ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

卒業式を考える

2010-03-20 19:46:15 | 報道/ニュース
今2年生でまもなく3年生になる女子学生に「社会って何?」と聞きました。ボクは「人がいて、暮らしがあって、村があって、町があって、お金が動いて、政治や司法があって、学校があって、子どもがいて・・その全部が社会です。」と言う答えが返ってくるのを予想して、「じゃあお金が動くってどういう事?」という質問を準備していました。すると彼女の答えは「社会は大学を卒業したら行くところ。」でした。う~ん・・ちょっとボクの準備が早かったようです。
3月は卒業式です。小中高はまだつぎの学校があるので気持ちはそんなに変わりませんが、大学生の卒業式はちょっと違います。いよいよバイトではなく職業を持つことになるのです。でも今はその垣根が低くバイトと職業の区別が難しい時代になりました。目先の収入を比べても社会人になったら収入が減ってしまうほどバイトで稼いでいる大学生も多くいます。そんな彼らに余計なお世話と言われても言っておきたいことがあります。
大学は勉強しなくても落第しないし、学校行かなくても卒業できてしまいますが、社会は少しでも気を抜くとたちまち「落第」します。クビになったり、辞めるように言われたり、待遇が悪くなったりすることです。どんな職業でも日々勉強していないと仕事が出来ない人間になっていきます。つまりほんとうに勉強しなくてはいけないのは卒業したその日からなのです。ところが学生時代に勉強していない人は職業を持っても勉強の仕方が分かりません。よく「バイトで社会経験をした。」などと聞きますが、それはただ社会を見学したということだけで、職業に就いてからの勉強には全く役立ちません。バイトと職業とは違うのです。「大学は勉強の仕方を学ぶところ。」僕がいつも大学生に言っていることです。仕事を覚えるのに何が必要かは勉強の仕方が分からないと見つけられないからです。
今は大学の経営も厳しく学生集めのため「マスコミなんとか学部」だとか「国際なんとか学科」だとか学ぶ意味のほとんどない、訳のわからない客寄せ学部がいっぱいです。結果、学ぶというより楽しい学生生活が売り文句のいわゆる「大学」が多くなり、大学で勉強することが本来の目的ではなくなってしまいました。「遊んでバイトして楽しい学生生活が送れました。」などと堂々と言って卒業式を迎える学生たちを見ていると、ボクはちょっと悲しくなります。「小学生からやりなおせ!」と言いたいのですが、こいつらはきっとやり直してもまた大学の卒業式で同じ事を言うでしょう。困ったものです。
ならば卒業式を迎えた大学生たちにこう言いましょう。「学部や学科の専門的なことを学ばなくもこれから仕事に就く職業について勉強しよう。実践と勉強が併行して出来るのは職業に就いてからなのだから。」
今年は大学の就職内定率が史上最悪と言われていますが、新就労人数約38万人は10年間ほぼ変わっていません。ネコも杓子も大学へと言う時流で大学卒が多くなりすぎた一因もあるのです。勉強が嫌いな人や勉強をしたくない人が大学へ行く意味は実はありません。大学へ行って勉強しないのならさっさと社会へ出て働いた方がよほどみんなのためです。お金の無理をしてまで訳の分からない大学の意味のない学部学科へ行ってなんのプラスがあるのでしょうか。それより勉強したいけどお金がなくて大学へ行けない人をみんなでサポートして行かせてあげる、その方がよほど社会のためなのです。勉強をしたくない人は大学へ行かずさっさと働く。その働いて得たお金を奨学金にして本当に勉強したい人が大学へ行く。そして勉強した人が社会へ出て前から働いて奨学金をくれた人に大きく返す。どうですか?今より少しはマシな「社会」になるとは思いませんか?みんなで一度考えましょう。

