ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

十九の春

2018-09-22 19:43:33 | 報道/ニュース
♪わたしがあなたにほれたのは~♪ちょうどじゅうくのはるで~した。♪いまさらりえんというならば~♪もとのじゅうくにしておくれ~ これは昭和の中頃ヒットした田端義夫さんの「十九の春」です。なぜか鼻歌のように自然とメロディが出てきました。理由は分かりません。歌詞もくわしく知りません。早速ネットで調べてみることにしました。そして何回も聴くといい歌ではないですか
この曲が突然頭に浮かんできたのは沖縄の翁長知事が亡くなった頃からでした。沖縄では新しい知事を決める知事選が9月30日に行われます。亡くなった翁長知事は徹底的に辺野古移設反対を貫きました。もともと自民党で移設賛成の人でしたが、民主党時代の「最低でも県外」が反故(ほご)にされたことや今の総理を始め本土の政治家の沖縄軽視に憤慨して一転反対の旗手となりました。しかし志半ばでガンが発覚、病床からも反対を訴えた続けた政治家でした。なにが彼をそこまで奮い立たせたのか、原点は「十九の春」にありました。
それでは二番からの歌詞を続けます
男:♪元の十九にするならば~♪庭の枯れ木を見てごらん~♪枯れ木に花が咲いたなら~♪十九にするのもやすけれど~
女:♪見捨て心があるならば~♪早くお知らせくださいね~♪年も若くあるうちに~♪思い残すな明日の花
男:♪一銭二銭の葉書さえ~♪千里万里の旅をする~♪同じゴザ市に住みながら♪逢えぬわが身のせつなさよ~
女:♪主さん、主さんと呼んだのに~♪主さんにゃ立派な方がある~♪いくら主さんと呼んだとて~♪一生忘れぬ片思い
男女:♪奥山住まいのウグイスは~♪梅の小枝で昼寝して~♪春が来るよな夢を見て~♪ホケキョホケキョと鳴いていた
沖縄の人や、沖縄に詳しい人なら良く知っている歌ですが、これは古い沖縄の民謡で作者不明、歌詞は自由に変えられて歌われています。言わばみんなの歌です。しかしこの歌詞にはいろんな思いがこめられていました。
女は沖縄の女性でしょう。そして男はアメリカ人、軍関係者または兵士でしょうか。沖縄にいる間だけの恋でした。悲しい恋の物語というにはちょっと複雑です。前半は不倫をしている男女の恋歌のようになっていますが、最後の一説はおもむきが違いますね。春がくるような夢を見て、ホケキョホケキョと鳴いていた。というのは来ないかもしれないけど、いつか来る春(平和)を夢見ていると歌っています。
戦後、沖縄はアメリカの統治下におかれ、日本に返還されたのは1972年でした。お金はドル、車は右側通行でした。つまり沖縄は外国でしたから行くにはパスポートが必要でした。27年間もアメリカでしたから沖縄の人たちはアメリカ人(主に軍関係)との付き合いが普通でした。アメリカ人の経営するお店で沖縄の人が働いている。基地の食堂や掃除などの仕事も沖縄の人たちの大切な収入でした。統治されるということは統治するアメリカが上と言うことです。
1970年、コザ市(ゴザ市とも言います、現在の沖縄市)でアメリカ軍車両や施設に対する焼き討ち事件が発生、ゴザ暴動へと発展しました。横倒しにされた車が燃えている映像は強烈に印象に残っています。これはアメリカ兵士の運転する車が基地で働く沖縄人をはねたことかが発端でした。人権侵害に苦しめられてきた沖縄の人たちが我慢の限界を超え爆発したのです。翌1971年まで続き、コザ市は暴動の街と化しました。基地の街コザ市(今の沖縄市)へ行くと今もアメリカのダウンタウンのようになっている飲食店や商店街を見かけます。そんなお店に入ると日米地位協定に守られて我がもの顔に振舞うアメリカ兵。当時がいかにひどかったか、人権侵害どころか沖縄の人を人間と思っていない様子が浮かんできますよ。
戦後、沖縄のウグイスはずっと春を待ってきましたがどうやらまだ来ていないようです。この歌を聴いてそんな気持ちになりました。
それでは歌をどうぞ
これは新生ネーネーズが歌う「十九の春」一番の歌詞を間違えているものです。
♪十九の春ネーネーズ
こちらは正調「十九の春」です。
♪十九の春

