続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『与えられたとせよ:⑴落ちる水、⑵照明用ガス』

2017-07-11 06:48:40 | 美術ノート

 『与えられたとせよ:⑴落ちる水、⑵照明用ガス』(作品の扉から眺める景色)

 落ちる水(雨)の循環(三態)と照明用ガス(太陽)のエネルギーは、地球上生物の必須条件であり、人が生きる前提条件である。
 デュシャンは初めての日、人類の根源、DNAの起源を想定し、存在と叡智を問うている。
 隠しようのない欲求は、如何に目覚めたか。またそれを隠すべき本能と覚った原初の人智を追及している。
 覗き見た光景の裸婦の大股開きへの肯定と否定(欲求と嫌悪)は衝撃である。仰向けに恥部を曝した女は照明用ガス(燭台)を掲げている。女は生きて生命の灯をあたかも象徴のように掲げている、真昼の空の下で。
 遠景には緑豊かな森林が見えるのに彼女が横たわるのは枯れ草である。なぜ緑草ではないのか・・・枯草は(死)である、死の床にガス灯(希望)を掲げた意味は、《生と死》の連鎖・循環の永続の暗示ではないか。

《生命連鎖の原点を凝視せよ》これは一種の命令形である。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


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