3D立体映像テレビ

2010-03-11 21:29:11 | 報道/ニュース
映画「アバター」の好評に合わせるかのように、この4月以降パナソニック、ソニー、サムスンなどが3D立体映像テレビを発売します。技術の進歩の速さは地球の回転の速さを超える勢いです。いやはやちょっと速や過ぎやしませんか?
そもそもテレビが立体映像になることを私たちは望んでいたのでしょうか?今でもアナログがいいと思っている人は大勢います。ところがテレビは地デジ地デジと大騒ぎしています。アナログがなくなるとなればデジタルで見るしかない、余分な出費で大変と思っている人のほうが断然多いのです。そこへきて今度は3D立体映像テレビが登場してきました。今は専用メガネが必要ですがそのうちメガネの必要もなくなるでしょう。
「アバター」の監督ジェームス・キャメロンさんは、「これからの映画はすべて3Dになる。」と断言しています。実はボクもそう思います。白黒の映画がカラーになったように3Dの技術が一般的になってしまえばもう2次元の映像を作る必要がなくなるからです。でもこれは映像制作の話で、これを情報発信というテレビに置き換えるのはちょっと難ありと思われてなりません。テレビでブルーレイや映画を見ているだけならそれは大いに有りなのですが、いつか朝の情報番組まで3D立体映像になったらと思うとちょっとゾッとするからです。
少し前まで子どもはおじいさんからおばあさんから親や兄弟から絵本を読んでもらって育ちました。そして絵本に描かれているやさしい絵から想像して夢を空想していました。空想しながら読んでくれている人の温かい心やぬくもりを感じていました。それが今は小さなときからテレビゲームです。しかもその画像は想像を超える速さで進化しいまやリアルな立体的アニメが普通です。同時にかつて空想していた時間が急速に消えていきました。ぬくもりを感じている暇もありません。
技術が進歩するのは歓迎されることですが、もしそれが人間として大事なこと大切なことを消してしまうことになったら何のための技術進歩でしょうか。まるでフィルムのように艶やかなハイビジョン画像とハイビジョンを持ち上げていたとき、ボクは、ならフィルムでいいのにと思いました。人の眼は物を立体で見ているから人間にとって立体映像の方が心地良いなどと言っている人もいますが、やがてその人たちもそうではないことに気付くでしょう。なぜなら私たちは美しい風景の写真を見たとき、遠くの山々も緑の木々も川の清流も苔のついた岩も十分立体として感じとっているからです。それは私たちに想像する能力とそれを楽しむ能力があるからです。ボクは人間から想像を楽しむ能力を取り去ってしまうのが3D立体映像のように思えてなりません。写真家が今でも白黒写真で表現するのはそこからその奥にある何かを感じ取って欲しいからです。
急激な技術進歩と生き物としての私たち人間の感性、うまく付き合っていかないと心の進歩が止まります。

ゴールデンウイークの分散化

2010-03-09 19:56:14 | 報道/ニュース
一体何を考えているのでしょうか。ゴールデンウイークを全国5地域に分けて一週ごとに別々に休みにすると言うものです。観光立国推進本部(本部長・前原国土交通大臣)が考えた試案です。渋滞・混雑を緩和することで観光需要を掘り起こし消費・雇用を喚起するのが狙いで、秋にも分散連休を作ろうなどと言っています。いかにも場当たり的、思いつきの案としか思えません。木を見て森を見ずとはまさにこのことで、こんなことしたら製造業をはじめ観光以外の業種に混乱を生じさせることは目に見えています。そもそもこんなんで消費は増え雇用が拡大などと本気で思っているのでしょうか。
日本の場合、休みが集中するのは年末年始、5月のゴールデンウイーク、お盆、それに9月10月の飛び石休暇です。今この休暇状態で満員状態になっているのは一部の人気の観光地だけ、これを地域ごとに分散化しても喜ぶのはこれまた一部の現在満室で断っている人気の観光地だけです。人気になっていないけど実はすばらしいそんな観光地にはますます人は行きませんよ。人気の集中するところだけより潤わせる、それだけの結末になってしまいます。観光需要を掘り起こし消費と雇用拡大を図るというなら、休む日の改訂などではなく人気の取れる新たな魅力ある観光スポットをつくるその努力の方が先なのです。ブームとなれば若い女性が古戦場まわりや武将めぐりをする時代です。行って良かったとかぜひ行って見たいとかのブームをつくること、それには観光地自体の努力も必要ですが、国や自治体の後押しも必要ですね。テレビドラマや映画のヒットも後押しになりますよ。
ところで、日本には訳の分からない祝日が多過ぎませんか。何を祝ったらいいのか分からない祝日を学校の先生は生徒になんと説明するのでしょう。これは高度成長時代に日本製品が世界中を席巻し日本人は働き過ぎという外国からの批判をかわすため休め休めの大合唱で生まれた遺産のかずかずです。今では日本はすっかり没落し土曜日も大半の労働者は働いています。働かないと生活できないからです。日曜日まで出勤している労働者にゴールデンウイークを分散化して観光しやすいようになどと政府は言えますでしょうか。まずは先々の生活の不安をなくすこと、仕事を確保しやすいようにすること、収入の安定を図ることそれが今求められていることなのです。休みが取り易くなって喜ぶのは公務員と一部の正社員くらいでしょう。休めない社員もいっぱいです。なにより日本の労働者の半数以上は休めば収入が減るのです。

