ここの記事もだいぶ増えてきて、最初から読んで頂ければ、たいだいの私の想いはおわかり頂けると思います。注意事項を書いたり、質問事項を書いてますので、ここを読んでいない人は、もうどうしようもないですが、ここをある程度読んで頂ければ、宗教という難しい話で自分にとって何が大事なのかは判ると思います。創価学会の都合の良い話や理路整然となっている、仏法や教学の話などに丸め込まれるような事はないでしょう。
体験談を信じる信じないは、聞いた内容を信じるかどうか、そして、「折伏して迫害を受けても、また折伏して、幸福になる事が出来る」と思うか、「やってみよう」と思うかどうかはあなた次第です。
また2世3世の人にも私からの視点で書いていきますので参考にして頂ければ幸いです。退転者に言われたくないと思うかもしれませんが、組織につかない未活動家の人に、、、です。
そして今回は話が元に戻ってしまいますが、折伏、仏法対話、新聞啓蒙、選挙のお願いが「しつこいほどに」お願いされると思います。
まずは、折伏、仏法対話、新聞啓蒙、の宗教的なところから書きますね。
創価学会の人があなたの事をまずは話を聞いてくれそうだ、という場合と、周りにいる人なんでもかんでも、誰にでも折伏するという場合があります。
話を聞いてくれそうだという場合は親友だとか、あなたが会社の部下で上司に勧められるとか、友人とか家族とか親戚とか(恋人これもいつか書きますね。)の場合もあるでしょう。気が弱そうな人(これが私?(笑))もそうでしょう。ですから、こういった場合は必然的にしつこくなる場合があるでしょう。
ですから、宗教の話と人間関係だけでなく利害関係もからんで、断りにくい場合があるでしょう。そんな場合は断り方の一つとして、
””絶対に幸せになれる、祈りが叶う、というのであれば、あなたが宗教で祈りを叶えたという証拠、幸せになったという証拠(日蓮大聖人の仏法では実証といいます)を示して下さい。そしてなおかつ、私が信じる事が出来たら考えます、考えさせて下さい””
で、””丁重に””お断りすればいいのではないでしょうか?
そうすれば私と某君のような悲劇は無いでしょう。先にも書いたとおり、あなたが悩み事を持っていて、例えば病気や恋愛だとして、同じ体験をした人の信仰体験を聞ける場合は、その信仰体験を聞いてなおかつ、信じるかどうかはあなた次第です。
しかもこの創価学会の宗教は「広宣流布(人の幸せ)のためならば、ご本尊様はどんな祈りも叶えてくれる。」という教義です。ですから、相手が勝手にくだらない事で祈って「叶った」なんて言わせてはいけません。
病気が悩みの人にとって病気の体験は貴重な体験ですが、恋愛の悩みを持っている人にとって 例えば例えばですよ?「「今日、上司の人からご飯おごってもらっちゃった。これで2度目。すごい功徳。」」なんてのは「役に立つ体験」でも何でもありません。ましてやこんなくだらない事、普通の人ならば祈っていないでしょう?もちろん、ご飯おごってもらえるようにホントに祈っても良いですけどね。教義上からも学会の指導からも、「ご飯おごってもらえますように」は駄目ではありません。何時から祈ってどれだけ行動してどれだけおごってもらえたのか、是非聞いてみてはいかがでしょうか?あ、念のためですけど例えば、例えば、の話ですよ?
””その人の過去の信仰体験を聞くかこれから信仰体験をしてもらうのがいいでしょう。””
あなたの悩み事と紹介者の悩み事が違う場合があるでしょう。それは仕方ないとしても
””少なくともどんな悩み事を祈ったのか?何時からどれだけ祈って、どれだけ宗教活動したのか?””
