陶子の心の窓

今日わたしの心の窓は開いていたかな?あなたはいかがでしたか?

市電

2018-07-31 09:08:32 | 旅行
地元、札幌のお話ですけれど、先日、市電に乗ったのです。
約5か月ぶり。久しぶりです。



この日も30℃を超えて暑い日でした。
市電のなかは冷房がなくて、窓全開。
座ると窓からの風に髪の毛が縦横無尽になぶられるのです。
それでも、こういうのは風情があってよいものです。
窓が閉め切られて冷房が効いているより、生暖かい風でも空気が動いている感じの方が気持ちがいい。

一緒に乗っていた友人が「市電もよく残ってるね」と言いましたが、ほんとにそう。
残っていてよかったもののひとつです。
渋滞時のことを優先して考えると、市電は邪魔者扱いされそうですが、なくなってしまうと街が殺風景だろうなぁと思う。
観光資源としてだけでなく、やっぱり生活の足として利用している人たちもいますしね。
観光客のためだけではないところがいい。

たとえば、観光客として小さな町を訪れたとします。
そのとき、そこで暮らしている人たちの何気ない生活手段も興味深いものですよね。
時間の流れ方も違って見えます。
地元の人たちがどれだけその土地、その場所に愛着をもって暮らしているかを感じ取ることも「いいところだなぁ~」と思ってもらえるきっかけのひとつかもしれない。
・・と思います。

流れにのっかって

2018-07-30 10:00:00 | 暮らし
自分の軸を決めて真っ直ぐ進んでいくのもいいけれど、いったんそれは忘れて流れにのっかってみるのも悪くないと思う。
「自分が、自分が」ではなく、ゆる~く周りを見渡して、その中で自分はどんなふうに見えているのかを知るのもひとつの方法。

昨日は1時間ほど列車に揺られて、小樽潮(うしお)まつりに行ってきた。
お神輿を見て、夜は花火を見て。
たくさんの人が来ていたなぁ。わたしたちもその一部。
ふだんはそれぞれの生活があって、顔を合わすこともない。
でも、お祭りで人が集まって、みんなで夜空を見上げるのはいいね。
打ち上げ花火に思わず歓声をあげるのはだれも同じ。
そんなのもいいなと思う。


働く

2018-07-28 08:38:52 | 仕事
自分のやりたいことをするために、仕事を辞めた。
約3か月とそのための準備期間をいれると5か月になるかな、その間はやりたいことを全うしました。
そして今。

仕事する、というよりは「働きたい」。
働くという字は人が動くと書く。人のために動くと解釈もできる。
まあ、あまりそこに深く考えることは今の気分ではなくて、な~んか動きたい!という欲求があるなぁと感じるのです。

どこかの組織に帰属して仕事する、という今までの感覚ではない。

今の自分の身の丈と生活リズムにあった範囲内で働きたい。
一日3~4時間がちょうどいいかな。
それ以上は本来の自分を抑え込むことになっていくからイヤ。

お金は大事だけど、それは健康な心身があってこそ生きるものだから。

そろそろ動き出そうと考えるある日の朝、です。

あいまいグセ

2018-07-27 13:54:08 | 雑感
私には「あいまいグセ」があるな~と思う。
「あいまいグセ」とは、ついさっき自分で命名したのだけど、あいまいな考え方をするクセがあるということ。読んでそのまま^^;

おおざっぱに括ってよほどイヤでなければ、わりとなんとなく自分の中に取り込んだままにしていることがよくある。
そういうコトが決断力を鈍らせているし、ものごとを複雑にしているかもしれない。

このくらいなら大丈夫。
そういうことが重なると「このくらい」じゃ済まなくなるということ。時間がたつと「このくらい」じゃなくなることもあるし。人間関係だと思わぬ方向に話が転がっちゃうこともあるしねぇ・・。

