太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

怖い引き出し

2023-05-31 08:11:13 | 日記
義両親の家のキッチンの引き出しは、なるべく開けたくない。
義両親からのお裾分けが入っていたタッパーや食器、こっちに紛れ込んだトングなどは、洗って乾かして、向こうのキッチンのカウンターに置いておく。しまう場所はわかっているけど、そうする。

なぜか。
それは、せせらぎに出会うかもしれないから。

注)せせらぎとは「ゴ」のつく虫のこと。名前すら書きたくないので、伊坂幸太郎氏の小説より引用した。

うっかり引き出しを開けて、丸々としたせせらぎを見てしまったときの気味悪さ。
引き出しだけじゃない。
鍋類が収まっているキャビネットにも、いたことがある。
義両親のために言っておくが、けして不潔にしているわけではない。使ったものは洗剤とお湯で軽く予洗いしたあと、食器洗い機に入れ、最後は高温の熱風で乾かしてから、棚にしまう。むしろ我が家より清潔なぐらいだ。
それなのに、なぜせせらぎがいるのかというと、答えは簡単明瞭。

生ごみを入れるゴミ箱に蓋がないから。
これじゃ、せせらぎを餌付けしているようなものだ。

我が家を建てる前、一緒に暮らしていたときに、それとなく蓋をしたほうがいいのでは、と言ったことがある。
が、なぜか困ったような顔をして首を横に振るだけだ。
たぶん頭の中は、「WHY?」なのだろうが、私こそ「WHY?」。

だから我が家を建てた時、迷わず蓋付きの生ごみ入れにした。
我が家で、引き出しをあけてギョ!としたことは1度もない。
たまーに、外から入って来るせせらぎがいて、猫たちにやられてひっくり返っていることは、ある。
なにしろ、やつらは庭の土の中に棲んでいるのだ。
何年か前に、夫と義両親が庭の花壇を掘っていたら、せせらぎの巣らしきものがあったので、埋め戻したという。
それを聞いた時、「なんで埋め戻したッ!!」と私は憤慨をしたのだが、これはもう文化の違いとしかいいようがなく、せせらぎは彼らにとってはバッタやコオロギと似たようなものなのだ。
夫が、ひっくり返ったせせらぎの足を素手でつまもうとするのを必死で止めたら、「なんで?」という顔をしていたし。

夜、暗い義両親の家のキッチンに入るのも、私は嫌だ。
明かりをつけた瞬間、コソコソと奴らが動く気配があることがある。
私はどうしてこうもせせらぎを忌み嫌うのか、それも説明しようのないことなのである。







留守を預かる

2023-05-30 07:16:25 | 日記
義両親が恒例のヨーロッパに旅立った。
昨年は丸2か月だったが、さすがに2か月びっちり一緒にいるのは長すぎたようで、帰ってくるなりシュートメは一人でシアトルへ、入れ違いに義父はツーリング仲間とカナダに出かけた。
今年は6週間。

彼らが留守の間は、庭の管理、花の水遣りなどをしなければならない。
家の掃除はハウスキーパーが来るのでしなくてもいいのだけれど、庭をやってくれる人は週に1度しか来ないので、毎日の水遣りは必須。
これがなかなか手間がかかる。
建物をぐるりと樹々で囲まれているので、使うホースを替えながら一周する。
下のジャングルに続く左側の斜面にも、シャワーツリーやバナナ、タンジェリンやライム、ジャカランダ、パパイヤなどがあり、滑らないように気を付けながら、水を撒く。
簡易スプリンクラーもあるのだが、それにホースを繋げたり外したりが面倒。
だから、夜の間に雨でも降ってくれれば小躍りするほど嬉しい。

そろそろ収穫できそうなバナナを3房発見。
だいたい1房に70本ぐらいあるから、200本!
2人しかいないのに、200本のバナナをどうするよ?

