梁石日原作、阪本順治監督、『闇の子供たち』、8/16、KBCシネマにて鑑賞。2008年36本目。
自分にとって映画はあくまで娯楽なので、鑑賞後気分が落ち込むであろう作品は、あまり好んで観るということがありません。
でもなぜか、年に一本か二本は義務感めいたものに突き動かされて、そういった作品を、具体的には『ホテル・ルワンダ』や『誰も知らない』などですが、観てしまうのです。
今年もまた『闇の子供たち』を観て、どよ~んと気分が落ち込んできましたよ。
非常に重たい映画でした。
まぁ重たいのも道理、題材として扱われているのがタイで実際に行われている(とされる)臓器売買と幼児売春なのですから。
しかし、そういった重たい内容の映画にも関わらず、主要なキャストが江口洋介や宮崎あおい、それに妻夫木聡といったメジャーな俳優で固められています。
社会派の作品は毎年少なからず公開されていますが、彼らのようなメジャーな俳優が出演している作品は今までなかったような気がします。
興行的には間違いなくこのキャスティングはプラスへと働くかと思われますが、演出的には若干マイナスに働いているように思えました(それについては後述)。
臓器売買といってもこの作品の中で行なわれるそれは我々が通常耳にするような脳死による臓器移植といった穏便なものではなく、心臓の生体間移植のことなんです。つまりは殺人行為に他なりません。さすがにこれは作品の中だけのフィクションではないかと思いますが、定かなことはわかりません。
フィクションであれ、ノンフィクションであれ、どうなのでしょう、もし愛する我が子の命が残り半年しかなくて、他人の子供を犠牲にすれば我が子が生き延びられるかもしれないというとき、一人の親として、どのような行動を取るのでしょうか?その行動は一人の人間としてのそれと同じなのでしょうか。
映画『闇の子供たち』は私たちに様々な問いかけをしてきます。
この作品の中で幼児性愛者は嫌悪すべき怪物として描かれています。
幼児性愛者=怪物という図は非常にわかりやすいのですが、作品は最後の最後に怪物はあなたのそばにもいるかもしれませんよ、もしかしたらあなた自身なのかもしれませんよ、という形で幕を閉じます。
この結末自体は秀逸だと思いましたが、その演出が正直手ぬるいと感じました。
(ここから先ネタバレ)
他ならぬ主人公の南部自身が幼児性愛者だった、というのが物語のオチなのですが、それが最初にわかるのが彼の、少年の手を引っ張って闇の中に消えていくという回想シーンなんですよね。
これだけだと南部がなぜ自ら死を選んだか、正直理由が弱い。
自分が監督であれば、同じ回想シーンであっても、例えば性行為の最中少年が変死してしまった、そして南部はそのホテルから逃げ出した、というふうによりショッキングなものにしていたと思います。
単に幼児性愛者だったという過去があるだけなら、南部の贖罪は充分だったのではないか、と自分は思うからです。
というか、少年がその後どうなったのかがはっきりしないと、物語として落ち着かないんですよね。少年はその後別の場所で幸せに暮らしました、ではそもそも南部が贖罪する必要すらないんだし。
南部と少年の性行為のシーンがないのは、南部を演じる俳優が江口洋介だったからなのではないか、と邪推してしまいます。
こういった作品に出演すること自体英断だとは思うのですが、であればもう一歩踏み出して、鬼畜の役を演じて欲しかったです。
映画『闇の子供たち』は決して観て楽しい、というような作品ではありません。努々宮崎あおいや妻夫木聡を目的に観に行ってはいけません。
しかし私たちが普段目にすることがない、社会の闇、心の闇を知るためのよい切っ掛けになると思います(あくまで切っ掛け)。
お気に入り度は★★★☆、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)といったところです。
自分にとって映画はあくまで娯楽なので、鑑賞後気分が落ち込むであろう作品は、あまり好んで観るということがありません。
