カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

フランシスコ・ザビエルの聖体。

2015年01月28日 22時42分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
年に一度、お披露目されると言う、
フランシスコ・ザビエルの聖体。
通常はボム・ジェズス教会(写真左)に安置されているのだが、
お披露目は教会(写真右)で行われる。

 

これを見るために来たKさんが体調をくずし帰国してしまったので、
その意志を次いで代理で行ったのであった。

教会のHPで公開が1月3日までと知り、
慌ててアーメダバードからゴアに向かったため、
アーメダバード⇒ムンバイ⇒ゴアと言うルートになった。
ムンバイには20時過ぎに到着し、翌朝5:25発の便に乗るので、
なんと2時半起き・・って言うか5時間弱しか寝ていない。

時半にゴアに到着し、プリペイド・タクシーでホテルへ着いたのが時過ぎ。
早すぎてチェクインできないので荷物を預けて、バスでオールドゴアに向かった。
わりとスムーズにいったので時過ぎには教会の列に並ぶことができた。

 しかし、もうそう時点で・・・・黒山の人だかり。



 この時期の朝は気温も℃前後で過ごしやすい。
これが夏だったら死んでいただろう。

 列に並んで驚いたのは、みな静かに整然と順番を待っている事だった。
インド名物の割り込みはもちろん、大声で騒いだり、
あたりかまわず電話していたり、飲食をしている人を見かけなかった。

 

インド人ではないわけではなかろうし、
詰めかけているのはゴア州の人ばかりでもなかろう。
やはり参列した別の日本人とそれについて話し合い、
 私たちの一致した意見は・・・・
キリスト教徒以外のインド人がルール守れないんだと。

 教会の内部は写真撮影は禁止なので、
この写真は出口で購入したDVDの画面を撮影したものである。



時間待ってザビエル様との対面は数分であったが、
インド人達は皆ひつぎにキスしていたので、キリスト教徒なのは間違いないだろう。
私はキリスト教徒でもないし、
見ず知らずのインド人がキスしたひつぎにキスするのもイヤだったので、
顔を近づけてマジマジとチェックした。

 

噛み切られたと言う右足の指が無い事と、
切り取られた右腕が無い事を確認し、そしてお顔を拝見。
次回の公開は2024年。

聖フランシスコ・ザビエルの歩いた道
パウロ・フィステル
サンパウロ


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21世紀 仏教への旅 インド編。

2013年02月24日 21時58分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
21世紀 仏教への旅 インド編・上
五木 寛之
講談社


21世紀 仏教への旅 インド編・下
五木 寛之
講談社

70歳を超えた作者が、
仏陀の誕生よりも死のありさまについて興味を持ち、
仏陀の最後の旅路を追いかける。

最後の旅の出発点となったラージギルから、
ガンジス河を超えて北上するのだ。

仏陀の頃は徒歩で向かっただろうし、
80歳の仏陀にとっては容易くなかった事は想像できる。

仏陀は道中で出会ったあらゆる階級の人々に平等に接し、
同じように教え、諭し、激励し、喜ばせるのだった。

 また死を悟った仏陀の言葉が所々にしたためられており、
それを読むだけでも多利を重視する仏陀の気持ちが感じられ、
熱いものがこみ上げてくるのだった。

ラージギル、ブッダガヤー、
そして三蔵法師も学んだ最初の仏教大学遺跡のあるナーランダは、
私も2010年の秋に訪れたが、
特に仏陀に帰依していたわけではなかったので、
残念ながらそれほどの感動はなかった。

 もう少し勉強してから行けば良かったと、
この本を読んでそう思った。もし時間ができたら、
仏陀のルートをたどってみたいし、
十分な時間がなかったら、未達の場所だけでも訪れたい。



特に興味を持ったのは、ケッサリアと言う場所である。
なんでもインドネシアのボロブドゥール遺跡以上の規模で、
世界最大の規模だそうだが、発掘が進んでいない。
上部が10mほど崩れているそうだが、高さは32mある。

