会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1393

2018-05-31 18:37:31 | Weblog
会津八一に関するブログ 700

九官鳥・第1首(会津八一) 2017・4・20(木) 解説

 庭上(第1首)
              
  ことごとく しらね はきたる すゐせん の
      たまね うう べき ひま も あら まし を


 長年、家事を見てきた高橋きい子(義妹)が病気で年末に入院した。九官鳥12首は昭和15年1月の作品で、きい子の入院が大きく影響している。 

会津八一 1392

2018-05-30 17:41:05 | Weblog
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観仏三昧・第28首(会津八一) 2017・4・5(水) 解説

 二十八日高尾神護寺にいたる 
      
  あきやま の みづ を わたりて いまだしき 
         もみじ の みち を われ ひとり ゆく


 初秋、神護寺(京都市右京区高雄)へ歩む自らを詠う。観仏三昧28首はこの歌で終わる。

会津八一 1391

2018-05-29 18:31:37 | Weblog
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観仏三昧・第27首(会津八一) 2017・3・30(木) 解説

 二十六日山内義雄に導かれて
 嵯峨に冨田渓仙の遺室を弔(とむら)ふ(第3首)
    
  ぶつだん に とぼし たつれば すがすがし 
          あすかぼとけ の たちて います も


 故冨田渓仙の遺室(アトリエ)の表情に若々しさの残る飛鳥仏を詠う。

会津八一 1390

2018-05-28 22:20:16 | Weblog
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観仏三昧・第26首(会津八一) 2017・3・24(金) 解説
 
 二十六日山内義雄に導かれて
 嵯峨に冨田渓仙の遺室を弔(とむら)ふ(第2首)
    
  ここ にして きみ が ゑがける みやうわう の 
            ほのほ の すみ の いまだ かわかず


 墨で書いた不動明王の光背の火炎がまだ乾いていないように見えると詠う。

会津八一 1389

2018-05-27 20:15:49 | Weblog
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観仏三昧・第25首(会津八一) 2017・3・18(土) 解説

 二十六日山内義雄に導かれて
 嵯峨に冨田渓仙の遺室を弔(とむら)ふ(第1首)

  きうきよだう の すみ の すりかけ さしおける 
             とくおう の ふで さながらに して


 早大の親しい同僚の山内義雄の案内で訪れた日本画家・冨田渓仙を偲ぶ歌。

会津八一 1388

2018-05-26 18:59:04 | Weblog
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観仏三昧・第24首(会津八一) 2017・3・17(金) 解説

 この日また修学院(しゆがくいん)離宮を拝す林泉は後水尾(ごみずのお)法皇の親(みずか)ら意匠して築かしめたまふところといふ 
  
 ばんじよう の そん もて むね に ゑがかしし 
          みその の もみぢ もえ いでむ と す


 「ばんじようのそん(万乗の尊)」とは兵車1万台を出すことができた中国の天子をさした言葉、ここでは後水尾法皇のことを言う。

会津八一 1387

2018-05-25 18:42:00 | Weblog
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観仏三昧・第23首(会津八一) 2017・3・9(木) 解説

 二十五日大原に三千院寂光院を訪ふ(第2首) 
   
  おほはら の ちやみせ に たちて かき はめど 
            かきもち はめど バス は みえ こず


 八一には柿を詠んだ歌が他にもある。滝坂の歌 秋篠寺の歌

会津八一 1386

2018-05-24 19:18:41 | Weblog
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観仏三昧・第22首(会津八一) 2017・3・4(土) 解説

 二十五日大原に三千院寂光院を訪ふ(第1首)
     
  まかり きて ちやみせ に たてど もんゐん を 
             かたりし こゑ の みみ に こもれる


 寂光院で余生を送った建礼門院(平徳子)は平清盛の次女で、壇ノ浦の戦いに敗れて子の安徳天皇とともに入水したが助けられた。

会津八一 1385

2018-05-23 17:35:42 | Weblog
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観仏三昧・第21首(会津八一) 2017・2・17(金) 解説

 東寺の塔頭(たつちゆう)観智院にて 
    
  むかし きて やどりし ひと を はりまぜ の
          ふるき びやうぶ に かぞへ みる かな


 「はりまぜ」とは、寺に泊まった人たちの筆蹟を貼り集めた屏風。泊まった人の名を読みながら、いろいろの感慨にふけったことだろう。 

会津八一 1384

2018-05-22 19:11:57 | Weblog
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観仏三昧・第20首(会津八一) 2017・2・12(日) 解説

 この日醍醐を経て夕暮に京都に出で教王護国寺に詣づ  平安の 東寺にして空海に賜(たま)ふところなり講堂の諸尊神怪を極む(第2首) 

  ひかり なき みだう の ふかき しづもり に 
           をたけび たてる 五だいみやうわう


 前作で詠んだ軍荼利夜叉明王を含む五大明王の姿を詠う。

会津八一 1383

2018-05-21 19:10:41 | Weblog
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観仏三昧・第19首(会津八一) 2017・2・7(火) 解説

 この日醍醐を経て夕暮に京都に出で教王護国寺に詣づ 平安の 東寺にして空海に賜(たま)ふところなり講堂の諸尊神怪を極む(第1首)
 
 たち いれば くらき みだう に ぐんだり の  
          しろき きば より もの の みえ くる


 まず白い牙が見え、その後ゆっくりと全体が見えてくる。東寺(教王護国寺)の軍荼利夜叉明王を見事に表現している。

会津八一 1382

2018-05-20 18:59:42 | Weblog
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観仏三昧・第18首(会津八一) 2017・2・2(木) 解説

万福寺仏殿の用材は故国より筏(いかだ)に編みて曳き来りしとて柱に貝殻の着きし跡あり 開山の鴻図(こうと)を憶(おも)はしむ 

 ひむがし の うみ に うかびて いくひ に か
           この しきしま に よ は しらみ けむ


 万福寺開創の隠元の渡来の苦労を詠む。


会津八一 1381

2018-05-19 19:19:46 | Weblog
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観仏三昧・第17首(会津八一) 2017・1・28(土) 解説

 二十四日奈良を出て宇治平等院黄檗山万福寺を礼す(第3首)
 
 しやかむに を めぐる 十はちだいらかん  
        おのも おのもに あき しずか なり


 歌を思いながら対面した釈迦像を取り巻いている十八の大羅漢は迫力があった。

会津八一 1380

2018-05-18 19:48:37 | Weblog
会津八一に関するブログ 687

観仏三昧・第16首(会津八一) 2017・1・19(木) 解説

 二十四日奈良を出て宇治平等院黄檗山万福寺を礼す(第2首)
 
  みそら より みなぎる たき の しらたま の 
         とどめ も あへぬ ふで の あと かな


 勢いある滝の流れを序として筆の運びを称賛した。

会津八一 1379

2018-05-17 19:13:38 | Weblog
会津八一に関するブログ 686

観仏三昧・第15首(会津八一) 2017・1・9(月) 解説

 二十四日奈良を出て宇治平等院黄檗山万福寺を礼す(第1首) 

  わうばく に のぼり いたれば まづ うれし 
           もくあん の れん いんげん の がく


 黄檗山万福寺を4首詠む。八一の歌に導かれて訪れた時の事は忘れない。れん(聯)は2句でひと組の表現を相対して壁や柱にかけた細長い書画の板、がく(額)は扁額のこと。門などにかける横に長い額。