メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

notes and movies(1994.10~ part4)

2013-02-08 11:20:50 | notes and movies
過去のノートにある映画感想メモシリーズ。
part3からのつづき。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。


『から騒ぎ』(1993)
監督・出演:ケネス・ブラナー 出演:エマ・トンプソン、デンゼル・ワシントン、キアヌ・リーヴス、マイケル・キートン ほか
監督、俳優などで多才な顔を持つブラナーと、オスカー女優トンプソン、
このおしどり夫婦が組んだ2作目はシェイクスピアの「から騒ぎ」。
シェイクスピアを読まない英文科卒としては、映画が唯一作品を知る接点だけど、
何百年も前にこれだけ楽しいミステリー・ロマンスを書いていた彼は改めて偉人だなと感心。
「じゃじゃ馬ならし」から「ロミジュリ」風まで入ったストーリー。悪役のキアヌがキャラ的に弱いが、
強烈なのは役人のキートン。警察もいない中世じゃ、ちょっとした誤解を晴らすのも命懸け。
“処女性”が尊ばれていた時代、バージンじゃなきゃ生きる価値もなく、貞節であれば天使の如く扱われる。
シェイクスピアが好む女性像は、無力で泣くばかりのジメジメしたタイプじゃなく、
男と対等にものを言う(言い過ぎない程度に)知性とエネルギーを持つ美人がいいらしい。

どこで撮影したのか、まさに中世の城。イギリス風の見事な庭が美しい。
現代的アレンジではあるけど、古典はキチっとおさえている。
オーバーアクションに“thee”などのセリフの言い回しはやはり舞台劇風。でも古めかしい本の世界から飛び出して、
中世の人々の活気溢れる暮らしぶりがこうして生き生きと蘇るなんて、書いた当人も予想できなかったことだろう。
格式や伝統の強いシェイクスピア劇のプリンス役にデンゼルを起用しているのも面白い。


『時の翼にのって』(1993)
監督:ヴィム・ヴェンダース 出演:オットー・ザンダー、ピーター・フォーク ほか
詩そのものだった『ベルリン 天使の詩』の待望の続編。今作は、カシエルが人間界に降り、
壁崩壊後も変わらず混沌として、聞く耳、話す口、安らぐ心を持たなくなった人々の中で
どんどん悪に翻弄されるカシエルと、彼を見守る天使と悪の使者。
天使といえど、人の毒気にあてられたら道を誤ってしまうものなのね
それぞれのその後がみれる楽しみと、豪華キャストの素顔がのぞくシーンがイイ。

「愛する人間よ。我々は遠くにいるようだが実は近くにいる。目に見えず、耳に聞こえはしないが・・・」
目に見え、手に触れる物だけを信じざるを得ない私たち。
天使などとうに忘れてしまい、苦悩を内に秘め、互いを干渉せず、助け合おうともしない。
その内なる心を自由にのぞけたら、子どもらの無垢なつぶやきに出会えることだろう。
私たちがいつでも温かな救いのまなざしに見守られ、
死んだら約束の地まで連れていってくれるとしたらどんなだろう?
初作よりはやはり弱いけれど、抒情詩のごときスタイルはそのまま保たれている。
ゴルバチョフ本人が出演したり、ルー・リードが出演しているのは嬉しいショックだった
かつてはベルリンに住み着いたアーティストの1人。新曲?をステージで歌うシーンなんて貴重で一見の価値あり。


『蜘蛛女』(1994)
監督:ピーター・メダック 出演:レナ・オリン、ゲイリー・オールドマン ほか
S.ストーンの出現から悪女もののヴァイオレンス&セックスムービーが今や大流行。
そこに登場した今作のレナ扮するモナは色仕掛けだけでなく男以上の力と知性でマフィアのドンを狙うというタフさ。
“女たらしが血を流す”なんて原題と、強烈なキャラをもつヒロインからイメージした邦題は視点が逆だ。

獲物を誘って糸に絡め、時には同種のオスをも食べてしまう蜘蛛に悪女がよく例えられるが、
この映画のテーマといい、ブームといい、どんどん強くスマートになってゆく女性に対する男性の恐怖心がありありと浮かんでくる。
作品中に出てくる女性を大別したら、若い娘、結婚した女、男をハメる悪女。
男たちは前の2タイプにしがみつき、弱くて泣き虫で、男を信じ、愛し、どこまでも耐えてくれる女像を求めている。
そんな男を誘惑し、渇を入れるしたたかなモナの強さ、潔さ、クールさは浮気男への復讐にはもってこい。
情報屋で儲ける腐った汚職警官役にゲイリーはピッタリ。テキサスの荒野にどうしてサックスの乾いた音がこうも合うのかな。
話が当人の記憶をたどる三人称なのが変わってる。