を聞く必要はあるでしょう。
折伏や新聞啓蒙は今度あなたが入会すれば当然のように求められるからです。
先にも書きましたが、ホントの信仰体験なんてそんなに有りません。創価学会員でも活動者は一部ですし、すごい信仰体験などはさらに少数です。
あとはあなたと紹介者次第です。くだらない悩み事と思うか、出世とか誰でもしている事なのか、あたりまえの事なのかは、あなたがどう思うかです。あなたの価値感を変えても良いですが、無理矢理変える必要はないでしょう。なお、創価学会とは価値論を重視した、「価値を創造する(教育する)学会」、という意味があります。
ですから、価値観を変えてもいいですし、そのままでもいいのです。
「ごはんを奢ってもらえる→これはすごい。高い価値がある。あぁ、なんて素敵な信心なんだ。」えぇ、もう否定しませんよ。ご飯を一生、主婦になる以外で朝昼晩奢ってもらえるなら、それは凄い価値かも知れません。犯罪者も3度の飯にタダでありつけますね。
説明不足で入会なんてとんでもありません。「若悩乱者頭破七分」(このご本尊を悩乱する者は頭破七分になる)とご本尊に書かれています。私が退会する際、ご本尊は「あなたの命」ですから返せません。とか言って引き留めるのが創価学会ですから、絶対に先日の地獄行きさんのような説明不足があってはいけないでしょう。
長くなったのでまた次に書きます。
体験談を信じる信じないは、聞いた内容を信じるかどうか、そして、「折伏して迫害を受けても、また折伏して、幸福になる事が出来る」と思うか、「やってみよう」と思うかどうかはあなた次第です。
また2世3世の人にも私からの視点で書いていきますので参考にして頂ければ幸いです。退転者に言われたくないと思うかもしれませんが、組織につかない未活動家の人に、、、です。
そして今回は話が元に戻ってしまいますが、折伏、仏法対話、新聞啓蒙、選挙のお願いが「しつこいほどに」お願いされると思います。
まずは、折伏、仏法対話、新聞啓蒙、の宗教的なところから書きますね。
創価学会の人があなたの事をまずは話を聞いてくれそうだ、という場合と、周りにいる人なんでもかんでも、誰にでも折伏するという場合があります。
話を聞いてくれそうだという場合は親友だとか、あなたが会社の部下で上司に勧められるとか、友人とか家族とか親戚とか(恋人これもいつか書きますね。)の場合もあるでしょう。気が弱そうな人(これが私?(笑))もそうでしょう。ですから、こういった場合は必然的にしつこくなる場合があるでしょう。
ですから、宗教の話と人間関係だけでなく利害関係もからんで、断りにくい場合があるでしょう。そんな場合は断り方の一つとして、
””絶対に幸せになれる、祈りが叶う、というのであれば、あなたが宗教で祈りを叶えたという証拠、幸せになったという証拠(日蓮大聖人の仏法では実証といいます)を示して下さい。そしてなおかつ、私が信じる事が出来たら考えます、考えさせて下さい””
で、””丁重に””お断りすればいいのではないでしょうか?
そうすれば私と某君のような悲劇は無いでしょう。先にも書いたとおり、あなたが悩み事を持っていて、例えば病気や恋愛だとして、同じ体験をした人の信仰体験を聞ける場合は、その信仰体験を聞いてなおかつ、信じるかどうかはあなた次第です。
しかもこの創価学会の宗教は「広宣流布(人の幸せ)のためならば、ご本尊様はどんな祈りも叶えてくれる。」という教義です。ですから、相手が勝手にくだらない事で祈って「叶った」なんて言わせてはいけません。
病気が悩みの人にとって病気の体験は貴重な体験ですが、恋愛の悩みを持っている人にとって 例えば例えばですよ?「「今日、上司の人からご飯おごってもらっちゃった。これで2度目。すごい功徳。」」なんてのは「役に立つ体験」でも何でもありません。ましてやこんなくだらない事、普通の人ならば祈っていないでしょう?もちろん、ご飯おごってもらえるようにホントに祈っても良いですけどね。教義上からも学会の指導からも、「ご飯おごってもらえますように」は駄目ではありません。何時から祈ってどれだけ行動してどれだけおごってもらえたのか、是非聞いてみてはいかがでしょうか?あ、念のためですけど例えば、例えば、の話ですよ?
””その人の過去の信仰体験を聞くかこれから信仰体験をしてもらうのがいいでしょう。””
あなたの悩み事と紹介者の悩み事が違う場合があるでしょう。それは仕方ないとしても
””少なくともどんな悩み事を祈ったのか?何時からどれだけ祈って、どれだけ宗教活動したのか?””
を聞く必要はあるでしょう。
折伏や新聞啓蒙は今度あなたが入会すれば当然のように求められるからです。
先にも書きましたが、ホントの信仰体験なんてそんなに有りません。創価学会員でも活動者は一部ですし、すごい信仰体験などはさらに少数です。
あとはあなたと紹介者次第です。くだらない悩み事と思うか、出世とか誰でもしている事なのか、あたりまえの事なのかは、あなたがどう思うかです。あなたの価値感を変えても良いですが、無理矢理変える必要はないでしょう。なお、創価学会とは価値論を重視した、「価値を創造する(教育する)学会」、という意味があります。
ですから、価値観を変えてもいいですし、そのままでもいいのです。
「ごはんを奢ってもらえる→これはすごい。高い価値がある。あぁ、なんて素敵な信心なんだ。」えぇ、もう否定しませんよ。ご飯を一生、主婦になる以外で朝昼晩奢ってもらえるなら、それは凄い価値かも知れません。犯罪者も3度の飯にタダでありつけますね。
説明不足で入会なんてとんでもありません。「若悩乱者頭破七分」(このご本尊を悩乱する者は頭破七分になる)とご本尊に書かれています。私が退会する際、ご本尊は「あなたの命」ですから返せません。とか言って引き留めるのが創価学会ですから、絶対に先日の地獄行きさんのような説明不足があってはいけないでしょう。
長くなったのでまた次に書きます。