民謡 2006.8月~総集編民謡ブログ

吉岡 都の民謡Weblog 「民謡は心のふるさとです。」

民謡 吉岡都

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<お知らせ>

商店会寺子屋「茨木童子」10月7日(木) NHK総合テレビ「ニューステラス関西」(18時10分から) をご覧くださいね。ニュースにdaughterと私登場します。同日、読売新聞より同内容で取材されました。「10月25日放送 4:30 - 5:00 NHK総合 「NHKニュースおはよう日本」 (特集) 後継者不足などから商店街に増えてきた空き店舗を現代版の寺子屋にし、街全体を活性化させようという取り組みを、大阪府茨木市の商店街が行っている。1時間500円で、算数や国語の指導をしているという。」 ttp://datazoo.jp/w/%E5%90%89%E5%B2%A1%E9%83%BD/4565767  

越中民謡

2015-10-19 | 民謡ライブラリー
 
民謡とは、四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り唄い続けて、我々と共に歩むものである。

 庶民がはぐくんできた各地の民謡は、言うまでもなく、貴重な 文化遺産です。



中教院前

 

一般の人からみて民謡(会)というのは「敷居が高い」「古めかしい因習にとらわれている」お月謝、着物、和楽器が高額で続きそうもないといったイメージを持っている方は少なくないと思われます(むろん、何かしら始めたり運営するにあたり資金力は不可欠ではあります)。私たちは幼少の頃より民謡三味線踊りをやらせていただいて、(大人になり胡弓を習わせていただき)記憶にない時分から民謡の会に在籍しており (補足:私たちが在籍していた会は月謝は無料。舞台用の着物や帯代もすべて先生が負担され、ありがたいです)当事者ではあるにも関わらずその私たちでさえも、民謡会の独特のシステム(名取・師範(一般の人からそれ何なの?くらいの反応ですが)に至るまでの高額な費用や民謡コンクール、チケットのノルマやら 会派や流派の対立・・あれやこれやら)には隔世の感を禁じ得ないですね(補足・都会の民謡会です)ゆえに門外漢、そして市井の認識として「民謡会の常識は非常識」といった扱いで見られたりするのもやむを得ない、むしろ民謡を楽しみたいと願う人と運営・経営陣の間には温度差が生じてます。尚々、浮世離れした感覚の持ち主と人格までもが否定され、ややもすれと、芸事する者は道楽ものといった偏見や扱いを受けていることは紛れもない事実です。

・・・・・その時代(昭和40~50年代)、ただの小学生、中学生が民謡のステージで月15万円位を稼いでいた(表現に語弊がありますが)のは異常だと思います現にその後、世間とのギャップを痛感しました。

私たちが見てきた富山の民謡界は民謡を生業とされる先生が民謡会を運営されるケースは稀で、本業をお持ちの先生が民謡会を発足し運営されていたケー スが圧倒的多数でした。民謡が盛んな県、民謡の宝庫の富山でありながら本業を優先していた理由は定かではありませんが働き者、壮健堅固質実剛健な気質と評される県民性が強く作用しているのではないのでしょうか。ちなみに、現在までもが芸事は道楽と揶揄されている状況であります。1970年代後半に遡って・・・私たちが 子どもだった時分は、民謡やっている事実を母方の(伯父・伯母・叔父・叔母)母方の祖父母は保守的な思考で、県民性も風動し民謡をやっていることを隠匿させられ傍や教育レベルで伏せられていたような時代背景でした。

さて、民謡が現代の音楽シーンにあまり取り上げられず、あまつさえマイナーな音楽の存在感さえもただよう昨今の日本民謡(会・界)について。(上談は民謡会について僅少な具体例を述べただけですが)一時の「民謡ブーム」 (昭和50年代前半~中盤)が記憶している方が少ないとの想定の上で、この民謡ブーム時代に今日の民謡界の飛躍のポイントがあるのではないかと (・・結果論ですが)。当時の商業の変遷の波に流されないで、民謡界全般に於き普及のチャンスを逃した感が拭えませんね。加えて、誤解を恐れずに申すと「演歌」にすり寄らないで、民謡独自路線を貫いて欲しかったですね・・・。伝統を守りつつなおかつ柔軟な対応が民謡界の隅々端々まで行き届いてなかったのではなかろうかと推察します。

民謡、三味線を習い方には、お月謝、楽器の価格、

芸の質を落とさないで、リーズナブルな費用に設定すれば

将来の民謡界の新しい展望が見えてくるのではないかと推考します。

 