 
             
ボロブドゥール遺跡でも感動した私であるから、
さぞかし圧倒されるであろう。

 ≪ 関連記事 ≫ 

ボロブドゥールの仏教遺跡 その①
ボロブドゥールの仏教遺跡 その②


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ガンディー聖誕祭。

2011年10月02日 13時11分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
今日は、インド独立の父「ガンディーの誕生日」である。

インドでは国民の祝日は少ないのだが、
その数少ない祝日の一つである。

しかし・・・日曜日じゃないかぁ~
インドにはハッピー・マンデーなどない。

 気を取り直して・・・

世界で一番有名なインド人、ガンディー。

本名:モハンダス・カラムチャンド・ガンディーは、
1869年10月2日、インド西部のグジャラート州の
港町ポールバンダルで生まれた。

まぁ・・・私は特にガンディー好きと言うわけではないが、
グジャラートでガンディーの勉強をしているKさんとか、
ガンディー好きな人が周りにいるおかげで、
縁の地は幾つか訪ねている。
この機会にまとめて紹介しておく。

                           

 まずはデリーにあるラージ・ガート
ここはガンディーが荼毘にふされた場所である。



 ガンディー博物館
ラージ・ガートのはす向かい側にある小さな博物館である。



 続いて、ガンディー・スミリティ
ガンディー記念博物館と呼ばれている。
ここは旧ビルラー財閥の邸宅で、
1948年1月30日、ガンディーが暗殺された場所である。



 アーメダバードにあるグジャラート・ヴィディヤピート大学は、
ガンディーイズムを今でも教えている大学。



 アーメダバードにあるサーバルマティー・アシュラム
通称ガンディー・アシュラム。
ガンディーが独立運動の最初の拠点を置いた場所。



 マドゥライにあるガンディー博物館には、
暗殺された時に掛けていたと言う眼鏡が展示されている。



 最南端の岬カニャークマリにあるガンディー記念堂



 マニ・バヴァンは、ムンバイでの滞在場所。



 ≪ 関連記事 ≫ 

【インドの聖者】 ~ マハトマ・ガンディー ~
ラージ・ガート1997年 デリー
ラージ・ガート2010年 デリー
ガンディー記念博物館 デリー
ガンディー記念堂 カニャークマリ
ガンディー博物館。 マドゥライ
マニ・バヴァン ムンバイ
サーバルマティー・アシュラム アーメダバード
グジャラート・ヴィディヤピート大学 アーメダバード
ガンディー・カタ デリー

ガンディー 魂の言葉
クリエーター情報なし
太田出版


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ガンディー・カタ

2010年11月27日 17時12分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
25日からグジャラート州でガンディーの勉強をしている
友人Kさんが我が家にやってきている。

グジャラート・ヴィディヤピート大学の学長
ガンディーと生活を共にした最後の一人)が
「ガンディー・カタ」を行うので同行したのだが、
実際はそれに便乗して デリー見物をするためでもある。



「ガンディー・カタ」とは、ガンディーのお話と言う意味で、
ガンディーのエピソードや思い出を語り、
それに合わせた歌を歌うのである。



学長はインドではVIP扱いで、日本で言えば人間国宝であろう。

80歳をとうに超えられ健康上の不安もささやかれていたが、
なんのその元気いっぱい、3時間の予定を30分はオーバーし、
熱心に語ってくださった。
(1924年12月24日生まれ、今年86歳との事。)



 ヒンディー語だったので私にはチンプンカンプンで、
ありがたいお話も馬の耳に念仏、
サントーシーにガンディー・カタなのであった。

日時:26日~30日(5夜連続)16:30~19:30
場所:インディア・インターナショナル・センター
   (マックス・ミューラー・マルグ、ニューデリー)
   (ローディ・ガーデンの近く)
入場:無料

