この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

『空のない街』/第八話

2017-06-28 22:14:15 | 空のない街
「いらっしゃい、よく来てくれたわ」
 ジョシュアを玄関先で出迎えたティルダは、彼に向かって煌くような笑顔を浮かべた。いつもの動きやすいカジュアルな服装ではなく、どこかの国の王女様のようにパーティドレスに身を固め、頭には王冠の代わりにティアラをちょこんと載せていた。
 本当に王女様みたいだとジョシュアは感想を抱いた。もしティルダとこれが初対面で、彼女のことをヨーロッパの小国のプリンセスだと紹介されたら、彼はそれを鵜呑みしていただろう。
「誕生日、おめでとう、ティルダ」
「ありがとう、ジョシュア」
 ティルダが手を取って、ジョシュアは初めてマクマーナン家の屋敷の中に足を踏み入れた。いつも彼はティルダを屋敷の前まで送るだけで、彼女がお茶に誘うのも丁重に断っていたので、屋敷の中がどうなっているか、まったく知らなかった。
 パーティ会場である応接間に一歩足を踏み入れたジョシュアはわあと感嘆した。パーティ会場はまるで年越しの夜のように派手に飾り付けられていた。中央のテーブルには美味しそうな料理やデザートが所狭しと皿に並べられ、部屋の隅には、おそらくはティルダへのものであろうプレゼントが山のように積んであった。
 そして驚いたことに四人ほどの楽団が賑やかに演奏をしていた。
 会場には本当にこれだけの人がたった一人の女の子の誕生日を祝うために来ているのだろうかとジョシュアが思うほどの客が、実際には三十人ぐらいだったが、いくつかグループを作って楽しそうに歓談していた。
 ジョシュアは急に恥ずかしくなった。ティルダの言葉を鵜呑みにして、プレゼントなど何も持ってこなかったし(もっともこのような誕生パーティに見合うプレゼントなど彼には思いつかなかったが)、このときの彼が身に付けているものといえば、一応タキシードと呼べるものだったが、無論それも彼のために誂えたものでなく、シスター・レイチェルが寄贈された品の中から仕立て直したものだった。シスター・レイチェルの裁縫の腕前は下手というわけではなかったが、それでも彼女は仕立屋というわけでもなかった。タキシードはジョシュアには大きすぎた。特に肩の辺りなどぶかぶかで、ひどく不格好だった。
「ごめんなさい、挨拶してこなければいけない人がいるの。お料理でも食べていて。すぐに戻ってくるわ」
 そう言ってティルダがジョシュアのそばを離れた。料理に手を伸ばす気にもなれず、ジョシュアは仕方なく楽団の舞台とは反対側の壁際に寄った。
 しばらくしてジョシュアは気づいた。彼の方をチラチラと見ている人間がいた。それは一人ではなかった。彼らはやがてあからさまに見遣るようになり、そしてジョシュアの方を指差して嘲笑めいた笑い声を上げた。
 そのグループの中の若者の一人がジョシュアの方に近づいてきて、やあ、と親しげに声を掛けてきた。
 ジョシュアは、こんばんわと挨拶を男に返した。それのどこがおかしかったのか、彼はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。
「僕の名前はリチャード・ターナー。こういったパーティは初めてだろう。どうだい、楽しんでいるかい」
「ええ、とっても」
 そう答えながら、ジョシュアは自分がターナーにどこかで会ったことがあるような気がした。
「君は、あれだろう、救護院の人間だろう。こういったパーティを楽しむコツは、肩肘張らず、気楽にやることだよ。そうそう、一つだけ覚えておいた方がいいマナーがある。教えてあげよう」
 ターナーは、ジョシュアの耳元でこう囁いた。
「ここは貧乏人が来るところじゃない。さっさと帰って次のバザーの準備でもしてきたらどうだ」