でもなぜか、年に一本か二本は義務感めいたものに突き動かされて、そういった作品を、具体的には『ホテル・ルワンダ』や『誰も知らない』などですが、観てしまうのです。
今年もまた『闇の子供たち』を観て、どよ~んと気分が落ち込んできましたよ。
非常に重たい映画でした。
まぁ重たいのも道理、題材として扱われているのがタイで実際に行われている(とされる)臓器売買と幼児売春なのですから。
しかし、そういった重たい内容の映画にも関わらず、主要なキャストが江口洋介や宮崎あおい、それに妻夫木聡といったメジャーな俳優で固められています。
社会派の作品は毎年少なからず公開されていますが、彼らのようなメジャーな俳優が出演している作品は今までなかったような気がします。
興行的には間違いなくこのキャスティングはプラスへと働くかと思われますが、演出的には若干マイナスに働いているように思えました(それについては後述)。
臓器売買といってもこの作品の中で行なわれるそれは我々が通常耳にするような脳死による臓器移植といった穏便なものではなく、心臓の生体間移植のことなんです。つまりは殺人行為に他なりません。さすがにこれは作品の中だけのフィクションではないかと思いますが、定かなことはわかりません。
フィクションであれ、ノンフィクションであれ、どうなのでしょう、もし愛する我が子の命が残り半年しかなくて、他人の子供を犠牲にすれば我が子が生き延びられるかもしれないというとき、一人の親として、どのような行動を取るのでしょうか?その行動は一人の人間としてのそれと同じなのでしょうか。
映画『闇の子供たち』は私たちに様々な問いかけをしてきます。
この作品の中で幼児性愛者は嫌悪すべき怪物として描かれています。
幼児性愛者=怪物という図は非常にわかりやすいのですが、作品は最後の最後に怪物はあなたのそばにもいるかもしれませんよ、もしかしたらあなた自身なのかもしれませんよ、という形で幕を閉じます。
この結末自体は秀逸だと思いましたが、その演出が正直手ぬるいと感じました。
(ここから先ネタバレ)
他ならぬ主人公の南部自身が幼児性愛者だった、というのが物語のオチなのですが、それが最初にわかるのが彼の、少年の手を引っ張って闇の中に消えていくという回想シーンなんですよね。
これだけだと南部がなぜ自ら死を選んだか、正直理由が弱い。
自分が監督であれば、同じ回想シーンであっても、例えば性行為の最中少年が変死してしまった、そして南部はそのホテルから逃げ出した、というふうによりショッキングなものにしていたと思います。
単に幼児性愛者だったという過去があるだけなら、南部の贖罪は充分だったのではないか、と自分は思うからです。
というか、少年がその後どうなったのかがはっきりしないと、物語として落ち着かないんですよね。少年はその後別の場所で幸せに暮らしました、ではそもそも南部が贖罪する必要すらないんだし。
南部と少年の性行為のシーンがないのは、南部を演じる俳優が江口洋介だったからなのではないか、と邪推してしまいます。
こういった作品に出演すること自体英断だとは思うのですが、であればもう一歩踏み出して、鬼畜の役を演じて欲しかったです。
映画『闇の子供たち』は決して観て楽しい、というような作品ではありません。努々宮崎あおいや妻夫木聡を目的に観に行ってはいけません。
しかし私たちが普段目にすることがない、社会の闇、心の闇を知るためのよい切っ掛けになると思います(あくまで切っ掛け)。
お気に入り度は★★★☆、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)といったところです。
この作品を取っ掛かりにして、地獄がすぐそこにあることを理解しろってことですよね。
日本人は、こういった闇に目を背けすぎている気がします。もっと目を見開いて現実を見なくちゃ。
見開いている俺は、この作品は絶対見ません。
デヴォンさんにお薦めするような作品ではないですねぇ。
じゃあ誰に薦められるかというと、それもパッとは思いつかないんですが。