この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

アルフレッドはブルース・ウェインの夢を見るか?

2012-10-12 22:37:28 | 新作映画
 映画『ダークナイト・ライジング』を観たとき、そのヴィジュアルには圧倒されたが、正直脚本の破綻ぶりには感心しなかった。
 一言で言えば、ヴィラン(敵役)であるベイン、引いては黒幕が何をしたいのかがさっぱりわからないのだ。
 脚本がどう破綻しているか、具体的に知りたいという方は、映画評論家である町山智浩氏のネタバレツイートを読まれてみるといい。概ね賛同できる内容である。

 ここでは映画のラストについてのみ言及する。
 つまり、ブルース・ウェインは生きていたのか否か、言い換えればアルフレッドはブルース・ウェインの夢を見たか否かについて持論を述べていきたい。
 ただし、映画を観たのはただ一度、それも二ヶ月以上前のことであるから、当然曖昧になっている箇所、また事実の誤認も充分あり得る。そういったものに関してはご容赦願いたく、また訂正していただけると非常にありがたく思う。

 まず結論から述べる。
 ブルース・ウェインは核爆発に巻き込まれて死んだ。(ラストで)アルフレッドが見たブルースは幻だった。
 これが自分の考えであり、この考えが揺らぐことはない。

 ただし、自分の考えと違うものを糾弾したり、ましてや軽蔑したりすることはない。
 特に本作においては「ブルース・ウェインは生きていた」と考えることは後述するような理由で充分アリだと思う。


 さて、「ブルースが生きていた」派の根拠は以下のようなものである。
①ザ・バットには自動操縦装置がついていた(正確にはブルース自身がその機能をザ・バットに追加していた)。
②ブルースの母親の形見であるネックレスをラストシーンでセリーナが身に着けていた。
③個人情報抹消プログラムをセリーナが入手していた。
④ラストシーンでアルフレッドと目が合う。
 他にもあるかもしれないが、とりあえずこんなものだろう。
 なるほど、確かにどれも「ブルースが生きていた」ことを「匂わせる」ものではある。
 が、言わせてもらうとあくまで匂わせるだけであって、どれも「生きていた」と「断定できる」ものではない。
 
 以下反論に移る。

 まず、自分が「ブルースが死んだ」と考える理由は彼の性格による。
 彼は、ゴッサムシティの人々を救うためであれば、自らの命を惜しむような人間ではなかった、と自分は考える。
 いや、彼は奈落で死生観が変わった、生きることに積極的になったと主張する人がいるかもしれないが、生きることに積極的になったことと、自らの命を惜しむような人間ではないことは、決して相矛盾するものではない。
 このことは次の理由にも関係する。

 二つ目、(核融合炉を牽引した)ザ・バットからの具体的な脱出方法がない。
 何を言ってるんだ、ザ・バットには自動操縦装置がついていたんだから、脱出できたに決まってるだろう、そう言われる方がいるかもしれないが、それは違う。
 自動操縦装置はあくまで自動操縦装置であって、脱出装置そのものではない。脱出の際、自動操縦装置が使われたかもしれないが、ブルースが脱出できたのだとしたら、より具体的な脱出方法が示されるべきである。
 ではそれについて考えてみる。

①ザ・バットを砂浜などにいったん着陸させ、そこでブルースが機外に脱出、その後自動操縦装置によってザ・バットをゴッサムシティ沖へ誘導、そこで核爆発させる。
 唯一可能性があるとすればこの方法だろう。
 だがこの方法は彼の性格によって否定される。
 一刻一秒が惜しいあの状況下において、ブルースがこのような悠長なやり方を選択するとは思えない。
 おそらく、ブルースが生きていたと考える人たちも彼がこのやり方を選択したとは考えないであろう。

②ザ・バットには通常の戦闘機に見られるような緊急脱出装置がついていた。それを作動させてブルースは脱出、あとはザ・バットをゴッサムシティ沖に誘導し、そこで核爆発させる。
 一見可能性があるように見えて、これはない。
 緊急脱出装置はあくまで緊急時、つまり数秒後にも機体が爆発するような状況下で使われるものである。当然パイロットを少しでも遠くにパイロットを脱出させなければならない。
 脱出させる際に生じる衝撃は大砲をぶっ放したときのようなものである。
 コクピットで大砲をぶっ放して、機体が安定した飛行を続けられるわけがない。当然パイロット脱出直後に機体は落下するだろう。
 ブルースの場合でいえば、脱出後、ザ・バットは落下、核爆発が起こり、彼はそれに巻き込まれて死亡、助からない。

