デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督、マイカ・モンロー主演、『イット・フォローズ』、TOHOシネマズ天神にて鑑賞。2016年4本目。
念願だった(というのは大袈裟だけど)『イット・フォローズ』をよーやく観てきましたよ。
前評判の高い作品だったのでそれなりに期待するものがあったのですが、正直そこまで面白い!というわけではなかったです。
セックスによって感染する呪い(イット)を描いたホラー映画です。
なので、まず考えたのが「セックスって何?」ってことでした。
セックスって何って、お前はセックスを知らんのか!と突っ込まれそうですが、いや、そういうことじゃなくて。
一口にセックスといったって様々じゃないですか。
例えば、同じセックスであっても、避妊具をつけるのとつけないのとではまるで意味合いが違うって思うんですよね。この両者を一括りにするのはあまりに乱暴すぎる。
そこらへんのことを映画ではどう描かれていたかというと当然のことながら完全にスルーでしたね。笑。
まぁ性教育の映画ではないから仕方ないか。
次に思ったのが呪いの設定がずいぶんと無理がある、もしくは(映画的に)都合が良すぎるってことですね。
①イットが襲う対象をセックスすることによって自分から相手に移すことが出来る。
②イットに追いつかれると殺される。
③イットの移動手段は徒歩。呪いだけに歩みがのろい(おぃ)。
④イットはその都度姿を変える。
ここらへんまではまぁ面白いかなと思うのですが…。
⑤イットの姿は感染した者にしか見えない。
この時点で「what?」ですよ。
映画を観ていない人には説明しづらいのですが、イットはその時点での対象者だけでなく、前対象者も姿が見えるのです。何だかずいぶん都合のいい設定だなぁと思いましたよ。
⑥対象者が死ぬと、イットが狙う対象は前対象者に戻る。
もうこれ。この設定は無理があります。
結局セックスすることによって呪いを誰かに押し付けたとしても、それはどこまでも一時しのぎでしかないんですよね。
しかもイットは歩みがのろいという欠点以外これといって欠点がないのです。倒しようがない。不死なのです。
そんな恐ろしい相手に狙われたら誰だって早晩殺されてしまうのではないでしょうか。
というか、ヒロインのジェイに呪いを押し付けたのはヒューというイケメンで、そのヒューに呪いを押し付けたのは行きずりの女らしいのですが、その女はどのようにしてイットから逃げ延びたんでしょうね?
心強い仲間のいるジェイですら、イットから逃れるのは容易ではなかったというのに。
そもそも、①から⑥のようなイットに関する情報は誰が調べたというんでしょう?追いつかれたら殺されるバケモノのことを。
結局この作品の最大の欠点はあまりに呪いが強力過ぎて、システムとして成り立たない、ということでしょうか。
またストーリーも微妙に不自然でした。
前述の通り、対象者が死ぬと前対象者が狙われるわけです。であれば、ジェイを感染させたヒューは、ジェイのことを守らなければならないはずです。だってジェイが死んで次に狙われるのは自分なのですから。
なのにジェイと別行動を取る、というのは自殺行為といってよいでしょう。
別行動を取るのがおかしいのは、ジェイが感染させたグレッグもそうですね。
二人が行動を共にしていればグレッグは死なずに済んだはずです。
ここら辺の不自然さはミステリー小説において、嵐の夜の山荘で殺人鬼が徘徊しているにも関わらず、登場人物が別々の部屋で過ごすのを想起させました。
ストーリー上の一番の不満は、クライマックスの室内プールにシーンですね。
ドライヤーやら、冷蔵庫やら、いくつも電化製品を用意しているのですから、当然イットを感電死(?)させると思うじゃないですか。そうならないんですよ。
予想を裏切るのはいいけど、期待を裏切るのはどうかと思います。
何やかやと文句を言ってしまいました。
この作品を高く評価することは出来ませんが、ただ、作り手の、これまでにない面白いホラー映画を作ってやるぜ、という気概だけはビンビンに伝わってきたので、そこは好感が持てました。
監督のデヴィッド・ロバート・ミッチェルにはより面白いホラー映画を期待したいです。
お気に入り度★★★☆、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)。
念願だった(というのは大袈裟だけど)『イット・フォローズ』をよーやく観てきましたよ。
前評判の高い作品だったのでそれなりに期待するものがあったのですが、正直そこまで面白い!というわけではなかったです。
セックスによって感染する呪い(イット)を描いたホラー映画です。
なので、まず考えたのが「セックスって何?」ってことでした。
