ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

ダムについて

2009-10-29 00:19:15 | 報道/ニュース
昨日、八ッ場ダムに関係している1都5県(群馬をはじめ東京・千葉・埼玉・栃木・茨城)の知事会に前原国土交通大臣が参加し意見を聞きました。テレビで一部見ただけですが、6名の知事が集まってダムの必要性を訴えているにしては余りにも説得力がありません。肝心の群馬の知事は10年以上前に起きた限られた地域の洪水の写真パネルを見せこんなに大変だと言い、埼玉の知事にいたっては「洪水がどれだけ多く起こっているのか大臣は知っているのか。」とこれまた地域限定の小規模な大雨被害を訴えていました。他の知事たちはぼそぼそ言っているだけでした。ならば6人の知事に聞きましょう。八ッ場ダムを作ってその被害がなくなるんですか?答えはどう考えてもNOでしょう。地域限定のゲリラ降雨は日本全国どこでも起こっています。それらは堤防を補強したり、排水を良くしたりの問題であり、6000億円も使って造るダムの問題とはおよそかけ離れた話なのです。ダムは上流の川をせき止めるのですよ。その下流の一地域で局地的豪雨が降ったらダムは何の役にも立たないでしょう。それより川をせき止め大量の水を貯めるダムがまわりの山の地盤を緩めてしまう方がよほど危険なのです。すでにコンクリートの亀裂ができたり、地盤が緩んで山崩れが起きているダムが日本中いくらでもありますよ。みんな既得権益しか頭にない、そう思わせるやりとりでした。

この狭い日本にはすでに2902のダムがあり、さらに143ものダム建設計画、そのうち大型ダムは60基が建設中(2005年度)。一体これは何でしょうか。まるで日本中がダムだらけ。川をせきとめダムだらけにして一体誰が得をするのでしょうか。「ダムのおかげで毎年、金が湯水のように落ちてくるんだ。ダムが中止にでもなったらどうやって喰っていくんだ?」「ダムが好きな住民なんていないよ、しかしダム計画なしで町の存続を想像できる住民もほとんどいない。」ニューヨークタイムズが取り上げた八ッ場の住民の声です。
先日、愛知県の設楽町で行なわれた町長選挙は設楽ダム賛成反対が問われる選挙として注目を集めました。予想通り賛成派の候補が当選しました。賛成派を推したのはダム建設を受け入れた前町長です。彼はテレビカメラの前で、「ほんとはダムなんか要らない、でもインフラ整備や生活のことを考えたら、造ってくれたほうがいい。」彼も長年に渡ってダム反対運動をしてきたリーダーでした。その設楽ダム下流ではすでにふたつの川の水を相互に送る飲料水連絡管が37億円もかけて出来ていました。が、完成から7年間一度も使われたことがありません。利水のためのダムはもうとっくに必要ないのです。
山に木をいっぱい植えて緑豊かにすれば、雨は山の木々の根に吸収され土砂洪水を防いでくれます。また、山にしみこんだ雨水はゆっくりろ過され、きれいな湧き水や清水となってやがて清流となり苔が生え魚も元に戻るでしょう。ダムを造りズタズタに川をせき止めるぐらいなら、山々を緑いっぱいにする方がはるかに治水にも利水にも効果的なのです。
♪人はなんてひどい仕打ちをするのだろうか♪川を右左にせきとめてる♪魚たちはここで長い旅終えるのだろうか♪虹マスよ~川をさかのぼり♪ほとばしる命が悔しいだろうね♪~これは30年以上前に吉田拓郎が歌った「虹の魚」です。虹マスが産卵のため必死に川を上っていく様子を青春にたとえたものです。30年以上前ですよ。もう一度良く考えましょう。

消えてはいけないもの/八ッ場の人達

2009-10-21 00:32:11 | 報道/ニュース
「私達が何か悪い事をしたのでしょうか?」八ッ場ダムの住民の話です。「今までの生活をしたい、山里でずっと暮らしたい、と思って40年も反対してきました。さまざまなの圧力により受け入れる事を決め、こんどは17年かかってやっとダムが現実と思えるようになったら中止・・ほんとに振り回された人生でしたね。」今年80才で今もまだ村で唯一の土産物やを続けているお母さんの言葉です。「私はもうあと生きても5年、ダムが出来ても出来なくてももうこの世にはいないでしょう。」テレビからお母さんの人柄が伝わってくるようでした。化粧をし和服を着こなし質素で清潔、とても80才とは思えない山の空気のように澄んだ人でした。