最後に、民謡を再開した理由。

わが子が誕生し様々なことが身近で起こり、 「民謡は楽しいよ。」というシンプルな動機からであります。

 

 

~話題が移りますが、

東京住み込み時代にドラマの中で民謡(といちんさ=五箇山の民謡)を唄ったり、津軽民謡の手踊りなどでちょこっと出させていただいておりまして

そのドラマ(山田太一さん脚本)のなかで、当時の民謡酒場の様子が見事に再現されております。

新宿 京王プラザホテル

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懐かしく感慨深い、民謡界の良い時代です。都内の有名な(たぶん?)スタジオで撮影(収録)されました。

当時、同じく修行していた皆さん、今やプロの唄い手や津軽三味線奏者、鳴り物奏者になられています。

ワタシだけ凡人 & 小市民、フツーのおおさかのオバちゃんママ  

2008年11月8日からアルコール類は一切飲んでいませんよ~。もちろんビールも。最後の日でした。今年は・・・!?


NTVのドラマ 日本テレビ ドラマのサイトにジャンプします。

  このドラマのDVD化を願い記事にしました。






 新川古代神 (滑川)

  メルボルンで。 海外派遣  せり込み蝶六」 黒部

 
 

  

名取式

 


  おわら風の盆

 


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 五箇山の民謡「こきりこ節」  日本最古の民謡

 

長者の山」 秋田県民謡


 「北海盆唄」

 



  「新川古代神」

  五箇山民謡 「麦屋節」

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/67/135c3b5cef46dc384f107b8163aa5bdb.jpg

 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

布施谷節 ふせんたんぶし   富山県魚津市の民謡 民謡ライブラリー

<上句> いつか春風 里より吹けば

<下句> 山の虚無僧が 腰あげてよ

<送唄> めでためでたの 布施谷節を

       吹けば田植えが 近くなる





 

下記 「おわら」を愛した(私たち子ども時代(・・・赤ちゃんの時分から生え抜きの弟子)の先生記事です。

商売もさることながら、「民謡」と「野球」という趣味がさらに人脈を広げた。三味線を独学で学び、おわらを愛し名伯楽でもあり全国に通ずる弟子を何人も育 てた。かたや野球は、自分のチームを二つも持ち、大の巨人ファンで王選手の後援会の副会長も務めた。今でも元巨人軍で富山に来ると必ずこのお店に寄るとい う選手も少なくない。


「笑顔が基本形」という顔がある。笑いじわが深く刻まれていて、人生の大方の時間をこの笑顔で過ごし、この笑顔で乗り切っていらしただろうと思える顔。
「新とんかつ」の女主人、室田喜代子さん(八十五歳)の顔はそういう顔だ。スケートリンクで賑わう総曲輪グランドプラザ。傍らの並びにある店内で、一段落した時間にお話を伺う。
背筋はピンと伸び、きれいな銀色の御髪、そして笑顔。ありきたりだが、どうしてそんなにお若いんですか、の質問に「なじみの男性のお客さんにはこういうがです、『あなたのようにすてきな男性のお顔を見るだけで電気が頭のてっぺんからつま先まで走るんですよ』いうてね」と笑いながらエネルギッシュな答えが。店の創業者、室田清作さん(故人)・喜代子さんご夫婦には結婚からドラマがあった。喜代子さんはます寿司の老舗「千歳」のお嬢さんだったが、青年団活動で清作さんと知り合い、伴侶をこの人と決める。

「戦後すぐでしょう。お金持っとる人も 無い人もみんな一線に並んでのスタート、一緒になるなら、やる気のある人でないとダメだと思いましたね」経済的に豊かでなかった清作さんを、相手として認めないお父さんを押し切り結婚。総曲輪の神田横丁にお店を開いたのがその翌年の昭和二十四年。店の名前は「ニューとんかつ」。(古くからの馴染みのお客さ んは今の「新とんかつ」の新を今でも「ニュー」と読む)最初の頃は大変でしたよ。でも、なんと言っても昔の総曲輪は勢いがありました。人で溢れてました。開店して間もない頃ですが、女将さん連中の新年会が海老亭でありました。黒紋付きを着た黒川さんやフクロヤさんやら女将さん方がずらっと並んだ座敷は迫力がありましたよ。お酒を注ぎに行ったら金物店の奥さん に『あんた、どこのお店け』と聞かれおずおずと『神田横丁で小さなとんかつ屋をやっております』と返事をしました。『そんなお店あったけ』と言われ、ます ます小さくなりましたが、その後に『がんばられ!と励まされました。神田横丁は『出世横丁』とも呼ばれていました。主人も私もそりゃあがんばりましたよ、そのうち、お客さんがだんだん応援してくださるようになって」
清作さんは世話好きで親分肌。商売もさることながら、「民謡」と「野球」という趣味がさらに人脈を広げた。三味線を独学で学び、おわらを愛し、名伯楽でも あり全国に通ずる弟子を何人も育てたかたや野球は、自分のチームを二つも持ち、大の巨人ファンで王選手の後援会副会長も務めた。今でも元巨人軍で富山 に来ると必ずこのお店に寄るという選手も少なくない。
しかし清作さんは働き盛りの五十七歳でガンで他界。そのあとを富商の野球監督も務めた息子さんの進さん(六十歳)が引き継がれ、店の味を守りながら今に至る。

