創価学会の信仰に功徳はあるか?

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21.誰もが幸福になれない創価(創価学会員さんとのやりとり。その4)

2006年01月16日 06時18分01秒 | 創価学会
 信心の話を聞くのも、その人を信頼するのも、悩み事を打ち明けたり、信用して入信したり信心のレベルが何処まで到達するかは 「全部あなたの責任です。」
(但し、過去記事の文面から判ると思いますが、私の考えでは創価学会の人間がましてや幹部が自己責任をいうのは間違っています。一応、私見ですが、一般的な理屈もあり、日蓮大聖人の御書も引けますが、敵に塩を送るだけなので多分書かないと思います。理屈と人情の面からも、宗教する人間が自己責任をいうのはおかしい、と思う頭のいい人もいると思いますが、それが判る人は安易に創価学会員さんにそんな質問はしないでしょう。たぶん。)
 そして罵詈雑言を浴びせるのもあなたの責任です。特に入信しようとする学生の皆さんは親さんにお金をもらっている訳ですし、きちんと了承や許可を得て下さいね。社会人なら問題ないでしょう。ホント自己責任です。
 それとアンチの人、とりあえず、ブログ完成おめでとう発言、ヨロシク(笑)。今後の内容は、退会したい人、2世3世、会員サポート、弓谷元男子部長、池田大作氏、御本尊の偽ホント問題、ご供養とか日蓮正宗とか書くつもりです。悩んでいる人、こんな記事を書いて欲しい、こんな暴露して欲しい、はメールかコメント下さい。

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信心に不可能はありません。大聖人の仏法は全て本当です。自分の境涯をまず変えることです。何不自由なく、全ての願いを叶えていくことが出来ます。自分の境涯に見合った結果しか出ません。
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>自分の境涯に見合った結果しか出ません。

まずはここから。叶わない事を結局、自己責任にしています。
仮にここで、境涯=幸せと言い換える事も出来るでしょう。
結局、絶対といいながら自己責任なんですね。

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信心に不可能はありません。大聖人の仏法は全て本当です。
自分の境涯をまず変えることです。
何不自由なく、全ての願いを叶えていくことが出来ます。
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では反論ですが、誰でも救われて救われない人たちはいないのでしょうか?
私がまず、その証人です。学会本部に伺って、更に別途、お医者さんに会い、
「昔と違ってどんな病気も絶対に治る、とは言わなくなった」
といわれた事は事実です。私の病気にとって担当医ではありませんが専門医(創価学会の人)です。 「入信編その5 入信時の悩みは解決したのか?」 また誰しもが体験を積んでいないのは、 「体験談や男子部の数は多いの?少ないの?」 です。

 で、救われない人たちですが、これがまた不思議と私の紹介者某君のまわりにたくさんいます。仏法用語で眷属(けんぞく)という言葉があります。創価学会の人にとってはこの言葉が浮かぶかもしれません。

 なおこの記事は削除する可能性があります。以下の文章は限りなくプライバシーに近いので コピーペーストなどによる転載はこの記事に限って一切お断りします。

リンクはOKでしょう。問題有れば、記事の中身が消えますから、創価学会からメールが来た、言論攻撃された、裁判になった、やっぱり創価学会は言いたい事も言えないのか、と思って下さい。アンチの皆さん、創価学会の人から「転載なんかしてあなたは人格者では無い。」との批判の切り口から議論一つだけですが、負ける事になりますので止めて下さいね。創価学会が人格者の育成を目的としている限り、仕方ないです。なお、私はこのブログの「=」内を消す責任しか持ちません。まぁ、こういった体験はハンドル名や固定IDとか無いけど、2chあたりにいくらでも転がっているので、欲しければそちらでどうぞお願いします。

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 ではどんな状況なのでしょうか?可能な限り事実だけを書きます。
まずは某君の親戚のA君(イニシャルではありません。ただのA、B、Cです)から。私の高校時代の同級生でもあり、一番最初に書いた体験の高校生の会合に来ていた人。彼も高校生の幹部だったようです。仏壇の一番前に座っていました。そして某君と同じく、未入会の人を連れてきていました。創価学会の2世か3世で福子(ふくし。学会用語)。創価大学在学中に失恋し、悩むようになり、退学。時期ははっきりとは不明ですが御本尊を破ってしまい、就職する事もなく現在に至る。信心状態全くの不明。未活動家。私が退転する前はお題目を送らせて頂きました。年齢は30代半ば。

 (今回は、nana さんの発言がきっかけで学会側への反論ですが、今日の記事はホントに最後の最後に書くつもりでしたが、あえて今書きます。それでどうしてもセットになる記事がコレです。 彼、A君は全く悪くないのですが、創価学会は日蓮正宗の僧侶に対して人格批判しています。失恋した経緯などを批判、バカにしています。批判するつもりがないので有ればこんなこと普通は書きません。なお、聖教新聞上でもこの僧侶の恋愛問題を批判しています。しかも読むと判るのですが、悪い事をしたからといって、悪い事だけを批判するのでなく、過去の失恋、しかも学会員時代の事を批判しています。じゃあ、弓谷元男子部長は学会としてどう扱うべきなのでしょうかね?
「地湧」選集 地湧651
 私は創価学会に日蓮正宗とのことを教えられているので宗門問題についてはかなり創価学会よりの考え方をしています。但し宗門問題について書くのはずっと後になります。かなり無意味で折伏を断りたい人や脱会に悩んでいる人、2世3世、にとってはかなりどうでも良い事だと私は考えています。創価学会は仏敵を倒す、という概念を持っているので敵に回すとこうなります。覚悟して下さい。)