治水・利水

無駄な公共工事のシンボルとして八ッ場ダム建設中止が民主党政権のマニフェスト実現で宣言されました。対して東京都をはじめ埼玉・千葉など関係6都県の知事が建設中止の撤回を前原国土交通大臣に訴えました。治水・利水に必要だと訴えています。しかしよく考えたらそれは57年前の話、57年前に必要だった物が57年経ったいまも必要という事は世の中にほとんどありません。テレビも車もマンションもほとんどない時代の計画です。生活はまったく変わっているし水の使い方も変わりました。農業が変わりました。まわりにダムがいっぱい出来て大雨災害の対策にもなりません。都市部の飲料水も足りています。57年間の時が経って八ッ場ダムの必要性は実はもうなにもないのです。
ではなぜそれでもダムが必要と言うのでしょう。それは国と各都県が予算を立てたから使わないといけないからです。建設に携わっている人はそれが仕事で収入を得て生活しています。苦しんできた住民は既に新しい生活を考えています。今さら中止になっても気持ちの切り替えが出来ないのです。建設従事者は必要のない工事をこれ以上続けても働き甲斐がありません。仕事を変わらざるを得ないでしょう。国は十分に満足できるプログラムを示し、もう一度ダム収入に頼らない生活ができるまで面倒を見る必要があります。そのための費用はいくら使っても誰も文句は言わないでしょう。どんなに費用がかかっても、ダムを造ってしまう100分の1にも満たないのですから。

残したいもの

かつてアメリカにはインディアン、オーストラリアにはアボリジニ、そして日本にはアイヌという先住民がいました。同化政策や侵略で土地も文化も奪われました。いま、再び先住民の国が復活する事はありませんが、かれらは文化を守りたいと訴えています。
八ッ場の人たちは単に土地をなくしただけではありません。代々続いた村の暮らしや文化をなくしました。山里の人たちの澄んだ気持ちや温かい心がバラバラにされました。残したいものは八ッ場の美しい景色だけではありません。あのお土産やさんのお母さんのやさしい笑顔です。工事が進んでいる支柱も八ッ場の象徴として残しましょう。観光名所になりますよ。遺跡のように並んだ巨大なコンクリートの柱。徳山ダムを見るよりはるかに気持ちが和みます。

原発解体/放射能の恐怖

2009-10-15 21:32:13 | 報道/ニュース
一体どうなっているんでしょうか。役目を終えた原発の解体をNHKスペシャルが取り上げていました。40年前に原子力発電所を作るときは、放射能の処理を考えていなかったというのです。「色即是空」形のあるものはいつかなくなります。車だってビルだっていつかは古くなり解体処理されるものです。しかも原発は私たちがもっとも恐怖を感じる放射能の塊ですよ。イギリスの原発関係者が「作るときは解体の事を考えていなかった。」という話を日本の関係者もそのまま言っていました。なんという無神経な考えでしょう。イギリス人と日本人では放射能についてとらえかたがおよそ違います。ヒロシマ・ナガサキ、わたしたちの先人がどんなに苦しんでいたことでしょう。原子爆弾の恐怖はヒロシマ・ナガサキへ行けば経験がなくても誰にでも分かりますよ。あの放射能の恐怖を体験している日本人が体験のないイギリス人と同じように何も考えていない、いなかったことにビックリたまげましたね。
いま、日本の電力会社はおよそ30%を原発に頼っています。今後この割合を増やしていく計画です。解体処理を考えずに作るということはあり得ない行為です。牛乳の紙パックさえリサイクルしようとしているのに原発の処理もできないというのは放射能に対してあまりにもズサンで安易に考えていた表れでしょう。これで原子力発電所は安全などと言っていてはとても信用できませんね。
それにしても、なぜいま、この問題をNHKが取り上げたのでしょうか。原発はこわいもの、CO2を出す火力発電もだめ。ならば水力発電はどうでしょう。などと言いたいのでしょうか。おりしも八ッ場ダム建設中止がクローズアップされています。どうもNHKの最近の報道姿勢が気になります。先日も「アニメの殿堂」建設賛成の漫画家がニュース番組に出てしゃべっていました。ちょっと気持ち悪いです・・・