シンプルにコンパクトに対処するのがトラブルを未然に防ぐことになる。
それから「あ、もしかして誤解されてるかも」と感じたら、即座に説明、弁明しておかなくちゃ。
言葉って受け取り方次第でどうにでもなっていっちゃうから。
でも、言葉尻をとらえる、ではないけれど、あまり言うことに敏感になってもね。
そういうのは減点法で人を見ているみたいでなんかイヤです。

ちょっと話がずれてきた。
「シンプルにコンパクトに」を軸に考えると、今回はちょっと当てはまらないと思う時は「今回はごめんなさい」とすればいいのかも☆
今回はパスしても、次回は、あるいはあてはまる時には取り込めばよいのだ。
今回だけではないのだから。
あまりにも「いま、いま!」と目の前のことしか見えていないのかもしれない。
ゆっくりとおおらかに。時間と言うものがある。

うん。「あいまいグセ」を直す糸口が見えてきた。

まだ起こっていないことを憂慮しても

2018-07-26 08:39:47 | 雑感
・・・
心配する気持ちはよくわかります。
でも、世の中のことにいちいち心配して、先回りして良くない方に考えるのはあまり健全な考え方とは思えない。
どんな名言だって、受け取り方によってはキツイ一言になることだってあるのよ。
ただ、そこを先回りしてその言葉そのものを否定するのもどうかなと思う。
言論の自由がある。
もし実際に何かひどい言葉を耳にしたり、自分が不当に貶められるようなことを言われたら、その時は毅然と立ち向かえばいい(「実際に」というのがポイントになる。ほんとに起こったことに対して)。
それだけのことだと思うのです。
そのやりとりが民主主義だと思う。ちがうかな。

まだ起こっていないことを憂慮して、その言葉を排除するということは、昔の「検閲」と同じことみたい。
検閲は幕府や政府が上から取り締まることだからちょっと違うともいえるけど、何か根本的な発想は同じような気がします。
そこに私は息苦しさと違和感を覚えるのです。

その方は弱い人の立場に立って考えを述べていらっしゃいました。
それは悪いことではないと思います。
でも。
まだ起こっていないことです。
その言葉を使って誰かが傷ついたという事実はありません。
その言葉が世の中に広く知れ渡っていても、人々は使い方をわきまえているはず、とも考えられるでしょう。
多くの人はわかっていますよ。言っていいことと、悪いこと。
そうですよね☆




文法から飛び出したいから

2018-07-24 09:49:35 | 勉強
ロシアから帰ってきてからのほうが、ロシア語がんばっています。
試験の後、勉強がんばるみたいだ^^;

でもがんばっている中味は、ほぼ楽しさ、です。
ネイティブのロシア語のシャワーを浴びて、頭の中がかなり耕された状態。
ネイティブの話すロシア語は、文法の例文を思い出させるような、運動動詞の活用があり、簡単な単語を組み合わせた、けれど辞書には出ていないくだけた言い回しもありました。
よく使うあいさつの言葉、日常のフレーズ。これだって使う場面によって、言葉を発する表情次第で意味がビミョーに変わります。

コミュニケーションのツールとしてのロシア語を日々バージョンアップしていかなければね。
そのために核となる文法をしっかり身につけておきたい。
今年はロシア語検定3級に挑戦です!

毎日少しずつ過去問を解いて、できなかったところを補習しています。
やっぱり運動動詞は私にとって峠です。
時間がかかっても覚えて、身につけなくては。
例文やテクストを読んで、書いて・・の繰り返し。地道な作業です。

一方、ロシアで親しくなった人たちからのメールをロシア語で返信することも楽しんでいます。
ちゃんと伝わっているか不安ですが・・。

毎日少しずつの積み重ねが途方もなく大きな成果をもたらすことはよくあること。
私のロシア語もそうであるように願いつつ、とにかく続けていこう。


水分補給にハーブティー

2018-07-22 07:25:17 | 日常
アルタイのふもとバルナウルに行った時、「Горная аптека(山の上の薬局)」というところに行きました。

そこはバルナウルという町ができたときからある古~い薬局で、今はその古い建物を修繕して一部は薬局博物館、一部はレストランとして使われています。アルタイのハーブを使った健康食品、化粧品なども売られています。
そこで買ったハーブティー。