義両親が留守の間は、義両親側と我が家の間のドアを開放しておく。
猫たちが向こう側の家に自由に行き来できるようにするためだ。
義両親がいるときには、キッチンカウンターの上にバターやパンが出ていたり、ガレージドアや玄関ドアがスクリーンになっていたり(猫はスクリーンの隙間を抜けて外に出られる)して、おちおち開けておけない。
ドアを開けると、新しもの好きな猫たちはダーっと走っていく。
一通り探検して、お気に入りの場所を見つける。
一人、発見。

今朝の昼寝はここに決定。

義両親からは、フランスの美しい景色の写真が送られてくる。
彼らが毎年、ヨーロッパに旅行に行くようになって20年以上になる。あと10年、元気に行けるといいなと思う。



リスト

2023-05-28 07:26:45 | 日記
夫は、リストを作る人である。
旅行に行くとなれば、おおざっぱに何日目はどこに行きたいか、何をしたいかのリストを紙に書いておく。
昨夏、フランスに行った時、プロバンスからパリ行きの電車の中で、ガイドブック片手にリスト作りに励んでいた。
普段の休日も、その日に行くところ、やることのリストを作る。
食材の買い物も書き出す。

私は行き当たりばったりというわけでもないのだが、めんどくさがりの上、やってくれる人がいればとことん頼る性格でもあり、何もしない。
旅行先でも普段の生活であっても、私には、どうしてもこれをしたい、どうしてもこれを食べたい、ということがあまりないので、決めてくれたらラクでいい。

リスト作りが好きな夫は、メモもする。
メモ魔というほどではなく、何か書き付けておきたいことを書いている。インディアナからの帰りの飛行機内で、映画を観ていた夫が、何かを紙切れに書いていた。
そっと覗いてみたら、自分の世界は自分が創っている、という一文(むろん英語だけど)が見えた。何を閃いたのか。

食材の買い物に私一人で行くとき、リストを作らない私は、3回に1回は買い忘れがある。
それで、出かける前にリストを作ってみたことがある。
最初の時は、書いたリストを家に忘れて、2回目は、他の用事を済ませた最後にスーパーに寄ったため、リストを持っていたのに書いたことを忘れて、買い忘れをした。
とことんリスト作りに向かない人というのはいるものである。



リロ&スティッチの映画に、出る!

2023-05-26 14:42:19 | 絵とか、いろいろ
リロ&スティッチの映画に、出る!
いや、私ではなく(そりゃそうだ)私の作品が。

映画製作の関係者が、私のオリジナル作品を買って、それを映画で使いたいということらしいのだ。
昨日、ひとつのギャラリーからのメールで知った。
NCIS Hawaii で私の作品を使ったときもそうだったが、どんなものでも公に使用する場合には作者の了承が必要で、そういう書類がある。
その書類はギャラリーを通して私の元にくるのだけれど、ギャラリーが間に立つということで、私はギャラリーの人に代わりにサインしてもらうように頼んでしまう。
だから今回も、そうした。

実は、話を聞くまでリロ&スティッチが何なのかすら知らなかった。
どうやらハワイを舞台にしたアニメで、この夏、アニメと実写をMIXした映画がディズニーによって作られるらしい。
その中で、私の作品が使われるということなのだ。
そのアニメを見たことがある友人によると、私のその作品はアニメの雰囲気にぴったりなのだそうだ。

ちなみに、その作品はこれ。

長辺が85センチぐらいのキャンバス。

いやー、なんだか楽しみだなあ。
映画が封切られたら見にいくぞ。





天使に出会った実話 12

2023-05-26 08:41:58 | 天使に出会った実話
Carmel Reilly著『True Tales of Angel Encounters』より


ヘレン  コッツウォルズ イングランド

私は3回、天使を見たことがある。天使ってどんな容姿なのかと聞きたいだろうけど、うまく答えることができそうもない。

最初は、私が第一子を産んだとき。
私は緊急に帝王切開をすることになり、手術室にいた。下半身だけ麻酔が効いていて、何かをしている感覚はあるのに痛みがないのは変な感じだった。
手術室には結構な数の人がいた。何人かの医師、数人のナース、麻酔医、そして夫。気の毒に夫は吐きそうになるのを堪えていて、そこにいてもたいして役に立つとは思えないのだが、何かできることをしたいという気持ちはありがたいと思う。
そのほかに、もう一人女性がいた。
彼女は手術着ではなく普通の服を着ており、しかもうっすら透けていて、彼女の後ろの壁が見えた。その女性は、私の横にいるナースの後ろで私を見下ろし、柔らかく微笑んでいた。私以外には、彼女の姿は見えないようだった。私は混乱しつつも、彼女が私を守ってくれているのだとわかった。
生まれた子供は呼吸をしておらず、手術室は緊張に包まれて、医師たちは子供を少し離れた台の上に乗せ、必死で呼吸ができるように試みていた。夫はといえば、おろおろして気の毒なほどだ。
その間、天使(私はもうそれが天使だと確信していた)は私のそばで私を見下ろし、穏やかに微笑みかけていたから、子供は大丈夫なのだと安心した。
子供が泣き出し、一気に緊張が解けた。
私に子供を会わせたあと、子供はすぐに緊急保育室に連れていかれ、天使も子供と一緒に部屋を出て行った。