2009/10/15

これは大震災による福島の原発事故の前に書いたものです。原発の恐怖はすでに分かっていたのですね。NHKの気持ち悪さは今も変わりませが。
2016/12/24

日本航空は要らない?

2009-10-03 04:44:24 | 報道/ニュース
日本航空が大変だと大騒ぎをしています。ボクは今頃何を言っているのだろうと不思議に思いますね。JALと言えば日本を代表する航空会社で一種のブランドでした。スチュワーデスなどは女性の憧れの職業でしたよ。戦後日本が貧しい頃はエアガールなどと言われ良家の子女でなければなれなかったそうですがボクは知りません。と言うよりその頃は一般の人が飛行機に乗ることがほとんどなかったのです。1ドルは360円でした。いまは90円ですよ。アメリカでいま90円で買えるジュースが当時は360円も出していたことになります。給料も物価もいまの10分の1ぐらいの時代ですから、普通の人ではとても飛行機に乗って海外旅行など出来ませんでした。
その後日本が高度経済成長して金持ちの気分になった頃、農協(Noukyou)の旗持ったおじさんたちがアジアへ少女を買いに行ってヒンシュクをかったニュースとか、ヨーロッパではスーツを着てメガネをかけ首からカメラをぶら下げうろうろしている日本人の団体旅行者の姿が新聞で紹介されるようになり、やっとみんなが飛行機に乗って海外旅行へ行けるようになりました。Japan as Number One などと言われ、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国※だとか外貨準備高は世界一とか言われ、いい気になってお金を使いまくり、バブルでは土地の値段や株価が倍々ゲームのようにはね上がり、20代の若い女たちは短くて太い足が全部見えるようなミニスカートをはきパンツ丸見えで扇子持って踊っていました。土地や株で儲けた成金どもは世界中のビルを常識はずれのふっかけられ価格で買いまくり、NYのエンパイアステートビルをはじめ西海岸やハワイの有名ホテルはほとんど日本人の所有となりました。これが先進国だと血迷ったのです。結果バブルがはじけあっと言う間に全財産は消えました。株価は平均で4分の一、中には10分の一にもなり、絶対下がらないと言われた土地の価格はこの20年間下がり続けています。日本人が持っていた海外のビルやホテルは半値以下で買い戻され、国内都市の一等地はすべて外国資本のものとなり、自動車の二大メーカーのひとつ日産はフランス国営のルノーに身売りしました。20年以上にもおよぶ政治の無策と官僚の無知により、とうとう日本は昔の貧乏人に成り下がったのです。パンツ出していた女どもはいま40代で生活苦にあえいでいます。成金どもはこつこつ働くすべも知らず無精ひげはやしてうろうろしています。こんな日本でいま飛行機に乗ってどこかへ行こうなどとは誰も考えられないのです。仕事になれば乗ります。よほど安ければ乗ります。でも飛行機にはもう以前のブランド感はありません。なにより飛行機でという気持ちの余裕がないのです。
日本航空は1987年に民営化され、6年後の93年には設立以来最悪の538億円の赤字、2001年には政府(日本政策銀行)が1540億円の緊急融資、破綻寸前の日本エアシステムを統合した翌年2003年には1060億円融資、その後も赤字がつづき今年すでに1000億円を融資、それでもまた900億円の赤字、それを国の税金で救済してほしいと申し入れをしています。そもそもこのJALという会社は民営化して成り立つものでしょうか。日本は小さな島国です。北海道や沖縄の人以外は国内の交通手段はバスと鉄道で足りてしまいます。やたらと出来た新幹線がやっと庶民の足になったところでしょう。でもまだ運賃は庶民には高い。そんな日本でいま98もの地方空港があります。「車も通らない高速道路造って、人もいないところに橋造って、使われもしない公共施設が田んぼの真ん中にそびえる、もう造るものがないから空港を造ってしまえ、飛行機はJALを飛ばせばいい、どうせあいつらは国から金もらうだけだから。」これが今まで延々と続けられてきた行政なのです。
どう考えても儲かりそうもない日本航空を買収や合併で肥大化させ、世界第3位の航空会社にしたてたのはいままでの政府自民党です。郵政の分社化を言うなら日本航空こそ、採算部門と不採算部門を細かく分社化し、不採算部門を国で一括管理、採算部門だけでの再スタートしか残る道はありません。合理化ぐらいではもう経営はできないのです。これ以上税金を使われてもたまりません。民主党にもしこれができたら「あっぱれ!」をひとつあげます。できなかったらデルタ航空に差し上げますか?