このような機会は今後ないかもしれないので、
デリーにいらっしゃる方は出かけてみてはいかがだろうか?
日が落ちると冷え込むので暖かい支度でお出かけください。

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【インドの聖者】 ~ マハトマ・ガンディー ~

2007年02月08日 22時15分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
ガンディーは、日本で一番有名なインド人であろう。

本名は、モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー。
詩聖タゴールがマハトマ(偉大なる魂)と称した。
1869~1948、西インドのグジャラート州、
ポールバンダールの裕福な商人の家に生まれた。

18歳でイギリスへ留学し法律を学ぶ。
その後、南アフリカの訴訟事件を手がけるが、
人種差別を受け、インド人の権利獲得の為に戦う。
投獄されながらも、非暴力・不服従・断食闘争を培った。

その後、インド独立に身を投じ、
ヒンドゥー教とイスラム教を同列に扱い、インド統一を唱えた。
結局は分離派が多数であったために、
1947年インドは、パキスタンに分離し独立した。

そして同列扱いを徹底したがために、
1948年ヒンドゥー教の極右派によって、デリーで暗殺された。

写真の様にインドの紙幣には、全てガンディーの肖像が印刷され、
しかも・・すかしまでガンディーである。

映画「ガンディー」をご覧になれば、
ガンディーの生涯が良くわかると共に、
インド人がいかに差別されてきたか・・・
・・・おわかりいただけると思う。

ガンジー コレクターズ・エディション

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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ガンジー自伝

中央公論新社

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【インドの詩聖】 ~ ラヴィーンドラナート・タゴール ~

2007年02月07日 22時38分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
詩人で作家であると共に教育者であり社会思想家である。
詩人であることから、詩聖と言われている。
1861~1941、西ベンガル州の州都コルカタ(カルカッタ)の
名家の7人兄弟の末っ子として生まれた。

幼少時より詩の才能があったが、イギリス流の厳格な教育に馴染めず、
三つの学校を中退する。17歳でイギリス留学するも1年半で退学。

1901年、西ベンガル州の西部シャンティニケタンに、
ヴィシュヴァ・バーラティ国立大学を設立。

1913年、アジア人として初めてノーベル文学賞を受賞。
マハトマ・ガンディーのインド独立運動を支持し、
ロマン・ロランやアルバート・アインシュタイン等、
世界の知識人との親交も深かった。

タゴールの詩は、1947年独立したインドの国歌
「ジャナ・ガナ・マナ」(インドの朝)と、
1971年に独立したバングラデシュの国歌
「我が黄金のベンガルよ」にもなっている。

タゴール―詩・思想・生涯

麗澤大学出版会

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コルカタにある生家タゴール・ハウスに、
私も行ってみたかったのだが、
初インドゆえに(?)道に迷い、辿りつけなかった・・・。
 (1997年の初インドでの事。)

詩聖タゴールの本家筋に嫁いだ
日本人タゴール暎子さんの作品。

嫁してインドに生きる

論創社

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今でこそ、インドに嫁ぐ日本人は結構いるが、
1960年代では珍しかった。
ましてや名家の長男がインド人以外の女性と結婚となると、
かなりな障害があった。
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【インドの聖者】 ~ スワミ・プラブパーダ ~

2007年02月02日 22時32分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
A・C・バクティヴェーダンダ・スワミ・プラブパーダ、
1896~1977。
西ベンガル州の州都コルカタ(カルカッタ)生まれ。
スコットランド教会大学卒業後、実業界で成功する。

ヴィシュヌ派のチャイタニヤ仙の影響を受け、
1922年、宗教指導者のバグティシッダンタ・
サラスワティと出会い宗教活動に入る。
54歳で世俗から離れ修行僧となった。

69歳で無一文でニューヨークに渡り説教を開始すると、
現代文明に満たされないヒッピーや
インド神秘主義にあこがれる若者達の支持を集めた。

          