③ザ・バットからブルースが飛び降りる。
 省略するが、これも考えられない。

 どれほどブルース生存を匂わせる証拠があったとしても、具体的な脱出方法がない、挙げられないのであれば、彼は死んだと考えるのが自然である。

 三つ目、たぶんこれが決定的といってもいいが、ブルースはタリアによってナイフで刺されている。
 どこを刺されたのか、どれぐらい深く刺されたかが気になるという人は後日DVDで確認されたらよい。
 間違いなく言えることはタリアによって刺された傷は決して浅手ではなかったということである。
 何を言ってる、刺された後もブルースは平然としていたじゃないか、という人もいるかもしれない。
 しかしあれほどの傷を負って、しかも何の手当てもせず、血止めすらせず、まったくダメージを受けなかったと考えるのは不自然である。
 彼はまるで何事もないようなフリをしていたが、実際は(作中描写はされずとも)バットスーツの下は血塗れで、出血多量により意識朦朧とした状態でザ・バットを操縦していた、つまり瀕死の状態であった、そう考えられる。

 人々の命を救うためであれば自らの命は惜しまない男が、一刻を争う状況下において、瀕死の状態で飛行機を操縦し、その脱出方法も思い浮かばないというのであれば、そこから導かれる答えは一つしかない。
 
 
 考察をアルフレッドの見た幻についてに移す。
 アルフレッドはなぜブルース・ウェインの幻を見たのか。
 それは言うまでもなく、ブルースの死の責任の一端が自分自身にあると彼が考えていたからに他ならない。
 わかりやすく言えば、アルフレッドはブルースの死を受け入れられなかったのであり、ブルースの幻を見ることで彼の死を回避したのだ。
 幻を見ることで親しい者の死を回避するということは現実の世界でも往々にしてあり得ることである。
 その相手が親しければ親しいほど、人はその死を受け入れられない。

 ちょっと待て、じゃあなぜアルフレッドはブルースと一緒にセリーナの姿も見たのだ、それが何よりブルースが生きてる証拠じゃないか、という人もいるかもしれない。
 しかし、セリーナが一緒にいたからといってブルースが生きていたことにはならない。
 が、その前に認識を改めてもらわなければならない。
 ブルースと一緒にいた女性は、一見セリーナのように見えるが、100パーセント間違いなくセリーナであると断言出来る者はどこにもいないはずである。そのような角度では映されていなかったから。
 ここで重要なのはセリーナのように見えたということではなく、レイチェルではなかったということだ。
 なぜならレイチェルの死はアルフレッドの中で確定した事象であるから。

 ラストシーンでのアルフレッドとブルースの邂逅は、アルフレッドがこうあって欲しいとイメージしたブルースの具現化である。
 不敵な笑みを浮かべ、女性を周りにはべらし、余裕綽々のブルース。
 幻であるのは疑いようがない。
 なぜなら、もし万が一、奇跡的にブルースがザ・バットから脱出しえたのだとしても、深手を負っていた彼がアルフレッドと再会するのは病院のベッドの上であるはずだからだ。
 ラストシーンのブルースには一切悲壮さが感じられない。
 そして傷一つ負っている様子もない。


 なぜ多くの人がブルースは生き延びたと思ったのか?
 その理由は明白である。
 アルフレッドと同じで、ブルース・ウェインが死んだという事実を受け入れられなかったからだ。
 だから、アルフレッドの見た夢を見て、ブルースの死を回避したのである。
 これはつまりブルース・ウェインというキャラクターがどれほど多くの人に愛されていたかを示す証拠に他ならない。
 愛は奇跡を起こす。
 ブルース・ウェインは永遠に生き続けるのかもしれない。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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何故いまさら? (みさこ)
2012-10-13 22:51:27
せぷさんが何故いまさらこんなことを書くのかよくわからないんですが…?

つまりは自分が正しいということをしつこくネチネチ書いてるだけなような気がします。

映画は色んな楽しみ方があるし、受け取り方も色々だけど、この書き方はなんだか気分が悪いです。
反対派に優しく喧嘩売ってるみたいです。
返信する
喧嘩を売ってる? (せぷ)
2012-10-13 23:52:59
喧嘩を売ってるわけではありません。
拙ブログの『ダークナイト・ライジング』の記事に「生きていた」派の人からのコメントが絶えず、それにレスをつけるのが面倒になったから記事にしたまでです。
長文のレスをつけるのも、記事を書くのも手間は一緒なので。
http://blog.goo.ne.jp/sepurainnole/e/807b2da2d6ff75acd777ded1276fe07f
それともレスをつけるのはOKだが、同じ内容の記事を書くのは喧嘩を売ってることになっちゃうのでしょうか?
返信する

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