『スウィート・スウィートバック』(1971)
監督:メルヴィン・ヴァン・ピープルス 出演:マリオ・ヴァン・ピープルス ほか
スパイク・リーがもっとも影響を受けたという映画。
なんともいえないノリだなあ。'70はじめに黒人がこんなサイケデリックな作品を撮っていたなんて、
ブラックカルチャーの爆発と、リーの活躍がなかったらきっとここまで届くことはなかっただろう。

“白人社会にウンザリしているブラザース&シスターズへ”

ロス暴動で初めて公の問題となった、白人警官による黒人への不当な暴力を描きながら、
それだけじゃない黒人独特のリズム、ユーモア、スピリッツも盛り込んでいる。
ここでの性は快楽そのもの。愛ではない。
それを特技にしている口数少ないこのスウィートバックのフシギなキャラクターは憎めない魅力がある。
全篇を通じて流れているグルーヴィなサウンドと、呼びかけ、逃走をけしかける歌ともいえない声が盛り上げる。
素人も出演しているんだろうか。決して金がかかってるとはいえない作品だけど、だからこそよりリアリティが感じられる。


『ソナチネ』(1993)
監督:北野武 出演:ビートたけし ほか
「ヨーロッパでささやかなたけし映画ブームが起こっていて、レンタルショップではちょっとしたコーナーまでできている」
なんて評判を聞いた。ヤクザ映画が多くてこれは3本目。『3×10月』に続く沖縄ロケ。
いつも思うけど1シーンごとが妙に長かったりするのが残る。車が走っていく、人が歩いてゆくなど。
今作では組同士の抗争より、ヤクザの海辺での骨休めと、死にとりつかれた男の話が中心。
「人を簡単に殺せるなんて強いのね」「弱いから銃を持ってるんだよ。怖いから撃つんだろう」
「でも死ぬのは怖くないでしょ」「あんまり死を怖がると死にたくなってくるんだ」
たけし本人は死の縁をのぞいて生きる決心をした。文筆活動を再開して、死を語りはじめ、
そこにはかつてのナンセンスな笑いは感じられない。50歳を前にして、事故をキッカケに人生が一変した男。
ファンはそろそろ禁断症状が出てきている。彼の今後の行動、言葉はひき続き興味を惹くことだろう。


『タクシー・ブルース』(1990)
監督:パーヴェル・ルンギン 出演:ピョートル・ザイチェンコ、ピョートル・マモノフ ほか
労働者階級のブルースを描くのにタクシー運転手は格好のモデルらしい。米・仏・日本でも映画にされて人気を呼ぶ。
ジャケットの宣伝通り、ソ連映画とはいえ、コチコチの政治がらみでなく、仏のソフトなペーソスも交えて、
この道うん十年のタフなタクシー運転手若いアル中のサックス奏者、対照的な2人。
世の中変わって、価値観も生き方も全く異なる世代のギャップ、移り変わり様を描き出している。

結末はちょっと納得いかない。天才とは完全にイカれてる状態と紙一重だけど。
世界中を酔わせる音が出せるなら人間失格とはいえないでしょう。
強烈だったのは「悪夢を見ないためにはこうすればいい」って腹筋10回とかいって脳までマッチョそのもの。
でも友人の開いたパーティで「俺は誰からも愛されちゃいない」て大きな声で軍歌を歌いだしたり、なかなか憎めない心の持ち主なんだな。
汗まみれ泥まみれで働いてきた世代と、労働なんてアホくさいといって笑う生っちろい肌で、サウンド、ドラッグを追い求める若者たち。
分かり合える接点はあるはずなのに、変化のスピードにいつも平行線をたどる図式はいつでもどこでも同じだ。
驚くのはロシア人の酒の量。朝から晩までウォッカや、香水やシンナーでも飲んじゃう。彼らの肝臓は一体どうなってるのかしら


『MO' BETTER BLUES』(1990)
監督:スパイク・リー 出演:デンゼル・ワシントン、ウェズリー・スナイプス、ジョン・タトゥーロ ほか
リーファミリーが揃ってブラックミュージックのルーツ、ジャズの世界をスタイリッシュな映像とノリで描く。
と同時に一人の男の成功と挫折のブルースも聞かせてくれる。
デンゼルがクールに決めたサックスプレーヤーに扮してラップまで歌っちゃうファンキーなシーンは一見の価値あり。
シンガーは喉が命、ピッチャーは肩が命、サックスプレーヤーは唇が命か。プロの世界は厳しい。
男女の間も簡単じゃない。作品中の♪ハーレム・ブルース みたくフラフラと花から花へうまくやってるつもりでも
女はペットじゃない。人間としてリスペクトを払わないとそのうち飼い犬にも噛まれるってこと。
仕事でノリまくっている時に何を言っても聞く耳なしだけど。
サイコーなのは、演奏の間に入るトークの太ったおやじ。言っていることはかなりキツいけど、笑っちゃう。
「サックス吹いてるおまえの格好はまるでアホみたいな“?”マークじゃねえか!」なんてほんと笑える
♪モー・ベター・ブルース と紹介される曲は日本のポップスのメロディに近くてビックリした。
マネするのが器用な日本人。音楽文化にもあらゆる国の音とリズムを融合させてほしいものだ。


