民謡 2006.8月~総集編民謡ブログ

吉岡 都の民謡Weblog 「民謡は心のふるさとです。」

富山県五箇山地方に伝わる民謡

2012-09-23 | 民謡

 

 富山市海外派遣」二ヶ国目の表敬訪問の国 マレーシア・クアラルンプール(KL)にて。

この頃、東芝機械ココム違反事件が発覚し団員達はその話題でもちきりでした、当時の世相。

 

 

 

 麦屋節

哀調の唄と踊り~越中五箇山麦屋節~(1) (2)
越中五箇山麦屋節保存会設立100周年を記念する特別映像

富山県五箇山地方に伝わる民謡「麦屋節」。こきりこ唄とともに五箇山地方を代表する民謡で、越中おわら節・こきりこ唄・麦屋節は富山県の三大民謡と言われている。
明治42(1909)年県立福野農学校で当時の皇太子(後の大正天皇)に麦屋節を披露するためにそれまで歌い踊り継がれて来た「麦屋節」を後世に保存すべく麦屋節保存会を発足。平成21年(2009)年に設立100周年を迎えた。

富山県内の民謡団体で最も古い歴史を誇る。

 

こきりこ唄

昭和51年、皇太子殿下(当時皇孫)が学友と友に五箇山の巡遊の際にご鑑賞になった本場の闊達ななかに哀愁を帯びた「こきりこ踊り」にいたく感銘を受けられた。

そして平成3年、宮中恒例の歌会始に「五箇山をおとずれし日の夕餉時、森に響かふこきりこの唄」とお詠みになり、五箇山詩情の中でこきりこのしらべを見事に再現されて、五箇山への敬慕の念をあらわされたのである。

一方、昭和50年、英国エリザベス女王の来日の際、宮中晩餐会に「こきりこ」が日本を代表する古謡として、バック音楽に流されるという光栄に浴した。また、ウイ-ン少年合唱団の演曲にも取り入れるなど、いまや国内にとどまることなく、国際的な親善の場でも広く活用されることとなった。

世界遺産として高く評価され、永久的保存が叫ばれている合掌造りとともに、「こきりこ」は五箇山を代表する 歴史的遺産として末永く保存されると同時に、心のふるさとの唄として慕われていくであろう。

楽器は、鍬金、筑子竹、ささら、鼓、横笛、太鼓など往時のままのものを今に伝え、豊穣を祈り祝う純朴な踊りであります。

 出典・参考(引用)文献 「こきりこ


麦屋節・・・明治42(1909)年って、母方の祖母(旧・射水郡。現・富山市野田)の生年なんですね。

福野(現・南砺市)で生まれ育った父方の祖父は明治33年、祖母は明治38年生。長い歴史を感じさせますね。先人の努力の結晶、恩恵の賜物に畏敬の念を抱き、常に感謝の心を忘れず、堅持していくことを願います。

尚、当記事との関連で、「郷土芸能部」の記事をよろしければご覧くださいね。

五箇山のお若い方も郷土の文化の伝承、継承にと日々精進しておられます。

 

 

五箇山のジャズ・ギター作り職人の「辻 四郎」さん、「麦屋節」のヴォーカリストです(動画)。

 辻 四郎ギター工房 さん。

 

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  <こちらにて、ご挨拶>

記事「しば漬け、食べてしまったんですか!?」、スマホで推敲していたら全文が消えました。。茫然自失。

富山の新米コシヒカリ。豊かな水の富山のお米は美味しいです。
農薬は最小限に抑え、減農薬米に心がけています。

David boysbowieさん、五箇山の写真をいただきありがとうございました。

あと、富山市民球場アルペンスタジアムでの写真楽しそう。アットホームな社風で、すごく良いですね。

五福の球場は真向かいなので毎日行ってましたが実は私富山市民球場アルペンスタジアムに行ったことないのです。

☆いい時に思い出しました、そろそろ運転免許証の更新で運転教育センターは近場でした。もちろん?優良運転者、ゴールド。

 

余談。上の富山市民球場アルペンスタジアム(リンク先)の正力松太郎さん信仰(?)は

うちの父は格別、奇特な人ではなかった模様。 ※参照元の記事「家族と歩んだ民謡メモリーズ

 

本題。boysさんご執筆の渾身の力作、富山を代表する民謡、麦屋節と新川古代神の民謡論文を参考にさせていただきますね。

 しゅ‐ぎょく 【珠玉】とは
 
   1.海から産する玉と、山から産する玉。真珠と宝石。たま。「金銀―を飾る」

   2. 美しいもの、りっぱなもののたとえ。特に、詩文などのすぐれたものを賞していう。「―の短編」

Davidboysbowieさんの民謡論と詩文は珠玉の名作だと思います。

 

 民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)  


1 コメント

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秋篠宮殿下 (五箇山)
2015-06-12 16:22:16
先週の週間文春に『秋篠宮家の五箇山お忍び旅行』の記事を見つけました。
その記事の中に、御一家が熊料理を堪能されたと出ていましたが、
店名は書かれていませんでした。
そこで私は『五箇山で熊料理と言えば(高千代)さんしかない』と思い、
直ぐお店を目指しました。
お店に入るとマスターに「先日は大変でしたね」とカマを懸けて聞くと、
「えぇーどうして知っているのですか!!?」と大きな声で叫ばれました。
それからマスターのドタバタの話がボロボロと出てきました。
「3月27日の昼に訪れたいと、事前にお話があり、それからが大変でした。
お忍びなので他人に相談する事もできず、開店して35年の店ですからけっして
きれいな店ではないので、3日3晩掃除をしたためヘロヘロになりました。
当日来店されると、緊張して緊張して『普通に、普通にして下さい』と言われましたが
普通の状態が解からなくなるぐらい緊張していました」

「何人来られたのですか?」
「秋篠宮様、紀子様、佳子様、ひさ仁様と御付の方全員で20人でした」

「何を食べられましたか?」
「熊トロ、熊鍋、鹿鍋、キジのやきとり等本当に沢山食べられました」

「佳子様はなんと言われましたか?」
「私は世界で3箇所好きな所があります。その一つが五箇山です」

「紀子様はなんと言われましたか?」
「メニューの裏に、自分が(またぎ)で動物の命をいただいているので『感謝』と『合掌』が
書かれているのを読まれて『この文書、素敵ですね』と言われました」

「秋篠宮様は?」
「注文品を出し終えてカウンターの隅でタバコを吸っていると、秋篠宮様も近づいてこられ、
タバコを吸われましたので『どうして私の店にこられたのですか?』聞きました。
すると秋篠宮様は『五箇山を訪れるたびにこの店の前を通り、熊料理の大きな看板が
気になっていました。今回やっと望みが叶いました。美味しかったです。また来たいです』と
言われました」

私は、熊トロと熊鍋と五箇山固トーフをいただきました。
熊トロはマスターの説明どおり小さなワサビを上の載せて醤油を付けて食べるとスーと溶けました。
熊鍋は、『鍋の中の物で買ったものはトーフとゴボウぐらいかな』と言われましたが、
雪の中から掘り出されたシメジや白菜は、格別な味でした。熊肉は少し固めでしたが
本当に山ノ神の味がしました。次はハクビシン鍋は食べたくないですが、
鹿鍋かイノシシ鍋を食べてみようと思いました。
ジビエ料理に興味ある方は是非お出かけください。安くで美味しいため世界中から来客があります。