 ようやくジョシュアはターナーのことを思い出した。正確にはターナー個人というわけではなく、彼と同じ目付きのした人間を。それはバザーの寄贈品を各家に回収しに行った時、特に高級な品物を寄付してくれた家で見かけたものだった。
 ターナーは続けた。
「もう一つだけ言っておく。アティルディアのこと、勘違いするなよ。彼女はお前のことが別に好きってわけじゃない。ただ、物珍しくて、興味があるだけなんだ。それも今のうちだけだ、わかっているだろう」
 それだけのことを言うと、ターナーはジョシュアの肩をポンポンと軽く叩いて元いたグループの方に戻ろうとした。立ち去ろうとするターナーの肩をグッと引き寄せ、今度はジョシュアが彼の耳元で囁いた。
「そんなこと、お前に言われなくてもわかっている…。一つだけ僕も言っておく。お前を殺すことなんて、僕には簡単だってことだ。それを忘れるなよ…」
 自らの口を突いて出た狂暴な言葉に、ジョシュア自身が驚いていたが、もうどうしようもなかった。ターナーが彼を見る目付きが先ほどとはまるで変わって、怪物でも見るようなそれになった。
「どうしたの、ジョシュア、リチャード」
 その時ティルダがグラスを二つ持って戻ってきた。
「何でも無いんだ…。パーティで気をつけておいた方がいいマナーを教えてもらっていたんだ…」
 スラスラと嘘を並べ立てることに、ジョシュアはもう何の痛痒も感じなかった。
 ターナーの言っていることは半ば正しい。自分は彼女に相応しい人間ではない。自分の両手は血にまみれている。もう彼女に会うべきではない…。
「帰るよ」
 努めて素っ気なくジョシュアは言った。嘘をつくことに然して罪を感じることもないのに、なぜかその短い台詞を口にするのにひどく気力を要した。
「どうして?まだ来たばかりじゃない」
 グラスをテーブルに置いて、ティルダが彼の腕を掴んですがった。
「ごめん…。大事な用件を忘れていたんだ…」
 用件を具体的に何にするか考えたが、ジョシュアは結局何も思い浮かばなかった。
「お願い、あともう少しだけいて。十分でいいわ」
 ティルダの懇願にジョシュアは首を振った。
「ごめん、どうしても帰らなくちゃいけないんだ…」
 そう言って玄関の扉のノブにジョシュアが手を掛けたとき、扉が、彼の力には因らず、外から開いた。
「パパ!」
 三十台半ばに見える男がティルダの身を抱え上げた。
「ただいま、ティルダ」
「許さないんだから。一人娘の十三才の誕生パーティに遅れるなんて最低よ、パパ」
「すまない、ティルダ。急患が入ってしまってね。どうしても抜けられなかったんだ」
 拗ねている娘に平謝りする父親の姿は傍から見て微笑ましいものだった。二人だけの世界に浸っているようにも見えたが、ティルダはすぐそばにいるジョシュアのことを忘れているわけではなかった。彼女はジョシュアを父親に紹介した。
「パパ、彼は、ジョシュア・リーヴェよ。救護院のバザーでとても世話になったの」
「アルバート・マクマーナンだ。君のことは娘から何度も話を聞かされているよ。よろしく、ジョシュア」
 差し出された右手をじっと見つめながら、ジョシュアは自分でも知らぬ間に顔がほころんでいた。
 彫りの深い、鼻筋の通った顔立ち。瞳は水晶を思わせる淡いブルー。あの時と違って顎髭を蓄えているが、彼には見間違えようがない、一日たりと忘れたことのない顔だった。
 そして、何よりこの匂い。この消毒薬の、鼻につく独特な匂いが、あの時ジョシュアに、灰色のオーバーコートの男は医者ではないかと思わせたのだった。
 間違いない…。ああ、やっと見つけた…。
「はじめまして、ジョシュア・リーヴェといいます」
 少年は天使のような笑みを浮かべながら、長く追い続けていた男と握手を交わした。


                                *『空のない街』/第九話 に続く
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