セックスって何って、お前はセックスを知らんのか!と突っ込まれそうですが、いや、そういうことじゃなくて。
一口にセックスといったって様々じゃないですか。
例えば、同じセックスであっても、避妊具をつけるのとつけないのとではまるで意味合いが違うって思うんですよね。この両者を一括りにするのはあまりに乱暴すぎる。
そこらへんのことを映画ではどう描かれていたかというと当然のことながら完全にスルーでしたね。笑。
まぁ性教育の映画ではないから仕方ないか。
次に思ったのが呪いの設定がずいぶんと無理がある、もしくは(映画的に)都合が良すぎるってことですね。
①イットが襲う対象をセックスすることによって自分から相手に移すことが出来る。
②イットに追いつかれると殺される。
③イットの移動手段は徒歩。呪いだけに歩みがのろい(おぃ)。
④イットはその都度姿を変える。
ここらへんまではまぁ面白いかなと思うのですが…。
⑤イットの姿は感染した者にしか見えない。
この時点で「what?」ですよ。
映画を観ていない人には説明しづらいのですが、イットはその時点での対象者だけでなく、前対象者も姿が見えるのです。何だかずいぶん都合のいい設定だなぁと思いましたよ。
⑥対象者が死ぬと、イットが狙う対象は前対象者に戻る。
もうこれ。この設定は無理があります。
結局セックスすることによって呪いを誰かに押し付けたとしても、それはどこまでも一時しのぎでしかないんですよね。
しかもイットは歩みがのろいという欠点以外これといって欠点がないのです。倒しようがない。不死なのです。
そんな恐ろしい相手に狙われたら誰だって早晩殺されてしまうのではないでしょうか。
というか、ヒロインのジェイに呪いを押し付けたのはヒューというイケメンで、そのヒューに呪いを押し付けたのは行きずりの女らしいのですが、その女はどのようにしてイットから逃げ延びたんでしょうね?
心強い仲間のいるジェイですら、イットから逃れるのは容易ではなかったというのに。
そもそも、①から⑥のようなイットに関する情報は誰が調べたというんでしょう?追いつかれたら殺されるバケモノのことを。
結局この作品の最大の欠点はあまりに呪いが強力過ぎて、システムとして成り立たない、ということでしょうか。
またストーリーも微妙に不自然でした。
前述の通り、対象者が死ぬと前対象者が狙われるわけです。であれば、ジェイを感染させたヒューは、ジェイのことを守らなければならないはずです。だってジェイが死んで次に狙われるのは自分なのですから。
なのにジェイと別行動を取る、というのは自殺行為といってよいでしょう。
別行動を取るのがおかしいのは、ジェイが感染させたグレッグもそうですね。
二人が行動を共にしていればグレッグは死なずに済んだはずです。
ここら辺の不自然さはミステリー小説において、嵐の夜の山荘で殺人鬼が徘徊しているにも関わらず、登場人物が別々の部屋で過ごすのを想起させました。
ストーリー上の一番の不満は、クライマックスの室内プールにシーンですね。
ドライヤーやら、冷蔵庫やら、いくつも電化製品を用意しているのですから、当然イットを感電死(?)させると思うじゃないですか。そうならないんですよ。
予想を裏切るのはいいけど、期待を裏切るのはどうかと思います。
何やかやと文句を言ってしまいました。
この作品を高く評価することは出来ませんが、ただ、作り手の、これまでにない面白いホラー映画を作ってやるぜ、という気概だけはビンビンに伝わってきたので、そこは好感が持てました。
監督のデヴィッド・ロバート・ミッチェルにはより面白いホラー映画を期待したいです。
お気に入り度★★★☆、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)。
だって、自分が寝た女性が呪い殺されたら、すぐに次の女性と寝ちゃえば、自分は永遠に呪われないってことですよね。
つまり、節操のない人ほど安全なのかと。
でも、よく考えたら「逆」だってことに気がつきました。
汝、姦淫するなかれ。
キリストの教えを守り、貞操観念をしっかり持っていれば、呪いなんて関係ないですよ・・・ってことですよね。
さすが、蒼史さん、鋭い洞察ですね。
本作の解釈についてはアメリカ本国において様々な議論がなされているようです。
その一つに、「イットは性病のメタファーである」というものがあります。
なるほど、そう考えれば呪いが強力なことにも納得できるような気がします。
監督であり、脚本も書いたミッチェルは何といってるかというと特にメタファーは込めていないとのこと。
ただ、実際メタファーを込めていたとしても、一々それを解説するような野暮なことをするとは思えないので、性病のメタファーという解釈、さらには宗教的な観念があるかもしれないという蒼史さんの考えも正しいのかもしれませんね。