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2月7日北方領土の日

2019-02-12 22:44:46 | 報道/ニュース
いままで何気なく見ていましたが、天気予報の時、日本列島の地図が出てきます。そこにはっきりと国後・択捉島、そして色丹・歯舞の北方四島が入っています。これが日本だと思ってきました。しかしこの北方四島には現在ロシア人が暮らしています。日本人はいません。北方四島はロシアなの?日本なの?そんなことを考えたら、天気予報のたびに北方四島が大きく見えてきました。
2月7日は北方領土の日、39回目となった今年も返還要求全国大会が行われました。しかし、東京でも根室でもシュプレヒコールは一変、「北方四島は日本固有の領土」「不法占拠」「返せ」などの言葉が封印されました。「平和条約で問題を解決しよう」では何の問題なのか分かりません。安倍政権になった2年前から「強い怒りを禁じえない」もカットされています。なんだこりゃ、ロシアに対する配慮などと説明していますが訳が分かりませんね。一体何を配慮しているの?配慮が通じるようなプーチンではありませんよ。早速ロシア国営放送は日本が譲歩したように報道していました。
戦後75年以上も「返せ」返せ」と言って何も進まなかった北方領土。かつて鈴木宗男さんが二島先行返還して交流を深めその後に国後・択捉を含めた四島返還交渉をすると言って大反発をくらっていた時代とは雲泥の差です。二島返還前進で成果を上げたように振る舞いたい安倍さん。国民に何の説明もしないどころか「返せ」の主張すらさせない。これはまずいでしょう。国境・領土の問題は国家・国民の財産と安全保障の問題です。秘密裏に進められることではありませんよ。ロシアでは「返さない」デモを起こしているのに、日本では「返せ」とも言えない。これは気持ち悪いでしょう。野良猫プーチンはニンマリでしょうね。
という訳でちょっと北方領土について調べてみました。
1855年日本とロシア帝国は日露和親条約を結び択捉島と得撫島(ウルップ島)の間を国境線としました。以北の島々はクリル群島というロシアでした。その後日本とロシアの共同統治だった樺太で紛争が絶えないため、1875年樺太・千島交換条約で樺太をロシア領、カムチャッカ半島までの島々を日本領の千島列島としました。そして1905年日露戦争の勝利により、樺太を北緯50度で南北に分け南半分が日本領となりました。これが第二次世界大戦までの国境でした。
日本の敗戦後、1951年サンフランシスコ講和条約で日本は南樺太と千島列島を放棄。このとき千島列島に国後・択捉は含まれるかどうかがあいまいになってしまいました。しかもこのサンフランシスコ講和条約にロシア(ソ連)は調印していません。
1956年日本とソ連は国交回復のため日ソ平和条約の締結交渉を行ないました。この時、国後・択捉を含む北方四島の返還を求める日本と歯舞・色丹の二島を返還とするソ連の間で妥協点が見いだせず、結果平和条約は締結されませんでした、代わって日ソ共同宣言という形で平和条約の締結後に二島を返還するという条文で決着しました。
こうして日本とソ連(ロシア)の間には領土問題が残りました。日本は四島返還を求め、ソ連は両国に領土問題はない、と平行線のまま75年以上が経ってしまいました。東西冷戦時代はアメリカの占領下にある日本に対してソ連は聞く耳を持たない姿勢でしたが、日本が朝鮮戦争特需やバブル景気などで経済成長を果たすと、回復の遅れていたソ連は日本の経済援助に期待して一時はすり寄りました。しかし天然資源の豊富なロシアもその後成長し今やBRICsの一員です.またこの間に国後・択捉近海で大量の地下資源があることが分かり、ロシアにとって国後・択捉島は宝の山となっていました。対してこの30年、日本経済はガタガタ。こうなったら日本がいくら経済援助と言ったって足元を見たロシアが国後・択捉を手放すはずがありません。75年以上も続いている領土問題、政府の人気どりだけで決められては後世に汚点が残りますね。
2019/02/11

※追記:日本が敗戦を決意した直前、1945年8月8日、日ソ中立条約を結んでいたソ連が突然日本に宣戦布告、日本がソ連の参戦を知ったのは翌8月9日、長崎に原爆が投下された日でした。8月10日、日本の敗戦が近いと察したソ連は極東部隊に「8月25日までに南樺太を占領せよ」と命令、しかし部隊の準備不足で実行できませんでした。8月14日、日本は米・英・中・ソの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾、日本の降伏が決まりました。8月15日、日本国内で降伏を告げる玉音放送が流れ、国民が敗戦を知ります。翌8月16日、日本の大本営は即時停戦命令を出します。しかし同じ日にソ連は南樺太へ侵攻、またたく間に占領してしまいます。8月18日、ソ連は千島列島にも侵攻、北千島3島を占領、千島列島の日本軍は8月22日に戦闘を停止、しかしその後8月25日から9月1日までソ連軍は千島列島を南下、国境を超えて国後、択捉、色丹島を占領。9月2日東京湾上の戦艦ミズーリの甲板にて日本は連合国との降伏文書を締結。しかしソ連は翌9月3日から5日にかけて歯舞群島を占領。現在も北方四島の実効支配を続けています。ロシアは戦勝記念日を9月2とし、北方四島は戦争で勝ち取ったものとしています。ならば歯舞は戦後に不法占領したことになりますね。

日本の国境です。

日露戦争後国境です。

国境の変遷です。

これは戦前の日本の支配地域です。