太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

日本語の「ん」

2023-07-09 11:23:24 | 英語とか日本語の話
職場に、ようやく日本からの旅行客が増えてきた。
パンデミック後に入社した従業員たちは、日本人と間近に接したことがない人ばかりで、なにかと興味深いようである。
昨日、同僚がやってきて言った。

「ねえ、日本人が 『ん』 って言うのはどういう意味?」

何のことを言っているのかわからなかったので、たとえばどんな状況で?と聞いた。

「これがコナコーヒー100%で・・と説明すると、『ん』、あちらにナッツがあってと言うと、『ん』」

ははぁ、相槌のことか。

「それはね、私はあなたのいうことを聞いてますよ、という意味なんだよ」

「わーお!そうなんだあ!」

「日本人は会話の中で、よく使うよ。話を聞きながら、うんうん、へえ、ってね」

「なるほどー」

英語圏の人も、ときどき「ア、ハン」なんて相槌を打つことがあるけど、だいたい黙って聞いていることが多い。
これが電話だと、ずっと黙ったままで不安になることもある。
夫が電話で誰かと話しているときも、しばらく静かなので電話は終わったのかと思うと、ただ黙って聞いているだけ。

「日本人て、おもしろいね」

同僚は嬉しそうに言った。
ええ、あなたたちもね・・・・

こうして、当たり前すぎて気づかないことに気づかされる。


涙腺を刺激する日本語

2023-05-20 08:01:09 | 英語とか日本語の話
ホールフーズで買い物をして出てきたら、店の前で、日本人の女性二人が、連れらしき男性に写真を撮ってもらっていた。
こういう場面を見かけると、声をかけずにいられない。
記念写真は全員で映ったほうがいいに決まっている。

「みなさんの写真を撮りましょうか」

と声をかけると、カメラを構えていた男性が、

「いや、僕はガイドなんです」

と言って笑った。
すると女性たちも笑って、

「ありがとうございます。ご親切に」

と言った。
『ご親切に』
その言葉は私の胸に柔らかくしみこんで、涙が出そうになった。
日本語の、なんと美しいことよ。
これが英語だったら、
「Thanks!」か、「Appreciated」だ。
それには感謝はこもっているが、「ご親切に」の深さと柔らかさはない。
日本語を、もっと大事にしようと思う。




英語の本

2023-04-26 07:47:50 | 英語とか日本語の話
今回の旅行に、私は本を持っていくのを忘れた。
飛行機の機内や、空港の待ち時間には本が欠かせないというのに。
友人や義両親は、タブレットにダウンロードした本を読んでいるので、本を持ち歩く必要がないのだけれど、画面は目が疲れるし、私は何よりもあの紙の感触が好きなのだ。
本を選ぶのも、ネット上でなく、実物を見て選びたい。

機内や空港はなんとか時間をつぶしたが、インディアナの叔母の家ではたっぷりと時間を持て余してしまう。
夫は空港で買った本を読んでいる。
ボーっとするのも飽きて、かといって昼寝などしたくない。何でもいいから文字が読みたい。誰か私に文字を与えてくれ!

そこで叔母の書棚を漁ってみた。
意外なことに、スピリチュアル系の本が何冊もある。
4人姉妹の中では、この叔母がスピ系なのは何となく納得。16で子供を産み、10年後に癌とわかっている相手と再婚し、夫を看取り、夫の成人している子供たちには冷たくされ、けっこう波乱な人生だ。


夫と結婚したばかりの頃、義父が時々、これはおもしろかったから、といって本を送ってくれた。
むろん英語の本だ。読み始めて数行で、わからない単語が出て来て辞書を引く。
少し読むとまた、単語を引く。
前に引いた単語の意味を忘れて、再び引く。今度は忘れないように、引いたら紙に書き留めていると、なんだか試験勉強しているような気分になってくる。
そんなこんなで2ページ読むのに疲れ果て、放り投げた。

それ以来、英語の本は読めないものと決めていた。
しかし、文字に飢えていた私は、読めなくてもいいから何か読みたくてたまらず、叔母のスピリチュアル系の本を手にとってみた。

そしたら、どうだ。

驚くことに、すらすら読める。
時々わからない単語があるが、前後から推測できるので問題ない。
これは日ごろ私が日常会話で使っている、知っている単語を拾って想像でつなぎ合わせるという手と同じだ。
私は少なからず感動した。
専門用語がたくさん出てくるような本は無理だろうが、エッセイや軽い小説だったら読めるのだ、この私が?

英語が話せないのにガイジンと結婚して16年。
いろーーーーーーーーーーーんなことがあったが、この16年は英語と向き合う16年でもあった。
しみじみとその軌跡を振り返る。

叔母に借りてきた、この2冊。
とてもおもしろくて、読み終わるのがもったいないほど。


特に「True Tales of Angel Encounters(天使に出会った実話)」。
世界中の、天使に出会った体験談を持つ人の話が集められている。
和訳されているのかもしれないけれど、追々、いくつか記事にしようと思っている。



私の面の皮

2023-04-06 13:14:07 | 英語とか日本語の話
12年前に私がハワイに来た頃は、英語を話すよりも書くほうが楽だった。
それが今は、書くよりも話すほうが何倍も楽だ。
その理由は、英語が上達したというよりも、正しい英語を話そうとしなくなったからだと思っている。

