カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

サーバルマティー・アシュラム

2010年11月15日 16時54分59秒 | 西インド / WEST INDIA
グジャラートと言えばガンディーの故郷である。

モハンダス・カラムチャンド・ガンディーは、
1869年10月2日グジャラート州の港町ポールバンダルで、
当時のポールバンダル藩王国の宰相であった父:カラムチャンド・ガンディーと、
母:プタリーバーイーの間に生まれた。

ポールバンダルの小学校に入学後、
ラージーコートの小学校に入りなおすが成績は悪かった。
またこの頃は素行も悪くヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食をしたり、
タバコにも手を出し召し使いの金を盗んだ事もあったそうだ。

12歳でアルフレッドハイスクールに入学。
13歳の時にカツルバと結婚、18歳でロンドンに渡り、
インナー・テンプル法曹院に入学し、弁護士となるために勉強。

1893年、南アフリカ共和国で弁護士として開業したが、
白人優位の人種差別政策下で、
鉄道の一等車への乗車を拒否されるなどの差別を体験したことで、
インド系移民の法的権利を擁護する活動を始めた。

1915年にインドへ戻り1917年より、
アーメダバードの北にあるこのアシュラムで暮らした。

ガンディーと使徒たち―
「偉大なる魂(マハトマ)」の神話と真実

ヴェド メータ
新評論

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通常どのガイドブックを見ても、
最上部のアングルで撮影された写真が載っている。
それはこの部屋の入口には鍵がかけられおり、
その小さな格子の隙間から撮影せざるを得なかったためである。

しかし 
この日、突如として我々の元に神は舞い降りたのだった。

このアシュラムの管理者のおじ様が、
なんと鍵を開けて私とKさんを中に招き入れてくれたのだった。
これには何度もこのアシュラムを訪れているKさんもビックリ。
 それ以来Kさんは私の事をサントーシー女神と呼び、
     手を合わせて祈るのだった。( はははっ。)

見よ この満面の笑みを
               


既にインド人化しているKさんは許可も得ず(笑)、
ちゃっかりガンディーの席に座るとチャルカを回し始めた。
さすがにこれには優しいおじ様も「回さないで!」と言ったが・・。

こちらは、「見猿、言猿、聞猿」3猿のオリジナル
あ~あ・・・ガッチリ触ちゃってるし・・・。(笑)
 (どちらもガンディーが使用していた本物です。)

               


と言う事でこのアシュラム訪問で、
私も「私には神様が憑いている。」と確信したのだった。

旅行人157号
インド最奥部グジャラート

蔵前仁一,石井光太,吉田一郎,渡邉義孝
旅行人

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コメント (2)
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