また、アルタイから広~く視野を広げると、シベリアのハーブティーもたくさんありました。
日本語を教えた生徒たちからもプレゼントされました。

こうして、今わがやにはたくさんのシベリアハーブティーがあります。
ハーブティーの良いところは、カフェインを含まないので昼夜を問わず飲めること。
また、糖分なしであっさり飲めることもいいです。

100円ショップで売っている不織布でできたお茶の袋にハーブティーを入れて、ティーポットにお湯をたっぷり注いで待つこと3分。最初はホットで。

そのあとは冷めるにまかせて、キッチンで常温で置いています。
冷やして飲みたいとは思わないのです^^;
実は胃が悪いのかなぁ。そんなことはないと思うけど。
女性はあまり冷えた飲み物を摂らない方がいいともいうし。

そんな風にこまめにハーブティーで水分補給しています。

ゆるく待つ

2018-07-21 07:09:54 | 雑感
旅先で知り合った人が札幌に来ている。
連絡先を交換していて、連絡も取れているんだけど、なかなか会う日時が決まらない。
焦れないでゆる~く待つ。
タイミングは大事。
仕事じゃないんだから。

反対に、降ってくるかのような出会いもある。
なんの心の準備もないのに、時間だけはたっぷりあったがために会うことになった。なんて。
一期一会を大事にしたい私だから、それは有難く受けますが^^

まあ、今回はゆるく待ちます。
人と人とのことは、無理強いはよくないってわかってるもん☆

暑さは寒さの正反対

2018-07-20 09:03:50 | 雑感
私が住むマンションでは修繕工事の真っ最中で、4月から足場が組まれていて、昼間でもダイニングの電気をつけなくてはならないほど室内が薄暗いです。でも、その分日差しがさえぎられていて、涼しいとも言えます。しばらく北海道は梅雨のような曇り空が続いていましたので、窓を開けることもありませんでした。
でも、そろそろ夏本番の気温になってきました。今朝は家の窓を少し開けて風を通しています(工事期間中は全戸の網戸を取り外されていますので、全開したくないのです)。

全国的には酷暑が続いていますね。お見舞い申し上げます。
北海道も猛暑だった年があり(それでも38℃なんてことはなかったけど)、バテバテになったときはほんとにつらかったものです。どうぞご自愛ください。

それにしても、体温と変わらない外気温の中に出ていくということは、何かしらの対策は絶対必要ですね。
室内で過ごすときもそう。
これは、冬に北国でコートや暖房が欠かせないのと同じことです。いや、暑さはそれ以上かもしれません。
寒い時は厚着、重ね着でしのぐことができますが、暑い時はどうしたって暑いですもんね。
冷房を上手に使って体の負担を減らしてくださいね。





EPAで豊かになれるかな

2018-07-19 09:22:54 | 雑感
昨日のトップニュース「日欧首脳EPAに署名 世界最大級の自由貿易圏」。
EPAとは、英語の ECONOMIC PARTNERSHIP AGREEMENT の略で、工業製品や食品の輸入にかかる関税を互いに撤廃・削減するほか、知的財産保護などの経済活動に必要な共通ルールを決める協定です。
これにより、貿易や投資を活発にする効果がある、と言われています。

むずかしいことはさておき、私が期待しちゃうのは「おいしいチーズやワインが欧州価格で楽しめるのかな」ということ☆
だって、あちらのスーパーに行ったらもうココロ踊っちゃうくらいなんですから♪

北海道も酪農王国と言われるくらいですから、おいしい乳製品はありますよ。でも、高いの^^;
地産地消というスローガンもありながら、やっぱりその土地の美味しいものは高く買ってくれる観光客のところや、経済成長著しい中国・東南アジアに行ってしまうでしょう。

