クリストファー・ノーラン監督、マシュー・マコノヒー主演、『インターステラー』、11/23、ユナイテッドシネマキャナルシティ13にてIMAXを鑑賞。2014年40本目。
三連休2日目の23日、初日に外灯のペンキ塗り(直し)という家の手伝いを済ませ、大手を振ってクリストファー・ノーラン監督の超大作『インターステラー』を観てきましたよ(家の手伝いをせず、遊んでばかりだとお袋にいい顔をされないので)。
『インターステラー』、ジャンルとしてはSFになるかと思います。
ただ、残念ながら純粋にSFとして評価するとなるとかなり厳しい点をつけなければいけないかな。いろいろ腑に落ちないことがありました。
舞台となるのはほとんどの作物が疫病によって育たなくなり、深刻な食糧不足が進んで人類が絶滅の危機に瀕している近未来。具体的に20XX年といった表記はされないものの、現在の自動車などが走っていることなどからそこまで遠い未来ではない様子です。
人類が絶滅の危機に瀕している以上は終末SFと言っていいと思うのですが、何て言うか、終末感がまったく出てないんですよねぇ。
例えばこの映画の世界では(食糧不足が深刻な故に)軍隊が解体されているようなんですよ。
食糧不足が深刻化するとなぜ軍隊が解体されるのかがよくわかりません。
フツーに考えて食糧が不足すれば人心が荒廃し、暴動が起こりやすくなり、軍隊はより必要になると思うんですけどね。ともかく人心が荒廃した感じはまったくしませんでしたね。
で、地球は滅びかけている、外宇宙の惑星に移住するしか人類が生き残る方法はない!みたいな展開になるのですが、人類が絶滅しかけている理由が作物が疫病によって育たなくなったからというのであれば、外宇宙の惑星に移住したって駄目なんじゃないですかね?だって地球で育たない作物が外宇宙の惑星で育つとも思えないですからね。
逆に外宇宙の惑星で育つぐらいなら、地球上で巨大なドーム状のプラント工場でも作って、その中で育てればいいんじゃないの?って思ってしまいましたよ。
ともかく、本作の物語としての出発点である「人類が滅びかけている」というお題目がまったく説得力がなかったですね。
まぁ「人類が滅びかけている」という出発点を受け入れるとしましょう。
何だかんだあってマシュー・マコノヒー扮する主人公クーパーが外宇宙に飛び出し、地球時間で20年以上の月日が経ちます。
え?20年?ほとんどの作物が育たない世界で20年も経ったら人類絶滅してるんじゃね?
しかしご安心くだされ、皆の衆、登場人物はそれ相応に年を重ねたようですが、幸い人類はまだまだ健在のようで、、、人類、しぶとすぎるだろ。笑。
どうもこの作品では「人類が滅びかけている」ことにツッコミを入れてはいけないようです。
しかし、本作のツッコミどころはそこだけじゃないのです。
中盤から若き天才科学者が登場してくるんですよ。彼なしではこの計画は実現しなかった、とヒロインに言わさせるほどの天才科学者なのですが、この天才くんの行動が恐ろしく自己中心的な上に超がつくほどの間抜けで、「おいおい、そりゃないだろ!」と言いたくなりましたよ(たぶん自分だけではないはず)。
ただ、一番のツッコミどころはそこじゃないんですよ。
物語のラスト、クーパーは年老いた娘のマーフィと再会を果たします(クーパー自身はウラシマ効果とやらで年を取っていない)。
(おそらくは死にかけている)マーフィはクーパーにこう言うんですよ。
「パパにはパパのことを待っている人がいるはずよ…」
その言葉に背中を押されるようにしてクーパーはヒロインが待っている星へ向かうために宇宙船を出発させるのです。
いやぁ、感動的なラストだなぁ、、、っておかしいよね?
確かにクーパーとヒロインの間にはいつの間にか恋愛感情が芽生えていたようなんだけど(いつ芽生えたかは定かではない)、なぜマーフィはそのことを知っているの?
愛ゆえの奇跡って奴でしょうか?
