■炎のクリエイター日記

美味しいもの・史跡が持つ歴史のご紹介。お料理はプロ・自作を問わず鮮明な画像で、どんな素材も関西仕立てにクリエイトします。

炎のクリエイター 撮影 & 画像補正

このブログに使用の画像は、殆んどを「iPhone15 pro」で撮り「CANON Power Shot G7XⅡ」と「CANON一眼」などの撮影機器でフォローしています。画像に補正を施せば、とっておきの一枚を奇麗にできます。 ※画像の転載・転用は禁止させて頂きます。 石山寺の秋月祭。紫式部が水面に映える十五夜の月を眺め、源氏物語の構想を練ったと伝わる。画像は後白河天皇以下歴代天皇の玉座とされた「月見亭」で、ここから眺める中秋の名月は、瀬田川の清流に映る幻想的なイメージも含めて、近江八景の「石山の秋月」とされている。2024年は9月17日(中秋の名月)・18日(満月)に、本堂でイベントが執り行われる。

玉城(たまぐすく)城跡 ~残された一枚岩を刳り抜いて造られた城門~

2016年06月07日 23時50分20秒 | 史跡・歴史巡り
沖縄では、お城のことを「ぐすく」と読むが、あの甲子園で有名になった豊見城高校も、実際の市となれば「豊見城市(とみぐすくし)」と読むのは、こちら本土の方にはあまり知られていない。沖縄本島南部に位置する「玉城(たまぐすく)城跡」に寄ってみると、規模こそ小さいが自然と目を引く本丸への城壁は、ほぼ完全に近い形で残っており、自然の一枚岩を刳り抜いて造られた城門が特におもしろい。そんな主郭跡の城壁・石敷などの遺構も石垣フェチとしては見どころ充分だ。







台地上のさらに高い天然の要害に築かれた「玉城(たまぐすく)城跡」は、石垣の積み方から約600年前のものと推定されている。主郭跡だけは完全な形で残っているが、沖縄地上戦後の米軍統治下で、二の郭・三の郭の石垣を荒らされ、建築用石材に崩され利用されてしまっているのが残念で、米軍は沖縄の心や人だけでなく史跡も破壊していったのだ。







唯一残されている本丸跡には、琉球開闢の七岳の一つとされる「あまつぎ御嶽(うたき)」があり、玉城城跡は別名アマツヅ城とも呼ばれ、巡礼行事の聖地となっている。沖縄のぐすくと呼ばれるお城は、単に琉球国の軍事的なものと言うより、祭祀的な性格も兼ね備わっていて、宗教的要素が特に強かったと考えらる。本土のお城とは少々違った観点での城づくり・・・ワシ自身、常識にあてはまらない「沖縄式ぐすく」には少々戸惑った感じもある。






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イイネ
コメント (4)
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