人間は神の国の精神エネルギーの世界から離れ、
物質エネルギーの世界の支配下に入る。
カルマ(業)の法則に縛られ、輪廻する。

ところが、「ハレー・クリシュナ運動」(クリシュナ神を称える)の
教えに従うと輪廻を解脱し永遠の幸福を得られると言う。

「ハレー・クリシュナ」と唱えるマントラ(真言)瞑想をし、
煙草、コーヒー、茶、麻薬等の陶酔物を
一切取らない菜食主義を勧め、不義のセックス、賭け事を禁じた。

             

もしインドへ旅をしたなら、どこかの街角で、
「ハレー・クリシュナ、ハレー・ラーマ・・・・。」と唱えながら、
踊り狂っている集団を見かけるかもしれない。
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【インドの聖者】 ~ ラーマーヌジャ ~

2007年02月01日 21時11分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
ラーマーヌジャの研究

春秋社

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11世紀前半(?)~1137、
南インド・タミルナードゥ州の聖地カーンチプラム生まれ。

バクティ(神への献身的な信仰と信愛)を、
人間の救済の手段として初めて理論づけた理想家。

ヴェーダンダ哲学を学ぶが、「ブラフマー展開説」に納得できず、
南インドで勢力があったヴィシュヌ神崇拝に傾倒した。
そしてヴェーダンダ哲学とヴィシュヌ神信仰の結合が、
生涯の哲学的テーマであると決め没頭していった。

最高神ヴィシュヌ神に対するバクティ。
従来、神と個人の間は司祭者が取り持っていたが、
個人が直接、神と交渉する所に特徴がある。

バクティに対する神の恩寵は、カーストの所属階級、
能力、性別とは全く関係なく及ぶと説いた。
これは他の聖者にない画期的な説である。

          

なお、ヴィシュヌ神派には学問的な傾向が強く、
シヴァ神派には苦行や呪術、祭儀的な傾向が強い。
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【インドの聖者】 ~ バーラ・サイババ ~

2007年01月28日 21時20分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
3人目のサイババがこの人!

1960年、ブラフミン(聖職)のカーストで
アーユルヴェーダー医の家に生まれた。
現在は中央インドのアーンドラ・プラデッシュ州の
州都ハイダラバードとその近郊カルヌールに住んでいる。

シルディ・サイババの生まれ変わりは、
サティア・サイババであると言われている。

しかし、このバーラ・サイババは、
アフロヘアの髪型など見かけは、
サティア・サイババに似ているのだが、
サティア・サイババの生まれ変わりではない。
サティア・サイババはまだ生きているし・・・。

ヒンドゥー教の三大神(ブラフマー神ヴィシュヌ神シヴァ神)を
創った最古の女神バーラ・トリプラスンダリの生まれ変わりらしい。

2~3歳の時に、ミルク代を払えない母親が困っていると、
バーラ・サイババは、ミルクを届けに来た女性にこう言った。
 「お財布の中を見てごらん。」
すると、ミルク代分のお金が入っていたそうだ。

自分の元を訪れた人は、手ぶらで帰さないのが身上らしく、
物質化した指輪やネックレス、腕時計、
減らないヴィブーティー(聖灰)が入っている銀の小箱などを、
お守りとしてプレゼントしているそうだ。

また、病気やあらゆる問題も解決してくれろそうで、
末期ガンで医師から見放されていた人を治したらしい。

        

なお、有名な観光地である聖地バラナシに、
サイババの弟を名乗り法外な料金を要求する
インチキ占い師がいるらしいが、この3人のサイババとは、
全く無関係である事をついでに記しておく。

静かな夜の落とし子―バーラサイ

柏艪舎

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【インドの聖者】 ~ サティア・サイババ ~

2007年01月27日 23時14分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
シルディ・サイババの予言通り
シルディ・サイババの死後8年後の1926年、
南インド・カルナータカ州・プッタパルティの
ヒンドゥー教徒の家庭に生まれた。