これが逆に「パパ、これからはずっとそばにいてね」と娘が懇願するのを、「すまない、パパのことを待っている人がいるんだ」と言ってクーパーが旅立つのであればまだわからないでもないんですけどね。
何だかいろいろダメ押ししちゃいました。
SFとしてはぶっちゃけ高い評価は出来ません。
しかし、視点を変えて、父親と娘の時空を超えた家族ドラマとしてみるとまた評価も変わります。
特に現実に小さな娘さんを子に持つお父さんが観たら、感涙必死なんじゃないですかねぇ。
感涙必至じゃなくて感涙必死ね。涙の流し過ぎで脱水症状を起こして死んじゃうかも。笑。
まぁ自分には幸い(?)そんな子供はいないんで涙の流し過ぎで死ぬことはなかったです。
お気に入り度は★★★、お薦め度は★★★☆は五つで満点、☆は★の半分)。
三連休2日目の23日、初日に外灯のペンキ塗り(直し)という家の手伝いを済ませ、大手を振ってクリストファー・ノーラン監督の超大作『インターステラー』を観てきましたよ(家の手伝いをせず、遊んでばかりだとお袋にいい顔をされないので)。
『インターステラー』、ジャンルとしてはSFになるかと思います。
ただ、残念ながら純粋にSFとして評価するとなるとかなり厳しい点をつけなければいけないかな。いろいろ腑に落ちないことがありました。
舞台となるのはほとんどの作物が疫病によって育たなくなり、深刻な食糧不足が進んで人類が絶滅の危機に瀕している近未来。具体的に20XX年といった表記はされないものの、現在の自動車などが走っていることなどからそこまで遠い未来ではない様子です。
人類が絶滅の危機に瀕している以上は終末SFと言っていいと思うのですが、何て言うか、終末感がまったく出てないんですよねぇ。
例えばこの映画の世界では(食糧不足が深刻な故に)軍隊が解体されているようなんですよ。
食糧不足が深刻化するとなぜ軍隊が解体されるのかがよくわかりません。
フツーに考えて食糧が不足すれば人心が荒廃し、暴動が起こりやすくなり、軍隊はより必要になると思うんですけどね。ともかく人心が荒廃した感じはまったくしませんでしたね。
で、地球は滅びかけている、外宇宙の惑星に移住するしか人類が生き残る方法はない!みたいな展開になるのですが、人類が絶滅しかけている理由が作物が疫病によって育たなくなったからというのであれば、外宇宙の惑星に移住したって駄目なんじゃないですかね?だって地球で育たない作物が外宇宙の惑星で育つとも思えないですからね。
逆に外宇宙の惑星で育つぐらいなら、地球上で巨大なドーム状のプラント工場でも作って、その中で育てればいいんじゃないの?って思ってしまいましたよ。
ともかく、本作の物語としての出発点である「人類が滅びかけている」というお題目がまったく説得力がなかったですね。
まぁ「人類が滅びかけている」という出発点を受け入れるとしましょう。
何だかんだあってマシュー・マコノヒー扮する主人公クーパーが外宇宙に飛び出し、地球時間で20年以上の月日が経ちます。
え?20年?ほとんどの作物が育たない世界で20年も経ったら人類絶滅してるんじゃね?
しかしご安心くだされ、皆の衆、登場人物はそれ相応に年を重ねたようですが、幸い人類はまだまだ健在のようで、、、人類、しぶとすぎるだろ。笑。
どうもこの作品では「人類が滅びかけている」ことにツッコミを入れてはいけないようです。
しかし、本作のツッコミどころはそこだけじゃないのです。
中盤から若き天才科学者が登場してくるんですよ。彼なしではこの計画は実現しなかった、とヒロインに言わさせるほどの天才科学者なのですが、この天才くんの行動が恐ろしく自己中心的な上に超がつくほどの間抜けで、「おいおい、そりゃないだろ!」と言いたくなりましたよ(たぶん自分だけではないはず)。
ただ、一番のツッコミどころはそこじゃないんですよ。
物語のラスト、クーパーは年老いた娘のマーフィと再会を果たします(クーパー自身はウラシマ効果とやらで年を取っていない)。
(おそらくは死にかけている)マーフィはクーパーにこう言うんですよ。
「パパにはパパのことを待っている人がいるはずよ…」
その言葉に背中を押されるようにしてクーパーはヒロインが待っている星へ向かうために宇宙船を出発させるのです。
いやぁ、感動的なラストだなぁ、、、っておかしいよね?
確かにクーパーとヒロインの間にはいつの間にか恋愛感情が芽生えていたようなんだけど(いつ芽生えたかは定かではない)、なぜマーフィはそのことを知っているの?
愛ゆえの奇跡って奴でしょうか?
これが逆に「パパ、これからはずっとそばにいてね」と娘が懇願するのを、「すまない、パパのことを待っている人がいるんだ」と言ってクーパーが旅立つのであればまだわからないでもないんですけどね。
何だかいろいろダメ押ししちゃいました。
SFとしてはぶっちゃけ高い評価は出来ません。
しかし、視点を変えて、父親と娘の時空を超えた家族ドラマとしてみるとまた評価も変わります。
特に現実に小さな娘さんを子に持つお父さんが観たら、感涙必死なんじゃないですかねぇ。
感涙必至じゃなくて感涙必死ね。涙の流し過ぎで脱水症状を起こして死んじゃうかも。笑。
まぁ自分には幸い(?)そんな子供はいないんで涙の流し過ぎで死ぬことはなかったです。
お気に入り度は★★★、お薦め度は★★★☆は五つで満点、☆は★の半分)。
『インターステラー』、楽しめたなら何よりです。
SFというより娘ラブの映画でしたね。
それはいいんだけど、最後には息子の存在が空気になっちゃって、せめて存命かどうかの確認ぐらいはしろよ!と思いました(たぶん死んでいるのだろうけれど)。