頭で作った英文を話すと、会話についていけなくなる。
相手の話していることを一語一句理解しようとして、それができないことに打ちのめされる。
最初の1年半は、そんなふうに目の前にそびえたつ言葉の壁の下で途方にくれていた。
英語さえちゃんと話せるようになれば、どんな仕事もできるのにと、英語が第二言語の大人向けのスクールを探したりもした。
しかしそれは、何も行動を起こしたくない臆病の言い訳でしかなかった。
英語も話せないのにガイジンと結婚した私が、今さら英語のスクールもなにもないもんだ。
そして思い切って最初の1歩を踏み出して、今がある。


先日、夫の叔母に用事があって電話をしたら留守電で、仕方がなくテキストメッセージを送った。
あとで叔母に会ったら、

「シロは自由に話すように書くのねー」

と言って、笑った。
たまに日本人のクルーと船に乗ることがある叔母は、彼らがきっちりした英語でメッセージを送ってきたり、ちゃんとした英語で話すのを知っているのだ。
なるほど、言われてみればそうだ。
話し言葉では、前置詞が抜けたって、違ったってどうってことないし、疑問文にしなくても語尾さえ上げれば足りてしまう。
それをそのまま文字にするから、私の英語は規格外英語なのだ。

今はもう、頭で英作文することはない。
口をついて出てきた言葉をつなげているだけだ。
相手が言っていることが完全にはわからなくても、打ちのめされない。
理解できた単語を瞬時に繋ぎ合わせて憶測するから、見当違いな受け答えをすることもしょっちゅうだ。
それでも平気だ。
同僚たちの話なんか、時に半分ぐらいしかわからない。
わからなくても、「ワーオ!」とか「クール!」とか、相手が言ったことを反芻してお茶を濁している。


私が学んだことは、三つ。

1.とにかく大きな声ではっきり話す

日本人は全般的に声が小さいから、正しく話しても伝わらないのだ。
私の声は、ずいぶん大きくなった。
間違っていても、大きな声ではっきり言う。堂々としていると、ヘンテコでも笑って済ませられる。これは本当だ。

2.表情を豊かにする

日本人は表情に乏しいといわれる。
見知らぬ人とエレベータで乗り合わせた時、ふと目があったとき、ニッコリと微笑みかけてくるのは決まって外国人だ。
オーダーするとき、お金を払う時、パッと笑顔になったらそれだけで空気ががらりと変わる。先に笑ったもん勝ち。

3.いちいち気にしない

よく聞いていると、けっこういい加減な英語を話している人たちがたくさんいる。
職場でお客さまが「日本人?」と聞く。そうだと言うと、「やっぱね、アクセントがね」と言う。「そうよ、日本人だもの」とシラっと私は言う。
10年前の私なら、いじけていたところだ。
日本人なんだから、日本語のアクセントがあったっていい。そういうアンタはどうなの、英語以外何を話せるっての。と心で思ってひそかに留飲を下げている。



40過ぎて英語を使い始めたにしては、私はよくやってる。
私の面の皮は、この12年でどこまで分厚くなっただろうか。









日本語脳スイッチ

2022-11-17 08:08:11 | 英語とか日本語の話
ある、ショックなことがあった。

昨日の夕方、職場で、クリーニング中につき使用禁止の札をかけて、バスルームの掃除をしていた。
直前に受けた電話が多少込み入った内容で、私は頭の中でそれを反芻していた。

そこに、日本人の旅行者が来て、
「tsukattemoiidesuka」
と言った。

なぜローマ字になっているかというと、私はその人が言っていることを音としては理解しているのに、その音に意味がまったく付いてこなかったのである。
たとえば、スペイン語を話しているというのはわかっても、どんな意味なのかはわからない、という感じに似ている。

私が呆然としてその人の顔を見ていたので、その人はもう1度
「使ってもいいですか」
と言った。
ようやく我に返ったものの、気の利いた言葉は出てこず、ひとつの個室のドアを指して
「Go ahead・・・(どうぞ)」
と、モソモソと言った。


ハワイに住み始めたばかりの頃、英語ではそういうことが起きた。
まだ私が、脳の英語スイッチをOFFにすることを知らずにいた時で、24時間ONになっていると、時にショートしてしまう。
そうなると、夫が聞いている
「What did you buy?(何を買ったの?)」
というごく簡単な英語の意味がまったく理解できなくなる。
夫が、単語をひとつひとつ区切って話しても、まだわからない。
今はもう、必要な時以外は英語脳スイッチはOFFにしているので、雑踏の中の誰かの会話は音にしか聞こえない。

しかし、それが日本語でも起こるとは思わなかった。



電話での英語の会話は、全神経を耳と脳に集中させねばならず、持てるだけの英語能力を使い切ってしまう。
電話を切ったあとも、その集中と緊張が続いていたのだと思う。
姉妹や友達とはメールのみで、日常に日本語をしゃべる機会が私にはない。
日本の友達と会うときには、当然まったく普通に話せる。
でも英語がみっちり詰まった中で、突然日本語が割り込んでくると、切り替えがうまくいかないのだろうか。
そうはいっても、私は40数年も日本語だけで生きてきて、ほぼ英語だけの生活になってまだ12年でしかない。
日本語脳なんて24時間ONになっているのが普通じゃないのか。


そして、いつも言うことだが、その分英語がめきめき上手になっちゃってる、というわけじゃないのが非常に残念なところ。
私の英語はもうとっくに頭打ちで、私は私のアイデンティティのためにも、日本語脳は24時間365日ONで死守せねばと思う。