メランコリア

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『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』(集英社文庫)

2016-09-11 11:32:02 | 
『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』(集英社文庫)
原題 A L'AMI QUINE M'A PAS SAUVE LAVIE by HERVE' GUIBERT
エルヴェ・ギベール/著 佐宗鈴夫/訳

※1993.6~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。


あらすじ(ネタバレ注意

フレディ・マーキュリーとの関連で、改めてエイズに対して興味をもったのと、
作者が俳優のようにハンサムなこと、それになんといってもタイトルが実に攻撃的で
印象的だという理由で即座にこの1冊を手にした

実話であり、作者は1991.12にもう他界して、この世にいないというのもショッキングだ

最近、翻訳ものが活気づき、幻想文学やサイコ・サスペンスといったフィクションとともに
衝撃的で赤裸々に性体験や、多重人格などを描いたノンフィクションもおおいに興味をそそり、
書店の棚を埋め尽くすようになった。それも、私の好きなハードカバーで


この、作者の命を救わなかった友というのは、作品中のビルのことだと本人も認めている
新たに効果が認められたワクチンの研究成果をほのめかしながら、
エイズに感染した友や、その知人らの関心を一気に集め、
結局は誰も本気で助ける気はなかったんだという成り行きと同時に
作者が感染を告知された1988年前後の話が書かれている。


訳者のあとがきで、初めて、作中のマリーンは、フランスのスター若手女優の
イザベル・アジャーニだと知り、慌てて過去のページをめくり返した。

あまり好意的ではなく、むしろ憎むべき相手として描かれている彼女は
野心的で、気まぐれで、高慢で、映画で観る彼女のイメージとは違っている


私は、彼にジュールとの出会いや、同居人らとの甘い生活も一緒に書いて欲しかったけど、
たぶん、それは別の作品にあるのではないかと思う

今作の続編も書店に並んでいて、死の直前まで書かれたのだろうと思われるが
今のところ、そちらは買って読む気がしない

今作もかなり病状の細かい様子や、病院や、同じ症状をもつ友人との辛らつなやりとりが大部分を占めているのに
もっと末期症状の話をずっと読むのは、より陰鬱な気持ちになりそうだから

この作品は、作者にもまだ余裕の気持ちが感じられ、
「一時的に完全に回復できると信じきっていた」時期もあったせいか
文中にほかの楽しいエピソードも入っているから、比較的、暗く、重い印象は受けない

逆に「いそいそと時間通りに早朝から病院通いを続ける」という姿を思い描くと
かなり意識的で、ジュールよりも冷静でいるように感じられる
本を書くという商売柄のせいだろうか

だが、内容や健康状態とは別に、この生き生きとした文章を書いた本人がもう亡くなっているという事実は
なんとも不思議で、時々、読者を当惑させる


エイズは、今や“同性愛者たちだけの秘密の病気”ではなくなり、
性愛とは関係ない赤ん坊にまで猛威を振るっている

『死を意識させることで、淡々と生きている私たちに、生の価値を見い出させる病気』

これは、本当に世界の終わりを意味するのだろうか?


私は、同性愛のほうがよりピュアな愛情のように思える。誤解を生むだろうが
男女の関係には、た易く、嘘、偽りが生まれ、それをうまくカムフラージュし、コントロールできるが
同性愛はまだ社会に認められず、危険がともなっているせいか、よりストレートで刺激的だ

映画『マイ・ビューティフル・ランドレット』や、『アナザー・カントリー』、『モーリス』など
同性愛を描いた映画は美しく、女性たちにも大絶賛され、支持され続けているのも事実

フレディのような快楽主義の極地の世界でもあり、それは時にうらやましく、嫉妬さえ感じる
それが死に通じる片道切符だと知っているとしても

これほど世界中が騒いでいても、私はいまだエイズ感染者を実際に見たり、周囲にいるという噂を聞いたこともない。
もしかしたら一緒に道を歩いているかもしれないのに、私が目を閉じて見ていないか、
それとも彼らがうまく隠しているのか

一時「エイズをストップしよう」というテロップも流れたが、なにからストップさせるのか、
「理解しよう」という事実は一体何で、私たちはこの病気の何を誤解しているのか、
ハッキリしないことがたくさんありすぎる。とくにこの日本では。



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