズの会」の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報と、その活動をテーマにしたマンガ、それらを通して、現地に行きたい気持ちが強くなりました。
私は、関心がないことには、全くといっていいほど反応しない性格です。
反応したとしても、すぐに忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持ったことは、とことんやってみたい、やらなければ気が済まないといった面があり、今回は後者です。
私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきり言ってダメです。農業の分野に関しても、経験、知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。 私が目指していることは、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年でできることではありません。
子供たちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。
甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかも分かりません。
しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。
そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。
【以下は、NKDの注です】
※ 「カレーズの会」=在日のアフガン人医師のレシャード・カレッドさん(58)が、医療や教育を通じてアフガンの復興支援を進める目的で2002年に発足させた。「カレーズ」とは、アフガニスタンをかつて豊かに潤していた地下水路を意味する言葉。カレッドさんは、アフガンがまだ王国だった1969年に留学生として来日して以来、在日歴39年。京都大学の医学部を卒業して、専門とする呼吸器科の医師を各地でつとめた後、静岡県の島田市に「レシャード医院」を設立して院長として今日に至っている。この間、地域の老人保健など福祉活動にも積極的にかかわっている。
※ 「風の学校」=昭和42年に茨城県の内原で農学博士、中田正一さんを中心に発足した。当時は「国際協力会」の名称だったが、昭和59年「風の学校」と改名。現在までに「風の学校」で学んだ生徒は100人以上を数える。金や物資ではなく、適正技術(現地調達、あるいは現地で作れる道具を使って、その国、土地に合った、農業や畜産を育成する技術)を学び、そしてその技術を開発途上国の人々に伝えることを目的としている。正一さんの死後、夫人の章子さんが中心になって運営。ペシャワール会がアフガンで井戸掘り事業をした時、「風の学校」が井戸掘りのプロを派遣した。