愚策と化した「こども手当」

2010-03-08 04:41:26 | 報道/ニュース
いよいよ「こども手当て」が始まります。民主党のマニフェストは予想通りほとんど実現されていません。当たり前です。マニフェストとか公約とか契約とか、もともと票集めのうたい文句ですから。実現しようがしまいが票さえ取ってしまえば議員になってしまえばどうでもいいのですから。
「こども手当」と「高速道路無料化」が前回の衆議院選挙の民主党の二大公約でした。高速道路の無料化は仕組みを変えれば十分可能なのですが今の徴収システムのままでは出来るはずがありません。車の少ないところだけ無料化していたのではこれまた意味がありません。これならまだ上限1000円の方がマシというものでしょう。もうひとつの「こども手当」は当初の月額2万6000円の半額とはいえ4月からばら撒かれるようです。これはいったい何のためでしょうか?どう考えてもこれで景気がよくなるとは思えないからです。こどもが三人いたらゆくゆく7万8000円が毎月何んにもしなくても入ってくる話(?)です。こどもを育てるのは国の責任などと後でくっつけたような理屈が現れてきましたが、こどもを育てるのは親の責任であり国ではありません。余計なお世話です。国がやらなければいけないのはこどもが育ちやすい育てられやすい環境づくりではないでしょうか。何んにもしなくて毎月8万円も国が払っていたらもらう方はただニヤニヤするだけです。子育てとは何の関係もないお金と化すことは明白で、当初の景気対策とは程遠い単なるばら撒きとなってしまいました。民主党がだめなら自民党もだめ。これが今の国民の率直な感想ですよ。もはや過去の政党となってしまった自民党では党首討論でただ「政治とカネ」と言っているだけで「こども手当」のあり方など政策の論争もできません。イライラしてきたので代わりに言いましょう。
「こども手当」はやめましょう。お金をばらまくのはこどもの手当にはならないからです。こども手当と言うならこどもが生まれて大人になるまで、公共交通機関はすべて無料にしましょう。地域の交通機関は今の老人パスの仕組みをそのまま使えます。国が各県市町村にまとめて払えば簡単です。JRは国会議員のフリーパスの仕組みをそのまま使いましょう。人数が増えたって今はパソコンです。これも簡単です。美術館や図書館などの公共施設もこの仕組みですべて無料です。もちろん授業料は公立小中高すべて無料。複雑なようですが、今の「こども手当」でお金をばら撒く費用を考えたらはるかに経費はかかりません。そのうえ本物のこども手当になり、こどもがすべて無料となれば、いろんなところへ連れて行けるしこどもの視野も広がり勉強にもなります。なんと言っても親は安心してこどもを育てられます。なんでこんな簡単なことを論議しないのでしょうか。今からでも遅くはありません。お金のバラ撒き合戦で次の参議院選挙を勝とうなどという姑息な手段はもうやめましょう。もともと高速道路1000円も民主党が無料化などと言って負けじと自民党が言い出したことではありませんか。結果、税金のツケだけが膨らんでいます。お金をばら撒かれて入れた一票はわたしたち国民の一票なのです。ところが国会議員たちはその一票を自分たちにもらったものとばかり勢力拡大に使っています。忘れてはいけません。選挙での一票は議員にあげたものではありませんよ。今でもいつまでもわたしたち国民のものなのです。