この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

嘘についての考察。

2021-04-01 20:29:44 | 戯言
 今日はエイプリルフールですね!
 毎年エイプリルフールはみんなが楽しくなるような嘘をついていたのですが、今年はちょっとネタ切れなので、代わりに嘘について考察をしてみたいと思います。

 よく嘘をつくのはいけないことだって言いますよね。
 それって本当なんでしょうか?
 何を言っている、嘘をつくのはよくないことに決まっている、そう仰る方もいるかもしれませんが、自分はそうは思いません。
 嘘をつくのは必ずしも悪いことではない、時と場合による、そう考えています。

 例えば、癌で入院している叔父のお見舞いに行って、叔父の顔色が明日にも死んじゃうのではないか、と思うほど悪かったとします。
 その時、「叔父さん、明日にも死んじゃうんじゃないかってぐらい顔色が悪いですね」って思ったことを正直に言いますか?
 言わないですよね。
 例え思ったとしても口に出してはこう言うはずです。
 叔父さん、思っていたよりも顔色がよくて安心しました、というふうに。
 今のは極端な例ですが、人生、嘘をついた方がよい、もしくは嘘をつかなければいけない場面にちょくちょく出くわすものです。

 嘘をつくのはいけないことだ、という信仰にも似た考えの功罪の一つにそこから派生した、「本当のことであれば何を言ってもよい」という考えがあります。
 顔に火傷の跡が残る少女に「火傷の跡が目立ちますね」と言ってよいのか?
 生まれつき足に障害のある子供に「歩き方が変ですね」と言ってよいのか?
 答えは明白だと思うのですが、言っちゃう人は言っちゃうんですよね。
 「だって本当のことなんだから」とさえ言えば、それが免罪符になるとでも思っているかのように。

 自分は基準を嘘かどうかではなく、相手を傷つけるかどうかにすべきだと思っています。
 相手を傷つける恐れがないのであれば、いくら嘘をついても構わない、そう思います。

 とはいえ、それもまた難しい話なんですけどね。
 自分に関して言えば、これまで生きてきて一番傷ついた言葉は、子どもの頃、親戚の集まりで言われた「お父さんにそっくりね」という叔母の言葉でした。
 叔母も別に傷つけようと思っていったわけではないことはわかっています。
 でも言われるたびに首をくくって死にたくなったものでした。
 その言葉とどうにか折り合いをつけられるようになったのは父の死後のことです。

 このように、どんな言葉が相手を傷つけるのかというのは非常に判断が難しいです。
 だからといって、単純に嘘をつくのはいけないことだ、というふうにしてしまうのは間違っている、と思うのです。
 「嘘も方便」ではないですが、嘘によって救われることも多々ありますからね。
 まぁ自己保身のためにつく嘘は大概相手のことを傷つけるので、そういった意味では「嘘をつくのはいけない」というのはあながち間違ってはいないのですが…。
 やっぱりなかなか難しいですね。

 ちなみにエイプリルフールは毎年みんなが楽しくなるような嘘をついている、というのは嘘です。
 嘘をついてゴメンなさい。
コメント
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