2回目は、3番目の娘が3歳のときだ。
専業主婦として8年目の私は、誰にも認められることなく、社会に私だけ取り残されたような疎外感で落ち込んでいた。夫は帰宅するや、娘のうちの一人を抱き上げて一緒に遊び、他の子供をまわりにはべらせて、私をハグすることも話しかけることもない。
私の不満はどんどん大きくなっていき、落ち込むばかりだった。

その日は、最初から何かがうまくかみあわないと感じる日だった。まず、子供がボールを投げて、私のお気に入りの花瓶を割り、食べたものを吐き、洗濯機が壊れて、キッチンも廊下もそこらじゅうが水浸しになった。
私がその後始末をし終えたとき、既に午後の4時をまわっていた。私はもう何もかもが嫌になり、耐えられないと思った。
アニーは自分の部屋で昼寝をしていて、私はコップにミルクを注いで、彼女が目覚めたときに飲めるようにベッドの脇に置いた。
夫の秘書に電話をし、できるだけ早く帰宅するように伝言を伝えた。
そして私は家を出た。
上の娘たちは、他の子供の母親が迎えに行く日だったので大丈夫だろう。

私は着替えを詰めた小さなバッグを提げて、通りを歩いていった。行く当てなどなかったが、あの家にはもういたくなかった。子供を置いて家を出るなど、とんでもないことだとわかっているけれど、どうしようもなかった。

そこに、ある男性が車を止めて、乗っていかないかと私を誘った。彼は私がどこに行くのかすら知らないはずだったが、そんなことはどうでもよかった。私は了承し、車に乗った。とにかく少しでも遠くに行きたかった。
彼は私に、何が起きたのかを尋ねた。彼はとても信頼できる雰囲気で、私はなぜか見知らぬその人にすべてを打ち明けていた。
彼は私に同情し、しかし、子供たちはどう感じるだろう、そして夫はどう対処すると思うか、と言った。
そして、私はもっと夫に、私が何を必要としているのかを話すべきだと言う。私はそれでうまくいくのかわからなかったけれど、いろんなことを話しているうちに、私は自分がひどく愚かなことをしていると思えてきた。

私は彼に家まで送ってほしいと言ったが、どうせぐるぐる同じ道をまわっているだけだったから、私の家は目と鼻の先だった。
彼は私と一緒に車を降りた。家の玄関は開いていて、中に女性がいた。
「彼女がアニーをみてくれていたからね」
彼はそれだけ言って、彼とその女性は共に去って行った。無事なアニーを見て心から安心し、家を出ようとしたことに深い罪悪感を感じた。

この時、天使たちは普通の人間になりすまして私を助けてくれた。これを乗り越える魔法などあるはずもなかったが、それでも夫と私はできるだけのことをして、なんとかうまくいくように努力した。
私は、何もかもを一人で溜め込んで破裂する前に、夫と分かち合うことを学び、それからは二人で難局を乗り越えていった。

最後に天使を見たときは、ちょっと変わっていた。
ある男が学校に乗り込み、銃撃事件を起こして多くの子供の命を奪ったことがあった。直接私には関係のない事件ではあったが、自分の子供らと同じぐらいの年齢の子供が犠牲になったことは、とても悲しく辛かった。
私は犠牲になった子供らと家族のために泣き、自分の家族が無事でいることに感謝をし、そういうことに巻き込まれないように祈った。
私は自分なりのやり方で信仰しているので、教会にはあまり行かないが、ある木曜日のミサに出かけた。
私は椅子に座り、じっくり話をに耳を傾けるでもなく、ただオルガンや歌を聴いていた。
ふと目を上げたとき、教会の中にたくさんの天使がいるのが見えた。顔ははっきりわからないが、彼らは光に包まれていた。私は天使たちが私たちを見守ってくれていると感じて、とても幸せな気分になった。
天使たちはしばらくそこにいて、そして見えなくなった。


天使に出会った、どの状況も違っているけれど、いつも私が危機に立っているときに彼らは現れた。だから、姿が見えなくても彼らは常に私たちを見ていて、必要なときに手を差し伸べてくれるのだと固く信じている。