2018/09/22

災害列島・日本

2018-09-16 16:43:51 | 報道/ニュース
今年は災害の多い夏でした。6月28日から降り始めた雨が観測史上最大となり7月8日には広島、岡山、愛媛で河川の氾濫や大規模な土砂崩れが発生。九州全域から岐阜県に至るまで広い範囲で死者を出す広域災害となりました。台風に影響された梅雨前線による豪雨でした。死者は合わせて230名以上、こんなに広い範囲で雨が降り続いたのは100年さかのぼってもあまり例がないとのこと。最も被害の大きかった広島、岡山、愛媛では9月になった今も避難生活が続いています。
ボランティアが大量に入って家の片付けや土砂の撤去をしている中、8月12日には2才になったばかりの男の子が山口の実家に遊びに来ていて行方不明になりました。500mほどをひとりで歩いて帰る途中での出来事でした。警察、消防など160人体制で捜索しましたが見つかりません。あきらめかけていた3日目、15日午前、ひとりの男性が男の子を発見しました。尾畠春夫さん78才です。尾畠さんは軽自動車に乗って全国でボランティア活動をしているスーパーおじさんでした。捜索隊は亡くなっていることを前提に水路や草むらを棒でつついていましたが、尾畠さんは生きていると確信し、大きな声で名前を呼んで探し始めて30分後に発見しています。この場合黙って下を向いて草むらをつついていてはダメなのだ、と分かりました。尾畠さんは日本で一番有名なスーパーボランティアになりました。
同じころ6月23日、タイ北部の洞窟では公園に練習に来ていた少年サッカーチームとコーチの13名が突然の豪雨で休んでいた洞窟に閉じ込められ、イギリスの救助チームに発見される7月2日まで、9日間、洞窟内に染み出るわずかな水だけで生き延びました。その後7月10日に全員が救出されました。これも大きなニュースとなり映画化の話まで持ち上がりました。
その後日本では、高校野球が始まり、金足農業高校フィーバーが起き、そして8月18日からはインドネシア、ジャカルタでアジア大会が始まり、水泳の池江璃花子ちゃんの活躍や男子陸上4×100mでの金メダルで大いに湧き上がり、しばし豪雨のニュースはなくなりました。9月2日に池江璃花子ちゃんのMVPでアジア大会が終わったと思ったら、9月4日、非常に強い台風21号が兵庫県に上陸、大阪が大きな被害を受けました。関西空港が高潮で滑走路が水没、さらに関空をつなぐ橋に石油運搬船が激突、道路は使えなくなり8000人が空港島に取り残されました。空のダイヤは大幅に乱れ、新幹線も運休となりました。
4日の午前、ベトナム人と名古屋で会うことになっていたボクは約束のホテルへ行きましたが、やはり飛行機は中部国際空港に降りられず、羽田に降りて新幹線で向かっているとのことでした。ところがその新幹線も豊橋で止まってしまいました。結局ボクが彼と会ったのは翌日でした。
大変な台風だと思っていたらその翌日(正確には9月6日午前3時08分)、今度は北海道で大きな地震が起きました。厚真町で震度7でした。直下型でした。40名が亡くなったほか電気・水道にも大きな被害が出て札幌や函館の都市部も電気が止まるブラックアウト、言わば全滅でした。乳牛の搾乳も出来ず酪農に大きな被害が出ました。
台風・豪雨・土砂崩れ・高潮・そして地震、暑い日本に大きな災害が一気に押し寄せたことになります。
その中で救われたのは、天皇、皇后両陛下が被災地をまわられているニュースでした。高齢のため来年3月で退位されることは決まったのですが、それでもすべての被災地をまわられている両陛下。政治家が点取りのために気持ちのない被災地訪問をしている映像は見たくもありませんが、天皇・皇后両陛下の被災地訪問はいつ見ても気持ちの良いものです。象徴天皇ですから行政に関わることはありませんが、だからこそ心が感じられるのかも知れません。
これだけ災害の多い日本列島なのですから専門家はもっと頭を使って欲しい。台風や雨の予報はレーダーのおかげで良くなりましたが、地震研究はダメですね。この範囲で起きる確立が70%なんて言ったって日本中全部ですよ。そんな予報だったら要りません。レーダーのように地震計の感度を上げて、毎日観測していれば直近でも予測は出来ることです。備えも大事ですが研究者の奮起を求めます。
(今日はまじめです)
2018/09/16