食料品、とくに食材は安く手に入らなくては。
日々安心して食べられるような状況でなければ、政治の失敗ではないですか?
北海道の酪農家のみなさんもいいものを生産するよう、頑張っています。いいもの=クオリティの高いものに対する対価というものは必ずあります。それは納得できる。
でも、生きていく上で必要な食べ物は手に取りやすい価格で潤沢に店頭に並んでいてほしい。
日本のスーパーではモノが豊富にあるようで、ちょっとした天候不順、災害で野菜が品薄になり、高騰します。果物はいつも割高に感じます。
スーパーに行って野菜や果物が高かったり、新鮮なものがないと、どうも購買意欲が削がれるんですよね…。

チーズとワインから話が逸れてしまった!

チーズとならぶ乳製品はバターですが、バターもべらぼうに高いです。
これは数年前にテレビのニュースでも取り上げられていたけれど、仕組みのせいですね。

ロシアでは小麦粉、お米、パスタ類など、主食になるものは日本と比べ物にならないくらい安かったですよ。小麦粉は1㎏40円くらいで買えました。お米も800gで100円前後。

日本でも普通に暮らしていくことにお金がかかりすぎないような仕組みを作ってほしいものです。



日本では夏物セールが始まっていました・・

2018-07-18 09:14:46 | 暮らし
物が豊富にある国では、どこでも大量生産・大量消費が促されるようなしかけがいくつもありますね。
日本だけでなく、ロシアもそうでした。

〇〇%OFF とか 1+1=3(2つ買ったらもう一つは無料)など。
そうそう、2つ買ったら割引率がアップするというのもありました。

でも、ほんとに必要なければ「お荷物」になっちゃうから…。
スーツケースに入らなければ郵送料をかけて送らなければならないし、スーツケースに収まったとしても、重量オーバーなら超過料金を払わなければなりません。
他のもので代用する、ちょっとくらいならガマンして無しで済ます。

それでちょうどいいのです。
今のわたしにとってはそういうことを実行している人がスマートでかっこよく見えます。

ノボシビルスクにも流れている大河、オビ川。
あまりにも川幅が広く「オビ海(うみ)」と呼ばれているほどです。
ここでは、この川辺に砂を運び込んでビーチにしてしまいました^^;

そのビーチでひなたぼっこをしました。
その日は平日で人出もそれほどではなく、けれど天気がとてもよくて、リラックスできました。
ただ水平線と雲を見て、遊んでいる人を眺めてました。


ほんとに海みたいでしょう!

ロシアに行って自分の価値観が変わったことは確かです。
言葉が不自由なぶん、感覚が鋭くなっていたかもしれません。

美容室のマッサージがとっても気持ちよかった~

2018-07-13 09:25:00 | おしゃれ
前回は3月の末でしたので、3か月半ぶりに美容室に行ったのです。
インターネットのおかげで、つながる環境であれば世界のどこからでも予約可能☆帰国前に予約しておきました。なんて便利な世の中なのでしょう!

今回は長さはそろえるだけにして、前髪を短めにしてもらいました。
「ザクザクな感じでお願いします」と伝えて、美容師さんと少しずつ意思相通しながら、こんな感じ!というところまで行けました。ありがとうございます^^

久しぶりの美容室で、シャンプーやちょっとしたマッサージをしてもらうのはとっても気持ちが良かった♪

実はロシアでの約3か月間、ベッドが柔らかかったのが良くなかったのか、最後の方では腰を痛めてしまいました。自宅のベッドは、夫が腰痛もちなこともありマットなしの固いベッドなので、これまで腰痛とは無縁だったので、腰が痛くなるってこんな大変なことなのかと思い知らされました。今はちょっとハリが残る程度です。ようやく様子を見ながらストレッチをすることができるまでになりました。

