続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『急速な裸体に囲まれた王と女王』

2017-11-14 06:49:29 | 美術ノート

 『急速な裸体に囲まれた王と女王』

 確かに王と女王らしき…(曖昧ではあるが)…そして急速な裸体?は(これ)だろうか。と、タイトルを復唱しながら絵(表象)をなぞっていく。
 そうでもあるし、そうでもないが、そうなのだろう、あるいはそうなのだろうか?繰り返される反問。あたかもそれが実写ででもあるかのように描かれた絵(表象)にため息をつく。

 急速な裸体(そんな形容はないが)はどこに?王と女王は何をもって特定すればいいのか…手がかりを掴めない。
 鑑賞者は作品との距離(溝)を感じざるを得ない。《見えないものを見よ、しからば自ずと見えてくるだろう》と脅迫されるようなタイトルの明白さに、絵(表象)の不明瞭は結びつかず答えを見出せないのである。明らかに言葉(タイトル)は絵(表象)から剥離され、絵(表象)もまた言葉(タイトル)を受け付けない。
 まず肯定がある、しかし否定されるべき関係である。にもかかわらず肯定を否定しないという構図、仕組みに鑑賞者は精神的な不安を感じる。(わたくしの基準)に対する眩暈は観念の崩落である。

 言葉と物は必ずしも一致しないことの証明であり、言葉と物との関係は、つねに飛躍や誤解を招く急速流体なのかもしれない。


(写真は『DICHAMP』TASCHENより)



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