3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

コロナとともに生きる時代に 1

2020-08-08 12:39:57 | 新型コロナウイルス
コロナというウイルス抜きにものを語ることは許されない時代になった。先日WHOのあの有名なテドロス氏がこのウイルスの影響はこれから数十年続くだろうと述べていた。5~6年ではなく数十年とは。
もう私が生きている間はコロナと闘いともに生きる、だれもがそういう人生を送るということになったのだ。
どちらにしてもこれまでの政治経済社会文化的枠組みは変えなければならないだろう。ウイルスは時期を選ばす国境を越え、社会的階層もなんのそのである。
さらに厄介なのは社会的弱者に強くウイルスの影響が反映されることであり、また、その影響は階層を超えて拡大するということであるので、自分だけ助かればよいという自国ファーストとか自分の家だけ助かるとかそういうケチな感覚では収まらないということである。
自分だけワクチンをうって助かっても、多くの人がウイルスに感染し、重症化すれば社会は回らないのであり、エッセンシャルな部分の仕事はだれからがやらなければならず、誰かがやってくれているから大丈夫という社会ではなくなるということなのである。
だから、国を超えて情報を共有し資源を互いに調達しあったり、励ましあったりしながらなんとか上手くやっていく手段を人類そのものが学ばなければならない。
総裁のイスにこだわって感染症対策をまともにやれないなどというのは、致命的であり、そんな知能指数が低いものは政治にかかわることがこれからは許されない時代になる。そういう政治家は要らなくなるだろう。
自国民だけでなく人類そのものの未来を見据えて今何をすべきか何に税を投入すべきか、を瞬時に判断し説得力のある説明と実行力が政治家には求められる。そういう政治のあり方を心から指示するような経済界にならねばならぬ。国民も同調圧力や忖度政治に慣れている場合ではない。危機なのだ。のんべんだらりとワイドショーを見ている場合ではないのである。
女たちもやれ専業主婦だの三歳児神話などいってないで、どんどん社会のために働く、男も女も感染症拡大で必要な仕事が新しく生まれているのだからそこで能力を発揮すべきなのである。保健医療福祉分野などは多くの人材を必要としているのだから、そういうところに高い賃金を払うような社会のあり方が求められている。少子高齢社会で労働力は不足している、コロナショックで経済は低成長になる、だが、社会的に必要な仕事はあり続けるのだから悲観することはない。労働の流動性をたかめ、性や年齢や障害などで差別せず、多くの人が社会に働きに出ればよいのである。

だれかが多くの富を独り占めするようなこれまでの社会の有り方はゆがんでいたのだ。ウイルスの襲来によって人類はもっと団結するように転換を迫られているのである。我々は在宅ワークに切り替え、長時間労働長時間通勤をやめ、あまった時間は地域のために費やすようにしてエッセンシャルワーカーの仕事の負荷を少しでも減らせるように働くべきなのである。
そういうスタイルこそが新しい日常なのではないだろうか。
これからは自分の利益を追求するのではなく、ウイルスに感染しないように感染した人を気遣い元気な人は静かに社会のために働く、そういう時代がコロナの時代なのである。そういう時代がきたということを我々は知るべきなのである。

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