両親はヴィシュヌ神を信仰していたため、
サティア・ナーラーヤナと名付けた。
サティア=真理、ナーラーヤナ=ヴィシュヌ神の別名。

サティア・サイババは、14歳の時、特別な能力を自覚した。
サソリに噛まれ生死をさまよった時に、
自分の前世を思い出したのだ。
その前世は、シルディ・サイババであったと主張し、
サティア・サイババと名乗り始めた。

そして現在知られているような、様々な奇跡を起こし始めた。
指先をこすり合わせ、ヴィブーティ(聖灰)を出したり、
空中から指輪、腕輪、時計、仏像、ペンダント・・・
を取り出して見せた。

最後の聖者サイババ

たま出版

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予言によると2020年(2022年と言う説もあり)に亡くなり、
次は「プレーマ・サイババ」として生まれ変わるらしい。

 ≪ 関連記事 ≫ 

【インドの聖者】 ~ シルディ・サイババ ~
こんなところで「篠山紀信」
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【インドの聖者】 ~ シルディ・サイババ ~

2007年01月26日 22時04分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
日本ではサティア・サイババのほうが有名だが、
インドでサイババといえば、こちら

これは、北インド・リシケシで購入した盾。
縦6cm×横5cmで、
普段は我が家の出窓の所から私を見守ってくれている。

頭に頭巾を巻き、白い髭、右足を上にして組み、
右手を上げている姿で描かれている事が多い。、

          

1838-1918。
西インド・マハラーシュートラ州・オーランガバード
貧しい家庭の子供にシヴァ神の化身して生まれた。
その後、ムンバイ近郊のシルディ村に住んだため、
シルディ・サイババと呼ばれるが、本名は不明。

両親はヒンドゥー教徒のバラモン階級であったが、
幼児期にイスラム教のスーフィー僧に預けられ成長した。

16歳頃から、シルディ村の荒れ果てたモスクに住み、
托鉢しながら特定の宗教の枠を越えた普遍的な神の教えを説いた。

 サイババとは・・・
      サイ=イスラム教の聖者、
      ババ=ヒンドゥー教の父親の意味がある。

心から救いを求める信者には、
奇跡的な霊験を現し祝福した。
そして救済を受けた人々は、
シルディ・サイババを神の化身として崇めた。

死ぬ時にこう予言した。
「使命を全うするために8年後、
 南インドのヴィシュヌ神を信仰する家に生まれ変る。」

そして生まれ変ったのが、サティア・サイババと言われている。
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【インドの聖者】 ~ バグワン・シュリ・ラジニーシ ~

2007年01月25日 21時03分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
バグワン・シュリ・ラジニーシと言う名前より、
晩年に改名した「和尚」、
と言った方がわかりやすいかもしれない。

1931~1990、本名ラジニーシ・チャンドラ・モハン。
北インドの小さな町のジャイナ教徒の布地商人の子として生まれた。
21歳で悟りの境地に達したと言われている。
哲学教授を勤めインド各地を回り宗教議論や講話を行っていたが、
1974年に東インド・マハラーシュトラ州のプーナに、
アシュラムを設立した。

         

人間は性と道徳に縛られて本来的な自由を失っている、
それを開放する手段としてアシュラムでフリーセックスを含む
さまざまなヨーガの臨床実験を繰り返したため、
「セックス・グル」と呼ばれた。

愛と瞑想によって限りなく自由になると言う意識革命、
人間の真の覚醒と言うテーマに忠実に、
悟りへの道のためなら何をやってもよい。

これを具体化しようとすればするほど、
一部の先進国の若者や知識人に賞賛される反面、
性道徳や社会秩序を破壊する危険思想家としてみなされた。

1981年に渡米するが、4年後に国外退去となった。
そして他国に新天地を求めるが、
20カ国以上から入国を拒絶され帰国。

晩年は指導力が低下し、1990年プーナで死去。

死・終わりなき生―オショー・ラジニーシ講話録

講談社

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【インドの聖者】 ~ マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー ~

