太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

あの時私が見たもの

2024-04-15 06:40:45 | 不思議なはなし
突然、何十年もずっと、忘れていた古い記憶がよみがえることがある。

子供の頃、家の向かいに山田さん一家が住んでいた。
山田さんちは、おばあさんと、その息子夫婦、3人の男の子という家族構成で、
男の子は上が10歳ぐらい、末っ子が4歳ぐらいだったろうか。


私が、6歳か7歳の頃だったと思う。
うちで新しい冷蔵庫を買って、それが入っていた大きな段ボールが、家の前に置いてあった。
家は玄関と門の間に、車1台ぐらいのスペースがあった。
門はキャスターがついた金網で、内側から外が良く見えた。
これが、家と門の間に立って撮った写真。(ピン止めしているのが私)
たぶん、この写真と同じころの話。


夜、夕飯を食べたあと、私はその段ボールに入ってみた。
説明するまでもないが、私はちょっと変わった子供だった。
私は段ボールの隙間から、外を眺めた。
季節は初夏で、段ボールの中にいても暑くも寒くもなく、見慣れた風景も、四角い隙間のこちらから見ると、どこか違って見えておもしろかった。
家の前の道は舗装されていない砂利道で、近所の誰かが砂利を踏む音や、どこかの家からお風呂をつかっている音が聞こえた。
街灯のたよりない明かりが照らしているのは、ほんの限られた範囲だけで、昔の夜は今から想像できないほど暗かった。

どのぐらいそうしていただろうか。
山田さんちの屋根から、何かが夜空に向かってのぼっていくのが見えた。
はっきりとした形はなく、煙のようにも、湯気のようにもみえた。
それはゆっくりと1度まわってから、吸い込まれるようにして空に溶けていった。

「山田さんのおばさん、昨日亡くなったんだよ」

翌朝、母が言った。
私がそのとき何をどう思ったかは覚えていない。
私が見たもののことも、誰にも話さなかったように思う。
山田さんのおばさんが病気であることを、子供の私は知らなかった。身近で誰かが亡くなったという経験はなかったが、私よりも小さい子が、もうおかあさんに会えないのだということはわかっていて、子供心に何かを感じたのは間違いない。
おじさんは、そのあともとうとう後添いを迎えることなく、おばあさんが3人の孫を育てた。


私はこのことを、今になって思い出した。
小さな子供を3人残していかねばならなかった、おばさんの悲しみはいかばかりだったろう。
私があの時みたものは、おばさんの名残惜しくてたまらぬ思いだったと思う。

山田さんのおばあさんは、孫たちを立派に育て上げ、役目を果たしたかのように亡くなった。
そのあと、山田さんは家を売って引っ越していき、あとにはきれいな3階建ての家が建ち、幼い子供たちを連れた若い夫婦が越してきた。
その子供たちも巣立ち、広すぎる家を持て余した夫婦は、その家を売り、新たな家族が住んでいる。


私は30代だったろう山田さんの年齢も、母の年齢もとっくに超えた。もしかしたら、山田さんのおばあさんは今の私とたいして変わらなかったのではないか。
山田さんの家は、壁が羽目板で、窓は上下に開くクラシックな木造住宅だった。
今でも目を閉じれば、あの窓に灯っていた部屋の明かりや、屋根から立ち去りがたく登っていくおばさんの思いが、思い出されるのである。







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