 某君の弟。3世。創価大学出身。かなり勉強の出来る人でした。ところが某君と同じく創価大学に行き卒業。公務員になりましたが、突然退職して、お金が十分にないのに資格取得の学校に通った様です。計画に無理があったのかお金が無くなり、退学。以後ほとんどバイトもしないでずっと自宅にいるようです。私と違って健康そのもの。活動家でたぶん今でも地区リーダーだと思います。しかし当然、体験なんかありません。あまり熱心に活動はしていないようです。年齢的には順調なら本部長とか部長していておかしくない年齢ですから。彼には具体的な悩み事があるらしいのですが、なかなか誰にも話さないそうです。彼には某君の弟ということもあり、実際に家庭訪問して悩み事を一部、聞いたり、叱咤激励(学会用語?)をしたことが何度もあります。もちろん私が退転する前はお題目を送らせて頂きました。某君一家は全員学会員です。両親も地区の幹部で長年信心しています。年齢は30代をちょっと超えた所。

 B君。私と某君の同級生。某君に折伏を受け入信。一度就職したが、退社。その後数年間はバイトの様な生活。その後就職。現在、ほぼ退転状態。一度か二度、家庭訪問しました。まだ入信4,5年であり数年なのでこれだけで結論づけるのはなんとも言えません。

 そして私の昔いた地区のC君。3世。これは某君と全く関係ありません。中学時代にイジメに遭い不登校。なんとか無理矢理卒業して就職するもすぐに退社。信心は男子部のかなり上の幹部が来て勤行をしていた事もあったらしいですが、サポートしなくなってしまったのか、私が担当した時には完全に退転して他の宗教を信じていました。精神病になっていたのもあってまともな常識や会話が出来なくて、仏法対話するのも一苦労でした。中学卒業から30才ぐらいまでまともな職に就いた事はほとんど無いようです。ただし1年半前の事であり、現在は全て宿命転換して幸せかもしれません。30才ぐらい。
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 それと創価学会では池田大作氏が人間革命という小説の中で
「私(池田大作氏)は仕事をしない人は信用しません。」
と書いています。昭和20年代の話であり、時代背景や話した相手の状況が「全く違います。」就職難な現代とでは指導が異なるかもしれません。しかし私はこれに変わる指導を知りません。ですから、、、

””学会指導は変わる事があります。””上記の様に
””学会指導は学会員にとって、無慈悲で手厳しい指導がある「かもしれません。」””
覚悟して下さいね。

 もしかすると問題があってメールを頂く事になって、消すかもしれませんが、事実です。B君以外、年齢的にも経歴的にも就職は完全に厳しいです。全員30超えていて、7,8年から14年の間仕事をしていない訳ですから。B君をのぞけば長い間、信心のサポートが足りないか出来なかったのか、出来ても上手く行かないのかはわかりません。ですが、この結果になっています。
 もちろん私も微力ながらお手伝いさせて頂きました。仏法からして学会精神からして、A君以外は一度でもサポートした私が駄目だった、私の(自己)責任だった、のでしょうか? それだけで無く各地区の男子部の本部長、部長、地区リーダーが頑張っていました。頑張っていたと思いますよ?でもこの結果です。 ホントにサポート側だけの問題でしょうか?どの学会メンバーもB君以外は創価学会の家庭であり、家族がいくらでもサポート出来ます。

 もちろん学会を否定して信心していない人で病気の人や就職出来ない人もいます。私の友人にもいます。
 ちなみに私の会社の同期では信心しているのは私だけで、一番、私が健康や出世とか駄目駄目です。信心していない人の方がすっと幸せです。
 そうするとここで、私の会社の同期の人達について「本当に心の中まで幸せかどうが判らない。」という反論があると思います。そりゃそうでしょう。じゃ一体どんな基準、線引きで幸不幸の判定をしたらいいんでしょうか?少なくとも私を見て信心なんかとんでもない、と思うか、バカだな、と思われるか、お前よりは俺の方が出世していて幸せ。といわれるに決まっています。
 ここで突然、心の問題とか幸福感(絶対的幸福)とか言うコメントは困ります。あくまで信仰とはどんなものか?結果は?どうあるべきか?などの観点でお願いします。大きな脱線も困ります。
いじょ。

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2 コメント

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nanaさん (soukagakkai_usotuki)
2006-01-16 08:16:26
創価学会員さんとのやりとり。その1

http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/1ec965c3aa27cc353a604fd1ade30541

ここのご質問にも答えて下さい。だいぶ記事が下にあるので見れないかな?
Unknown (そううそ)
2009-09-15 21:14:16
岩波仏教辞典によると、退転とは次の通り。

「退転 たいてん 修行によって得た境地を失って,より低い境地に転落すること.転じて,精進(しようじん)を怠りなまけること.その反対が〈不退転〉(_不退)である.なお,さらに転じて,一般に衰退すること,特に家がおちぶれて転居することをも意味する._命尽きんまで,念仏退転せずして往生すべし_〔歎異抄〕」

つまり、
「正しくない信仰を辞めることは退転とは言わない。」
「正しくない修行(精進)を辞めることは退転とは言わない。」
のだそうで。

カルトな修行や問題や議論ある修行方法なら止めても問題なし。

つい先程頂いたコメントです。(^^)/
きちんとした仏教知識からすれば私は退転ではなかったのですね。ヽ(゜∀゜)ノ

退会時に退転とか周りに言われたのは結構不愉快なものでしたから。。。。。。。。
このブログに数多く私が書いた 「退転」 とは創価学会で言われるところの退転です。

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