崖の上の景観~ポニョも考える~

2009-10-02 23:39:30 | 報道/ニュース
昨日宮崎駿さんがテレビでインタビューされていました。広島市の鞆(とも)の浦を埋め立てて道路を作るのは、歴史的・文化的景観を失うことになり認められないとする判決が広島地裁であり、2ヶ月間「鞆の浦」を見ながら「崖の上のポニョ」の構想を考えたという宮崎さんに判決の感想を聞いているものでした。宮崎さんが見ていた良い景色だからどう思うかと聞かれてもきっと答えに困ったことでしょう。何とかこなしていましたが、この結びつきにはちょっと無理がありましたね。それにしても景観を守るため埋め立て中止というは初めての判決だそうですよ。
最近、「景観を守る」という言葉がキーワードにもなっています。車で走ると都市部などは数年ぶりなのにまるで景色が変わっています。高速道路の陸橋でビルが見えなくなっていたり、遠くの山々が建物ですっかり隠れていたり、カーナビでやっと目的地についても以前とはまるで違う景色になっていたり、浦島太郎になった気分です。ところが地方の山村とか海辺の町へ行くと、何十年ぶりなのに、昔と変わらない風景を見ることができます。この場合、景観を守っていると言うべきか、発展していないと言うべきかちょっと考えてしまいますね。日本は狭い国土であるにもかかわらず、都市部と村部では便利さが大きく違います。都市部は人口が密集しバイパスを含めてすさまじい勢いで道路ができ、家やビルが新築されています。それに対して村部はいまだに車がすれ違うのも出来ないほどのせまい道のままです。今は宅急便など車の移動が普通になっていますから、生活には不便だろうと想像できます。その結果、景観を守るか便利さを取るかという論争になってしまいます。広島県知事は「八ッ場ダムとひとくくりにされた。」と言って反論していましたが、それは違います。「八ッ場ダム」は利用価値のない公共工事の垂れ流しをやめようとするもので、「鞆の浦」は景観をどうしたら守れるかというものです。もう少し深く考えないといけませんね。いずれにしても「鞆の浦」は誰が見てもすばらしい景観です。この景観を残して町を便利にすることは出来ないものでしょうか。
それは十分できることです。ヨーロッパの国々では文化遺産や景観を守るため、車の乗り入れを町ごと規制しているところがあります。そのため路面電車を作ったり、自転車を活用したりしています。この方式を「鞆の浦」に合わせれば景観を残して便利にすることは可能です。つまり住民以外は車の乗り入れを禁止し、外からの荷物は地区のはずれに集約、それを「鞆の浦」だけの交通システムで巡回すればいいのです。「鞆の浦地区」がひとつの大きな集合住宅という考え方です。もしこれが実現できれば、「鞆の浦」はただ景観が良いと言うだけでなく、世界が認める最先端の文化地域となり、多くの観光客も訪れることでしょう。また「鞆の浦」を通過する場合は山側にバイパスを造ることも一案でしょう。より便利になりますよ。
もともと日本は美しい海岸線に囲まれた緑豊かな島国です。景観と便利さが共有できる新しい交通システムがいろんなところにできれば、観光立国を目指す観光庁も乗り出すことでしょう。日本の景観について考える良い機会かもしれませんね。