そんなわけで、腰をかばってほかの筋肉もこわばっていたみたいです。
生活環境が変わるって、思いがけない不調につながることがあるので要注意なんですね。



朝起きるのがつらいです・・

2018-07-12 10:23:32 | 日記
ロシア、ノボシビルスクと日本の時差はー2時間でした。
そのくらいの違いならあまり影響はないかと思っていましたが、トンデモナイ!!
日本に帰ってきてから、毎朝起きるのがつらいです。とってもだるい。

思うに、緯度の差と気候の違いも大きいですね。
今、緯度の高い地域は白夜であるように、とても日が長い。サンクトペテルブルグは白夜で日付が変わる時間帯でも外はまだ薄明るいのです。
それより少し緯度の低いノボシビルスクでも11時近くまで明るくて、夜更かしは苦手な私もだんだん夜型になっていきました。
そして、気候の違いと気温の差。このところ、全国的に見て北海道は涼しいほうですが、ロシアの気候から比べると蒸し暑いですね。
ロシアでは気温は高いけど、カラッとしていましたから。
頭では「こんなものかな」と思うのですが、体の方はこたえているようです。

ゆるゆると家事をしながら、これまでの環境に慣れていこうか。

本格的に暑くなる前にマイペースを取り戻したいものです。

これからは復習をメインに

2018-07-11 11:47:24 | 勉強
ロシア語の勉強を始めて4年たちました。
それでも、実践においてはなめらかではありません。
これまでのレッスンの向き合い方を振り返ってみると、かんちがいな勉強方法をしていたなぁ~と思うのです。

私が日本語の授業をお手伝いしてきて感じたことは、ロシア人は予習をしない!ということです。
クラスの中でデキる人を見ていても、それは同じ。教科書に初めて出てくる単語や言い回しは「わかりません」と言います。
予習しているから正しくこたえられる。これは授業はスムーズに運びますが、ほんとのところは身につく勉強法ではないのです。
これまで私が習っていたロシア語レッスンではみんな、宿題に加えてその日進むであろう教科書の範囲を予習して臨んでいました。わからない単語を調べて、練習問題も済ませておく。そこに時間とエネルギーを費やすのが精いっぱいで復習まで手が回りませんでした。その結果、「この単語、見たことあるけど意味が分からない」というようなありさまになってしまうのです。

日本人は「わかりません」と言えないし、間違うのがコワイのです。
学校時代の勉強の仕方から脱皮しなくちゃ!!!
もう予習はしません。
復習をしっかり、じっくりやって身に着けていきます。

一期一会のくりかえし

2018-07-06 12:14:29 | 雑感
サラダ記念日にちなんで、のお題ですね。

私は記念日ずきではないのです。
だって、記念日は過去のものだから。
「その日」がどれだけ輝いていたかを思い出して眺めるのはちょっとさみしい。
これから先、どんな素敵なことがあるかわからないのに、過ぎたことを覚え続けるのはちょっと重荷になる。

高校生あたりから、仲良しの友達の誕生日とか、何かすごく楽しいことがあったりしたことをどれだけ正確に覚えているかが友情のバロメーターのようになっていました。
「よく覚えてるね!」というのは「覚えていてくれて、うれしい!ありがとう」と同義であったし、女性特有の共感することと同じくらい心地よい心理でした。

でも、だんだんそれが窮屈に思えてきて、そのうち私はそういう話題になって来たら静かに聞き役に回るようになっていきました。

記念日。読んで字のごとく、心に記される日はたくさんあります。

「その日」ではなくても、「そのとき」に感じた風の強さ、草花のそよぎ、お店の照明の感じ、街で流れるBGM…。なんでもが「そのとき」の感覚を呼び起こすきっかけになりうるのです。

だから覚える必要はない。

とてもとてもうれしかったこと、楽しかったこともいつかは記憶が薄れてしまうかもしれない。
でも、それでもいいや、と思う。

時間だの、時代だのに洗いざらしにされて、それでも忘れずに記憶されていることはなんだろう。
それが私の価値観なのかもしれません。