3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ボブディランはノーベル賞を拒否するかも

2016-10-22 18:36:30 | 現代社会論
ノーベル文学賞をもらうことになったボブディラン。
ノーベル財団と連絡がとれないそうだ。

権力を否定するボブディランにとって、ノーベル賞はそれほど重要なことではないのだろう。

物理、医学など、涙がでるほどありがたがるノーベル賞だが、平和賞や文学賞になると、ついでに経済学賞も、どうもいろいろで、必ずしももらってよいことばかりではないのだろう。
文学賞など、そもそも日本語のものは候補になりにくいし、欧米主導であるところがすでに怪しいのである。平和賞にしてもかつて佐藤栄作がもらったんだから、怪しすぎる。
今回のボブディランの受賞、本人は雲隠れしているようだが、この受賞で世界の人がもう一度、まじめに「風に吹かれて」」を聴いて、歌って、この歌がどのような社会的背景のもとで歌われたか、どのような思いでみんなが歌ったかをしることができればそれでよいのではないだろうか。そういう意味における波及効果は期待できる。

ボブディランがうやうやしく、授賞式に出席して、メダルを授与される風景なんて想像したくないのは私だけだろうか。
他のノーベル受賞者、大隅先生などと隣り合わせで座って会食?しても、きっと詰まらないだろうよ。

そういうことである。
ボブディランはボブディラン、権力が嫌いなのである。たぶん、これが、オバマ大統領だったら受けるのだと思う。
スウエーデンアカデミー、それがどうした、と思っているのだと思う。
アメリカ文化はヨーロッパの貴族趣味を嫌ってきたのだから、この期に至って、ノーベル賞なんてもらってありがたがるはずもないだろう。

ということで、雲隠れして、なんのリアクションもしないボブディラン、そこがまたかっこいいと思ってしまう。

サルトルも拒否したことだし、それでよいのではないだろうか。

「風に吹かれて」を聴いたら、次にPPMの「悲惨な戦争」を聴こう。
それから、We shall overcome も聴こう。http://www.magictrain.biz/wp/?p=12813


そして、公民権運動について調べよう。

60年代の社会運動のうねりと今日の社会運動についてまじめに考えよう。
そして、今、我々はどのような時代に生き、何を目指し、何と戦うべきなのか、あらためて考えたいと思うのである。



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