2007年01月20日 21時36分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
ビートルズが信奉した事で有名になった、
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、
1911年生まれ、本名マヘシュ・プラサド・ヴァルマ。

のちにビートルズは、
収入の1/10もの高額なお布施を要求されたとか、
マハリシがメンバーのGFにちょっかいを出したとかで、
離れていった(セクシー・セディーと言う曲もあり。)
逆に、マハリシの道場で麻薬をやって追い出された事を
恨みに思ったとも言われている。

          

マハリシは、アラハバード大学物理学科卒業後、
シャンカラ派の学者グル・デヴァの弟子となった。

1957年にTM(超越瞑想)を確立。
物質面と精神面が完全に調和され、
地上のありとあらゆる問題は、
超越瞑想によって解決されると断言。

その効果は450以上の研究機関で立証済みとされる。
超越瞑想を機軸として医術や食事療法、音楽、占星術、
自然科学などが体系化されている。
また、ストレスや疲労の解消に効果があるとされ、
企業の福利厚生に採用されているらしい。

超越瞑想はいくつかの段階があり、
上級者になると空中浮揚ができるそうだ。
 ・・・・なんだか怪しい。

超瞑想法TMの奇跡―心と身体を解き放つ現代科学 第四の意識であなたは変わる

PHP研究所

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【インドの聖者】 ~ オーロビンド・ゴーシュ ~

2007年01月18日 21時28分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
1872~1950。
コルカタ(カルカッタ)の医者の子として生まれ、
イギリスのケンブリッジ大学で学ぶなど、
西洋文明中心の教育を受けた。

独立の為の反英運動を行う政治的な活動家であったが、
1908年に突然、啓示を受け、
1910年に南インド・タミルナードゥ州のポンディシェリーに
道場を設立した。

ヴェーダ、ウパニシャッド、ギーター、ヨーガなどを研究し、
古代インドの伝説の中に人類の未来が包含されているし、
「総合ヨーガ」の実践により、
地上に神の国を建設する事を目的とした。

         

オーロビンド・ゴーシュの死後、
フランス人女性:ミラ・アルファサによって、
1964年からポンディシェリー近郊に、
曼荼羅瞑想都市オーロヴィルが建設された。

オーロヴィルは世界各国から信奉者が集まり、
1973年のミラ・アルファサの死後も、
徐々に拡大されている。

オーロビンド・ゴーシュの考え方は、
マハリシラジニーシなどにも影響を与えている。
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【インドの聖者】 ~ クリシュナムルティ ~

2007年01月16日 21時20分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
1895~1986、南インド・タミルナードゥ州の
チャンナイ(マドラス)近郊のヒンドゥー教徒の家の、
8番目の子供としてに生まれる。
ヴィシュヌ神の8番目の化身がクリシュナ神である事から
クリシュナムルティと名付けられた。

14歳の時に神智学教会の幹部リードビーターにより、
偶然に見出された。クリシュナムルティは、
外見的には泥と垢にまみれていたが、
 オーラは神々しいまでに清浄だったため、
リードビーターは恍惚状態となったそうだ。

神智学教会とは1985年にアメリカで創立された秘教結社で、
堕落腐敗した世界を救うためにマイトレーヤ(弥勒)が到来するとし、
その候補者を捜していたのだった。

クリシュナムルティは、神智学教会の会長の養子となり、
救世主としての教育を受け、
25歳で「東方の星の教団」の教主となった。

しかしクリシュナムルティは、教団の思惑とは別に、
自分の内面の声に従い、教団を解散してしまった。

          
  
「真理は道なき道であり、
  どのような組織体とも無縁である。」


人間は特定の教義や修行法に固執する事なく、
心理をありのままに見つめる事によって開放される。

クリシュナムルティは、既成の宗教や組織を一切捨て、
人間の生きる道を求めた。

あなたは世界だ

UNIO

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