『愛が微笑む時』(1993)
監督:ロン・アンダーウッド 出演:ロバート・ダウニーJr.、キーラ・セジウィック ほか
心と体がほんわかあったかくなる、Xmasの晩に誰かと一緒に観たらいいだろうなって感じのファンタジーコメディ
『チャーリー』で充実しているダウニーが演じているからこそ楽しい。
ポップアート系の軽妙なスタイルで、見事4タイプのゴーストの乗り移りようが笑える。
'50ポップスが懐かしく、どこかもの悲しいヒットソング
♪Stand up like a man doo doo doo doo に合わせて皆で歌うシーンはサイコー

ゴロツキタイプのマイロ。紳士的だけど意気地のないハロルド、しっかりママのペニー、
そしてキーラ・セジウィック演じるジュリア。それぞれの変貌ぶりがなんといっても見物。
ゴーストもののアイデアはこれからも楽しめそう。トマスの子ども時代の子役も可愛い。
ユーレイが皆こんな陽気な連中ならいいのにね。


『教祖誕生』(1993)
監督:天間敏広 出演:ビートたけし、萩原聖人、玉置浩二、岸部一徳 ほか
ヤクザ映画でハードでブラックな作品が多い中、ちょっと肩の力を抜いた絵と展開、
冗談とも皮肉ともいえない微妙なタッチとフミヤの粋なサウンドが妙にマッチして、
たけしの普段よく口にする宗教観、神の存在に対するなんともいえない独特の見方が表れている。

「神が人を救ったことは歴史上1回もないんだ。神は人が創った最高の創造物なんだよ。
 現実に人を救ってるこの団体のほうがよっぽど神さまだよ」
そういえなくもない。
誰でもいいから超人間的パワーを持つ者に頼り、信じることで安心し、心の平穏が保てるなら、
また、力を信じることで病気の治癒を信じ、信じきることで本当に治ってしまうとしたら、
神は誰であってもいいし、インンチキ団体でも善行だといえるだろう。
実際、寄付金の金額次第で極楽浄土へいけると思っている人もいるのだから、
その期待に応えるべく立派な衣装、立派な寺を構えるのもまんざら悪いともいえない。
変わっていれば変わっているほど、価値あるものに見えてくる宗教の世界はマジックショー、ショービジネスで
芝田は素人をスカウトし、マネージングする神商売人ともいえる。
「どうして教祖になると、なりきっちゃうのかな?」
ごっこ遊びから、本当に超人パワーが身についた気がしてくるのも
大勢の人間が信じて、従ってくれるゆえにあるのでは?

これだけ無数の宗教団体が流行るとは、現代人の魂はどうしようもなく路頭に迷っているという証だ。
玉置浩二のハマっちゃってる演技、萩原の今風の若者からの変わり様、
そして原作者であるたけしのまんざらでもなく楽しんでいる真面目腐った演説、屈折した態度は笑える。


『シティ・スリッカーズ』(1991)

監督:ロン・アンダーウッド 出演:ビリー・クリスタル、ダニエル・スターン、ジャック・バランス ほか
『子鹿物語』ならぬ『子牛物語』とでもいえるなんとも可愛いノーマンに泣けたり、笑ったり。
主演者たちものびのびと自然を満喫してるといった感じ。でも街中で牛を飼っていけるのかしら?
スリッカー(いい身なりの口がうまい)油断ならない人物・・・というより、
これは都会で迷った中年男たちの新規巻き返しのお話。
モンタナのどこまでも続くでっかい空、本物の山と川、決して人に優しくない自然の中で
ストレス解消の軽いバケーション、ゲームのつもりが、ハプニングの連続で牛を目的の町まで運ぶハメになる!!!
都会育ちとカウボーイのカルチャーギャップに、アカデミー賞の司会ですっかりお馴染みのビリーの喋りや動作の面白さが加わり、
+西部劇ファンにはたまらないだろう『シェーン』のジャックの出演など、観た後は私たちまで心の洗濯をしたような爽快な気分になる

「父とは話さなくなっていたけど、野球の話だけはした」
男同士のつながりって時に単純に見えるけど、それが大切だったりするのね。
カウボーイは強い男の象徴だけど、そんなに男らしさにこだわる必要があるのかしら?
「いつになっても、自分を信じていれば何度でもやりなおせる」そんな元気の素になる作品。

to be continued...

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