角砂糖型の大理石に意味はあるだろうか、用途の不明な加工である。
ただ、白く小さい物の集合は重量感に乏しく、逆を言えば軽い印象を受けるのではないか。
しかし存外、想像以上に重いという意外性(イメージの裏切り)がある。
大理石自体は動かぬものというイメージがあるが、この小さな鳥かごの中では外部の力が加わることで簡単にその形態(配列)は崩れ、二度と同じ形態(景色)に戻ることはないという不可逆性がある。
鳥かごにしてはかなり小さな部類である(11.4×22×16センチ)、一時的な保護としての空間であり、生息は困難に違いない。しかもこの場合、目的を外した対象物の混合であり、意味を失っている。
鳥かごに必然性はあったろうか、呼吸をするもの(生物)のエリアという潜在意識(固定観念)を微かに醸し出していることは否めない。むしろ前提条件として必須だったかもしれない。
イカの甲はカゴから飛び出しており、自由な逃避を認める景色であるが、もちろんイカの甲・大理石・温度計などは生命を持たず、その意思が生じることはない。
鳥かごは開いている、しかし、その開放に準ずる意思の存在は皆無である。
生命(エネルギー)のない物体に温度計は無用である。
無用、矛盾の混濁をコンパクトに置換したこの『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』という作品は、存在の意義に対する無言の抵抗・反感である。
写真は(www.taschen.com)より