とんかつを食べるなら、新とんかつに決めています。 子供のころ西町へ行った帰りは新とんかつで夕飯が決まりでした
こんな書き込みがネットの食べ物ブログにあった。幼い頃の家族団らんの思い出と結びついている、新とんかつはまさにそんなお店のひとつ。
しかし昔を守るだけでは今の時代を生き残れない。新とんかつはシンプルで素材を味わうメニューが多い。専門店だからこそ素材にこだわり、自信があればこそのシンプルさだ。また、総曲輪店は十七代続いた古民家を移築したもので、壁には絵やタペストリーが。椅子やテーブルなど素人目にもいいものだということが わかる。食べるだけでなく、「時を過ごす場所」として意識された作りになっている。
店の伝統を守り、「今」そして「未来」につながる「町の食堂」として時代に合った店作りには、初代清作さん夫婦の意気込みが今も息づいている。

出典 (税光詩子(氏))



ブログ記事 越中八尾「風の盆 にも記述。


 

 

 卒業式 あの頃チャンネル(2011年03月13日~2011年03月19日

 

 

 

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卒業式では、大地讃頌を合唱しました。

 

「卒業式」  

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/49/7c3b0ab2e936d9ef29792b3c04b85a5d.jpg

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中学のとき聖子ちゃんカットが大流行(ワタシわかりますか~?最下段では後列左端)。

 

 

日本は梅の開花の時期に卒業式、桜の頃は入学式があるので感慨ひとしおですね。

e.g.外国の慣例, 学校のセレモニーが8月9月または10月だと異なる感情が沸くのかも。

 

 

 

 

 寺子屋の先生と娘、東日本大震災の募金を。

 

 

卒業式に、遠方に転勤される先生から娘にへと手紙が届きました。

  Rちゃんは人を元気づけたり、楽しませたりする魅力をもっている。

  少なくともX先生Y先生やZ責任者、生徒の皆もそう思ってると思う。

  本当にありがとう。 Rちゃん。

ありがたいですね。感謝の念でいっぱいです。

ありがとうございました。

 

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 大地讃頌

  

  

このようなシチュエーションでは感極まって普段どおりにピアノの演奏ができなくなるものなんですね。

私も合唱のピアノやっていまして。本番では自然に涙が溢れ演奏ミス少々。

・・・若いって本当に素晴らしいです

 

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突然ですが私今回は本当にサナトリウム行きになりそう...。長野の白樺の見える空気の良いところを所望。

子どもの頃に大映ドラマ、百恵さんの「赤いシリーズ」を観過ぎたのでいつもこんな表現になっちゃうのね。;-)

親の体質とまったく一緒とはねぇ..(看護師時代の「例」の症状)お世話になった大学病院に恩返し(貢献)できそうです。

 

 

<お知らせ>

(社)富山県鍼灸師会

 来富の折「中沖 元・県知事」の依頼でこの方(竹村健一さん)の専属施術師だったのです、母。

 上の方は高志会館で頻繁に宿泊され毎回治療のお呼びがかかりました。

 母のこと、氏の著書に紹介されてます。鋭い感性のタッチのペンが魅力の氏ではありますが、

 好意的に書かれており、とても有りがたいです。

 

富山県立富山中部高等学校神通会

・明治東洋医学院「明友会

・高野山大師教会 高野山真弘会事務局


 

2011年8月 母、京子、死去。(享年73歳)

主たる所に報告致しましたが、まだ郵便物や学会等の知らせが転送してくるので失礼します。


2012-03-13 16:59:45


富山市の民謡さんさい踊り」  富山市無形民俗文化財



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東京・浅草 おわら踊りの夕べ 2013年 雷門の前での輪踊り~町流し 越中八尾おわら保存会による演舞 風の盆 Dance in front of Asakusa Kaminari-mon







2015-04-01 00:00:00  2015-12-28 00:00:00